「アイドル教」の功徳と利他性の問題

 基本的に宗教における布施や寄付というのは、その結果としての功徳を得るための代償として行われるという構造がある。来世がいいところに生まれ変われる、天国に行ける、願いが叶う……なんでもいい。これは誰も否定しないよね? 
 言い換えれば、人間とはどんなに利他だと言ったところで、何かしらの見返りがないと行う気にならないということを意味してる。本当の意味で、一切全く何の利益も得られないのに利他的行為を行える人間はいないとは言わないけど、まずいない。だからこそ宗教は功徳を報酬として利他的行為を賞賛する。

 仏教の場合だと「仏教は科学です」みたいな言い方で、因果応報は事実だという言い方をする人もいるよね。ボールを上に投げたら落ちてきて当たって痛い。良いことを他人にすれば必ず良いい結果が返ってくる、と。それは妄想や信仰ではなく現実の法則なのだと。ここでは、それが事実かどうかは脇に置く。
 鶏が先か卵か先かの問題になるけど、良いことをしたら良いことが起きるという法則は宗教では大原則の重要事項。そこに説得力を持たせられない宗教団体は、ぶっちゃけ、収入が減るので教勢を維持できなくなる。
 だが現実社会はそうは見えず、だからこそその結果を「現世では確認し得ない将来」、つまり、天国や来世に持ち越してでも必ずそうなりますよという説明をすることになる。それが事実かどうかは今回は関係ない。ともかく構造として、そういうものがあるという事実を、ここでは抑えてもらいたい。

 そのうえでアイドルについて考える。

 今や日本のトップアイドルグループといえばAKB48になるわけだけど、彼女らがオリコンチャート第一位をずっと維持できているのは握手券の存在であって、音楽自体が売れているわけではないというのは、批判したい人から必ず出てくる言葉だ。それは確かにそうなんだろう。
 ファンはCDについてる握手券を目当てに大量のCDを買う。何枚、何十枚、何百枚も買う人は当たり前にいるらしい。1枚の握手券でだいたい10秒ほど握手できるそうで、何分にもわたって一対一で握手し会話するためにCD(握手券)を買うわけだ。

 これは分かる。使った金額に対しそれだけのサービスを受けられるわけで、それを高いと思うか安いと思うかは関係ない。ともかく、本人にとって意味のあるサービスを受けるわけだ。

 ところが毎年初夏の恒例となっているAKB総選挙、これが問題。この投票はファンクラブの会員になったりいろいろな方法で行うそうだが、投票数を支えるのは圧倒的にCDに付いている投票券なんだそうだ。1枚のCDを買うと、握手券と投票券が1枚ずつもらえる。つまり、握手券だけのCDに比べると、選挙前に発売されるCDは投票券もつくので、お得とも言える。
 それだけならおまけなのでいいのだが、問題は握手券ではなく投票券を目当てに大金を投入するのが当たり前に行われているという事実だ。

ヤフオクでAKB総選挙投票券めぐり「詐欺」騒動 「使用済み」2000枚を183万円で売りさばく

 このニュースの細かいところは今回の主題ではないので脇に置くとして、問題なのは2000枚の投票券が183万円で売れたというその事実である。詐欺は詐欺で問題だが、詐欺でない、つまり、普通に有効であったとしても、それはちゃんと183万円で買う人がいたということなのだ。1枚あたり915円。これは、握手券付きCD1枚の単価とほぼ同じである。
 もちろんこの転売される投票券には握手券はつかない。というのも、握手券には購入者の名前と住所が印字され、当人以外は使えない容になってるからなのだ。(これも身分証明書の貸与や偽装で転売という問題があるそうなのだが、これも今回は関係ないので脇に置く)
 つまりこの場合、純粋に、投票券1枚だけを915円で買うことになる。握手も出来ない。ただ投票するだけ。
 投票したらどうなるか? 得票数によって推しメンと言われる自分の好きなメンバーが選挙でランクインする。上位に入ると通称「選抜」に選ばれ、CDの歌唱メンバーになり、ミュージックステーションはじめとする各種番組に出演する機会を与えられることになる。
 そうなると、推しメンをTVを始めとするメディアで見かけることが多くなる。継続的に選抜に入ることになれば、卒業後も芸能人として生きていける可能性が高まるだろう。

