雛鍔

   ― 啓蟄の頃 ―

初めて寄席や落語会に行った方がよく仰るのは、「なぜ噺家さんはキョロキョロするんですか? 」だ。なかには明らかに怪しんでいて、「……ついハンドバッグを隠しました」などと言う方もある。挙動不審な人が多いのは否定できないものの、物色しているとしたらハンドバッグより持っている女性本体のほうだと思うし、それ以前に左右を見ているのは上手と下手にいる人を演じ分けているのだ。ご安心いただきたい……いただけないですよね。
落語は一人の人間が座ったままでやる話芸だから、登場人物の位置関係を表現しにくい。そこで約束事ができている。誰かがどこかを訪ねる際は、必ず上手に向かって「ごめんくださ~い」と声をかけ、下手に向かって「は~い」と応じる。その家の住人が上手にいる設定になっているのだ。
会話をする場合は、お客様から見て右に目上もしくは格上の人がいる設定になっている。親子や兄弟なら、噺家は正面やや左(お客様からは右)を見て「お父つぁ~ん」」「お兄ちゃ~ん」と呼びかけ、正面やや右(お客様からは左)に向きを変えて、「なんだい、倅」「なんだい、弟」と応える。
じゃあ夫婦はどうなるのかというと、日本の芸能は女性で保っている状況を勘案し「もちろん奥様が上手に決まってるじゃありませんか! 」と声を大にしたいところではあるが、落語に出てくる長屋は入口の脇が台所だから、女房は下手である。
この上手下手は、落語に限らない。劇場、テレビ局のスタジオ、みんな共通。向って右が上手であり、ドリフターズのコントでも入口は左側の下手にあって、一番奥がお手洗いで最後にタライが落ちてくる。歌舞伎もそうで、門や玄関は舞台の下手、当然やってくる花道も客席の左側だ。
逆じゃないか、例外だろうか、と感じるのは相撲だろうか。東の横綱のほうが西の横綱より位は上のはずなのに、テレビで観ていると、向って左から出てくる。これは、我々視聴者を主賓と同じ方向から観させてくれているためであろう。四方に下がっている房の色で確認してほしい。東は青で西は白である。

     雛壇の秘密
「質屋庫」で紹介した菅原道真は、祟りを怖れた藤原氏により、没後右大臣から左大臣に出世している。これが勘違いされがちだ。「最右翼」だとか「右に出る者がいない」などの慣用句のせいか右大臣のほうが偉いようなイメージがある。しかし実際は左大臣のほうが偉いのだ。疑う人もいるだろう。童謡「うれしいひなまつり」では、「♪ あ~かい おかおの うだいじん~」と、右大臣が白酒を呑んで酔っ払っている。格下の奴が赤い顔などしていていいのか?
 いいのである。この唄は祭りくらい無礼講で楽しくやりましょう、というリベラルな唄なのだ。やっぱり左大臣のほうが偉い。
ただし、左大臣は向かって右側にいる。お内裏様から見ての左右だから、相撲中継と違って我々からは逆になる。まぎらわしくなったら京都の地図を思い浮かべるといい。地図は北が上、右側の東山区の隣が左京区で、左側の西京区の隣りが右京区だ。御所は南向きに建てられており、日が昇る東側が左で上手、向って右というのはそういう意味である。これは、元々中国の「君子は南面す」からきているそうだ。御所の他お寺等も南向きで、山門は南にある。そういえば、その伝来途中の朝鮮半島にも同じ法則があるとみえ、韓国料理店や焼肉屋さんに使われるのもたいがい「南大門」だ。「北大門」には入ったことがない。
その東洋思想が西洋文明のせいで混乱している。
毎年お雛様の季節になると、それら大臣の並びの前に、関東と関西でお内裏様の並びが違う。これは、皇室が洋装に改められた際に男女の並びも変え、それに倣ったため、という説が有力である。だから東京では男雛が向って左で、京都では右になる。まぁ女帝の時代もあったんだし、どちらでも問題はさして起こるまい。強いていえば、右大臣が勘違いしてつけ上がり泥酔しないよう注意していただきたい。
落語にお雛様が出てくるのは、だいたいお似合いの男女を評する時だ。「まるで一対のお雛様のようだねぇ」となる。今の雛祭りの形ができたのは江戸時代だそうだが、落語が男文化だったせいか風俗として描写した噺は思い当たらず、比喩の対象以外に登場の機会がない。

【植木屋さんが大名屋敷で仕事をしていると、若様が庭で銭を拾った。
 不思議そうな顔で「これはいったい何だ。穴が空いていて波形の模様がある。お雛様の刀の鍔であろうか?」と訊ねる。
 家来が、「それは汚いものですからお捨てください」と答えると、若様は素直に捨てて去っていく。
 銭を知らないとはさすがに育ちがいい、と感心した植木屋さんは家に帰って話をするのだが、倅は納得するどころか小遣いを巻き上げて表へ飛び出していく。
 しばらくして来客中のところに帰ってくると、
「へんなものを拾った。穴が空いていて波形の模様がある。お雛様の鍔かな?」
と銭を見せる。
 聞いた客が感心して「氏より育ちと言うが、たいしたものだ」と親の躾を誉める。父親が喜んで言う。
「それは汚いものだから捨てちまいな」
「いやだい。これで焼き芋買うんだ」】

