質屋庫

   ― 大寒の頃 ―

若い人の間で着物が流行っているらしい。アンティークを新しい感性で自由に、または逆に古式ゆかしく、と楽しんでいらっしゃるようだ。また、外国の方々も興味を持って下さっているやに聞く。誠に喜ばしい。そこで、そんな皆様(とりあえず女性)に、最もコストパフォーマンスが優秀なものを紹介しよう。外国からの旅行者の場合、お土産としても相当に点数が高いと自負している。
それは、男物の紋付の羽織である。

    エンブレム付きシルクガウン
着物のリサイクルショップを覗くと、品数もスペースも九割は女性用だ。男物は地味な色目の紬と袴が積まれ、黒紋付が申し訳程度にラックに吊るされている程度であろう。それも昔の人が着ていた物を手放したわけだからサイズも小さく、自分の伴侶に和服を着せたいと考えている奥様の役にも立たない。で、わざわざ隅っこに注意を向ける人は殆どいない。しかし、そこに盲点ができる。宝の山を見逃している。
男物の羽織だと思うから思考が止まってしまう。黒いシルクの部屋着だと捉えれば、あんなに安い買い物はない。サイズが小さいといっても、現代の男性用としては、であって、若い女性にはちょうどいい。それに素材は羽二重、シルクでも最上級の部類だ。薄いわりに暖かいし、色も黒なら何にでも合う(何を着ても似合わない噺家たちが証明している)。そんな絹100%のガウンを千円や二千円で買える店は、世界広しとはいえ日本にしかあるまい。
シルクロードの終着は奈良だけれど、厳密に言えば奈良を経由し全国各地へ移動しており、それぞれ活きた形で残っている。中でも男物の和服古着が日本一ふんだんな浅草は外国人観光客にお馴染みの街、絹の逆輸出入には最適だ。シルクロードの折り返しターミナルと言えよう。
外国の人にとってはジャパニーズエンブレム(家紋)付きのガウンとなり、価値はより上がる。ものによっては、羽裏に富士山や花鳥風月、茶道具や神社仏閣が描かれていて芸術的価値さえ見出せるし、家紋だって花をはじめ可愛い図柄がけっこうある。某有名ブランドがヒントにしたように、デザインとして家紋の評価は世界的に高いそうだ。日本人はもっと誇りを持ちましょうね。
一般の方が家紋にふれる機会は冠婚葬祭であろう。ただ結婚式の貸衣装の場合、必ずしも自家の紋とは限らない。なるべくポピュラーなものを揃えるから、日本で最も多いといわれる「片喰」、忠臣蔵の浅野内匠頭で有名な「違い鷹の羽」、いかにも家紋的な「横木瓜」あたりが多い。自分の家の紋が見られるのは不祝儀のほうで、紋幕や提灯、さらに遺影写真に合成で紋付を着せるのも可能になった。民族衣装だから、生前に和服など着た経験がない方でも似合う。
我々噺家にとって紋付は仕事着、もちろん各自で誂えている。独り立ちする時は師匠の紋か一門に伝わる紋を選ぶが、二着目以降は実家の紋や、その羽織を贈って頂いた御贔屓筋の紋にする人もいる。まぁ早い話が何でもいいのだ。
 我が三升家一門は、紋の名前が亭号になっている関係上、どうしても「三升」の紋(正確には三入り子升)を付けざるを得ない。由緒もあるしシンプルで気に入っているから全く不満はない。唯一難点があるとすれば、この紋の元になったのが成田屋こと歌舞伎の市川団十郎家であり、同じ紋を纏って比べられる対象としては、あまりに不利なことである。
 実家の紋は何かというと、本名の梅田からお察しの通り梅鉢(丸に梅鉢)だ。女性が好みそうな可愛い紋の一つではなかろうか。こっちも全く不満はない。

     天神様と梅
梅鉢紋で思い浮かぶのは、なんといっても天神様。私も菅原道真の末裔だったなら、せめてもう少し頭がよかったはずだ。きっと紀州からの移民である祖先が故郷の梅林を懐かしんで決めたか、近所に天満宮でもあって勝手にあやかったに違いない。
十数年前、丸に梅鉢の抜紋がついた麻の着物を古着屋さんで見つけた。現代では我々のような職業でも、まず作ることはない。昔の粋人が誂えたものだろう。そのため生地も弱っていたしサイズも小さく、着物としての価値は殆どなかった。ところが、それが欲しくてしょうがなくなった。噺家の俺が買わずして一体誰が買うのだ、と大仰な使命感に燃えて買い取った。で、倍以上の費用をかけて夏用の襦袢に仕立て直してもらった。中々着心地がよく気に入っている。

【ある質屋さんに、夜な夜な化け物が出るという噂が立った。
商売に差し支えるので正体を確かめたいのだが、臆病な番頭は、一人じゃイヤだとゴネる。そこで日頃から度胸自慢をしている出入りの頭に助太刀を頼もうと、店の小僧を使いに出した。
伝言が要領を得ず、理由が分らないまま呼び出された頭は、てっきり悪事が露見したと思い込み、聞かれもしないうちから言い訳を始めて全部バレてしまう。
それが負い目になって断り切れず、番頭と二人で庫の見張りをする破目になった。
怖いのを酒で誤魔化しながら待っていたところ、夜中に物音がする。
恐る恐る覗いてみると、藤原さんから預かった掛け軸がスルスルと自然に開き、中から梅の小枝を持った天神様が現れる。
「そちがこの家の番頭か? 」
ハハーッと平伏する番頭。
「藤原方に参り、利上げをせよと伝えてくりゃれ。……麿はまた、流されそうだ」】