小品ながら、銭に煩わされないのが上品であり頓着しないのが粋、江戸っ子気質がよく描かれている。そして、それが現実の裏返しであることも。

   金をためる江戸っ子
「江戸っ子の生まれ損ない金をため」「三代続かなきゃ江戸っ子じゃない」、二つともよく目にし耳にするけれど、大いなる矛盾がある。金をためなきゃ三代も続くわけはないのだ。つまり、多くの江戸っ子は金をためていたのである。じゃあ、誰がこれを口にしたのか? 江戸っ子の定義を異にしていた人達はどんな人達であろう?
私が考える江戸っ子(当時の言葉通り江戸者という言い方のほうが相応しいか)は、日本中の価値観が集まる街で折り合いを付けつつも自分の信念を捨てないコスモポリタン、である。決して、山東京伝が綴ったみたいな(洒落を解さず真に受けている人が多くて驚く)江戸城の見えるところで生まれた(江戸城は天守閣がない平家だから見えない)とか、水道の産湯を使ったとか、何代続いたとかではない。それを言ったら、諸藩の殿様は江戸っ子だらけになってしまう。少なくとも、落語に出てくる江戸っ子はそんな人種ではなかろう。
歴史や統計ではなく、算数の問題だ。男が女性の何倍もいる都市で、皆が結婚して子供を持てる道理はなく、外から補充されていたのは間違いない。身代を築いた商人は、郷里や取引先から若者を呼び寄せたというし、大工や左官などはある程度大きくなってからじゃないと戦力にならず地方からやってきた中の器用そうな奴を選ぶか、そういう若い衆を田舎から呼ぶかしないと足らなかったと思われる。そして運良く家庭を持てた職人達の子供も、奉公に上がるなら、植木屋の倅だって商家に行き、あわよくば三代目の親になりたいのだ。
東京人を構成するのは地方出身者が多いこと、親が自分の子をホワイトカラーにしたがること等、現代となんら違わない。「人は役人を嫌うが自分の子を役人にしたがる」、H・ヘッセの『車輪の下』にある記述は、江戸でも当て嵌まるのである。いずれにしろ町人で何代も続いたのは商人、それもお金をためることができた商人達のはずだ。その子弟の方々、または何らかの生業で幸運にも代を重ねた一部の人が「三代云々」の主張をし、先の川柳は、それを聞いた地方生まれの職人達が「我々こそ江戸っ子、宵越しの銭は持たねぇや」と悔し紛れに詠んだのだと推測する。
宵越しの銭は持たなかったのではなく、持てなかったに決まっている。伊達の薄着をしているうちに、冬でも単衣で暮らせるようになっただけのことなのだ。文字にするのはあまりに不粋だけれど、「世の中の金と女は仇なり どうか仇に巡り逢いたい」のが世の常、人の常である。
それなら、江戸っ子の散財や痩せ我慢は無理矢理だったのかといえば、まんざらそうでもあるまい。金銭の枠を超えた、もっと広い「足るを知る」という絶対的な価値観に束縛され、振り回されていたのではあるまいか。

     モッタイナイ
 以前、某欧米都市のピザ屋さんに行きシーフードピザを注文すると、店員さんが壁に貼られたチラシを指し、「2 FOR 1を知っているか?」と訊いてきた。二つ買うと高いほう一つ分の料金になるシステムで、ピザに限らずバーゲンセールなどでよく使われていた。
「知っている」と答えると、「なぜもう一枚注文しないんだ?」と更に訊く。
「必要ないから」と言うと一瞬驚いた顔をし、やがて嬉しそうにシーフードピザを焼いてくれた。「♪いつもより、余計にトッピングしております♪」という笑顔だった。特段空腹じゃなかっただけなのだが、「もらえるものはとりあえずもらっておく」と、疑われもせず蔓延していたのであろう。
 その点、我が東洋では「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」なのだ。必要以上のものを望むのは品がないという意識は、出典のありかを問わず、あらゆる階層をまたいで共有されている。江戸っ子の散財も、実はその状態を強引に作っているのであって、半人前以下を指す「一合野郎」が罵りの表現として叫ばれていた時代には、「一升野郎」も馬鹿にされる対象だったはずだ。先の大震災の際に世界中から称賛された整然とした暮し振りや、アフリカのおばさんにノーベル賞を授けたモッタイナイの素は、連綿と受け継がれてきた「足るを知る」なのである。
江戸時代の貨幣価値と刑法の例えとして引用される「十両盗むと首が飛ぶ」という表現、あれも金額そのものが直接罪の重さだったのではなく、そこを超えると生活のための盗みだと認められない境目だったのだろう。なんたって、「二つに重ねて四つにする」と問答無用の殺人が許されていた姦通罪でさえ、示談金による解決がほとんどであり、相場は七両二分と決まっていたのだから。
【ある男、隣のカミさんとの浮気がばれてしまい、死にたくなかったら七両二分払えと脅される。とてもそんな大金は用意できないと頼み込んで、何とか一両まで負けてもらうと、覚悟を決めて自分の女房に相談をする。
「しょうがないねぇ、何回したんだい?」
「一回だけだよ、魔が差したんだ」
「一回一両なんだね。じゃあ私がそう言ったからと、差し引きで三両もらっといで」】
……足るを知るのは難しく……怖い。

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