 ギャーッと叫んで逃げ出さず、ハハーッとひれ伏す番頭に、日本人の神仏に対する意識が見てとれる。畏怖の畏と怖はともに「おそれる」だけれど、怖いと畏(かしこ)まるは同居できるのが伝わってくる。これは死や死者に対する普通の人の感覚でもある。忌避は、必ずしも嫌うという意味ではない。
 この噺は、菅原道真が藤原氏によって大宰府に左遷されたのを素に作られた。現代なら教養雑学に分類される歴史を大衆演芸に取り入れたわけで、歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の影響はあったにしても、昔の人の知的好奇心レベルはなかなかのものだ。
 流される際、可愛がっていた庭の梅の木に向かって「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春な忘れそ」と詠み、聞いた梅の木が道真公を慕って大宰府まで飛んで行ったと語り継がれている。
 今でも大宰府天満宮の「飛梅」は大事にされていて、観光客が、「へーっ、これがね~」なんて感心しながら写真を撮る姿が見られる。愛すべき、そして誇るべき日本人の特質だ。真偽を確かめようという発想自体が野暮なのだと心得ている。
 道真公が流されてから京の都には天変地異が続き、鎮めるため天満宮が建立された。雷神になったと噂される道真を、学問の神様への転身で手を打ってもらった格好だ。一説によれば「クワバラ、クワバラ」のクワバラは、菅原家があった桑原地区を指し、落雷を避けてもらおうと唱えた「ここは桑原です」が起源だそうである。

ウソをかえましょ
 その天神様の縁日は道真公の誕生日であり命日でもある(毎月)二十五日。一月二十五日を初天神と呼ぶ。同名の落語があって、寄席では季節を問わず高座にかかる人気演目だ。
その冒頭は「オイおっかあ、羽織を出してくんな。天神様に行ってきようかと思うんだ」「それならお前さん、金坊も連れてったげておくれよ」。
この噺をはじめて聴いた時に何となく違和感があった。しばらくして違和感の正体が分かった。
― いい歳した男が、子供に隠れて縁日に行きたがるだろうか? ―
 その疑問をずっと抱えていたのだが、ある日ふと気付く。そうか、この父親は縁日ではなく、梅の花を観に行きたかったのだ。正確には梅の香を羽織に移してきたかったのである。だからこれは梅の咲く(旧暦)一月の縁日、初天神でなければならなかった。その事情が、かろうじてタイトルに残っているわけだ。
季節を問わずに聴いても、「羽織を出してくれ」が神様に対する敬意ととれるがため(元々はそれが出発点だろう)、不自然さは感じないものの、落語に登場する江戸っ子達はそんなに神妙ではない。また、香りを移すという本義を知っても、やっぱりいつもの彼等の言動とは相容れない気がする。案の定、この噺も上方発祥の落語であった。発想も粋というよりは雅と称したほうが似合う。
西と東の地域性は、もっと広げていけば、西洋と東洋の民族性にまで及んでくる。
花の香りをいい匂いだと感じるのは万国共通だろう。ただし、それを自分のものにしようとする際に、花を集めてエッセンスを取り出し香水にするか、咲いているところへ出向いて着衣に移してくるか、ヨーロッパ人と日本人の違いが表われる。
もう一つ、初天神には、日本ならではの「鷽替え」という風習がある。鷽とは文鳥が呑みすぎて酔っ払ったような顔をした可愛い小鳥で、冬場には都会の公園などでも見ることができる。その鷽の、こけしみたいな一刀彫りを毎年取り替えるのだ。
東京の湯島や亀戸は個人で買い替えるのだが、大宰府天満宮では、境内に集まった人達が「♪替えましょ、替えましょ、鷽を替えましょ」と昔ながらに唄いつつ取り替えるそうだ。
これは「嘘を変える」の洒落になっている。一年の間についてしまった嘘を天神様の力で真に変えて頂く。嫌なこと悪いことを無かったことにして頂く。だから、取り替える鷽は前年より大きくする。
生きていくということは嘘を重ねることだと、昔の人は知っていた。人が生きるために必要な才能とは、記憶力ではなく忘れる力なのだと分かっていた。そして、その力が生身の人間には得がたいもので、神仏の助けを必要とすることも弁えていたのである。
西洋なら教会で密かに懺悔するところを、日本では皆で陽気に人形に託す。もちろんどっちがいいとか悪いとかいうものではないだろう。しかし、私はこの季節に梅の香にふれ、この話を思い出すたびに、日本に生まれてよかったと呟いていた……のだが、ハテ、境内で他人同士が取り替えたらどうなるのか……自分の嘘を人に押し付けて済ますのだろうか……、疑問というより疑念が湧いた。
でも、このごろ思う。嘘は必ずしも悪ではない。ましてや災厄ではない。違う誰かのもとに移った時、それは時に唯一の救いになることもある。とりあえず笑いになることがある。きっとそれを願っていた、信じていた、のではないかと。

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