 それだけ。

 そう、それだけなのだ。

 もともと100枚の握手券を買ってたファンが100枚分投票するならかまわない。あくまでもおまけだからだ。だが握手もできないのに何十万何百万もお金を使い投票したところで、推しメンがランクインしたり活躍する場が増えるだけで、自分には何の見返りもないのである。
 握手会で「俺、500票入れたよ!」と言ったところで、それが本当かどうかなど目の前のメンバーには分からない。証明できれば心の底からの感謝とリスペクトをもらえるかもしれないが、証明のしようがないのではせいぜい「ありがとう」と言ってもらうのが関の山だろう。
 500票分の握手をしたところで、投票券を転売してる可能性も大いにある。現に、あくまでも握手を重視するファンは投票券を売り払ってしまい、事実上無料で握手できるこの機会を最大限に活用してるそうなのだ。

 では、選挙でランクインし選抜入りし活躍の場を広げた推しメンが活躍するようになったとしよう。いままでTVで見かける機会の少なかった推しメンが大活躍。嬉しい。
 ところがその推しメンもいずれ卒業する。そうしたら、ほとんどの場合もう二度と握手する機会も話す機会もないだろう。芸能界に残ってくれればともかく、一般人になられたらもう悲惨というしか無い。残るのは思い出だけだ。

 思い出しか残らないものに大金を使うのは別に珍しいことじゃない、たとえば旅行だってその一つだろう。
 だがそれにしたって……と普通の人なら思ってしまうのでは無いだろうか。

 普通の議会議員選挙はわかりやすい。自分の利益になる政策を実行してもらうために、支援してる政治家を当選させようとする。金持ちなら自分に有利な政策をしてくれる自民党に、貧しいなら貧困者対策を訴える共産党や社会党に票を入れる。回りまわって自らの利益のためにこそ、入れるのだ。
 だがAKB総選挙は、いったいそれがどういう自分の利益になるのだろう?

 そこにあるのは、応援している推しメンが活躍してくれたら、自分の夢を叶えてくれたらそれでいい、その応援した思い出だけで十分だという「利他の精神」だ。自分の利益はそれこそ思い出しか無い。かたや推しメンは、場合によっては数億円稼ぐ芸能人になれる可能性もある。そんな女の子を、人によっては食事を削ってまで(!)応援し、投票し、支えるのだ。
 これが利他の精神でなくて、なんなのだろう? 一応は思い出という自己満足=利益を得ている、それは結局宗教の功徳と同様に「自利」にすぎないと片付けられる話なのだろうか?
 それにしたって、見返りの少なさという意味では極めつけだ。目に見える結果ではないにせよ、良い所への輪廻転生や天国行きのほうが、はるかに巨大な利益を期待させてくれる。

 いやいや、スポーツや普通のコンサートなんかも同じだよという意見があるかもしれない。だがこれも、よく考えると違う。
 たとえばサッカー日本代表を応援し世界中を回ってる人がいたとして、彼は実際にグラウンドで応援することで入場料に見合った刺激を得る。ユニフォームや応援グッズを片っ端から買ったところで、限界があるだろう。海外遠征一回で30万円ぐらい使えば、いいほうじゃないだろうか?

 だがAKB総選挙の場合、183万円で2000枚の投票券を購入したとして、推しメンがランクインして、それがいかほどの刺激なのだろう?
 もうこうなると、関心のない他人には理解の範囲を超える。刺激がほしいという言葉では語れない無私の愛、利他の精神でしか考えられない気さえしてくるのだ。

 今年も6月に総選挙が行われるそうで、今ちょうど、投票券(と握手券)付きCDの販売予約が始まっている。ヤフオクを見ると早速転売がされていて、いまのところ1票850円で売られているようだ。投票期日が迫ると、場合によっては原価以上で売れることもあるのだとか。
「アイドル教」、いやこの場合は「AKB教」と言うべきなのかもしれないが、それがどれだけの功徳をファン(信者)に与えてくれるのか、理解できない人間にはさっぱり理解できないわけだが、一般の宗教も信心できない人にはさっぱりわからない。わからないものに大金が動く季節が今年もやってきたわけで、ファンの皆さんお疲れ様ですという感じがする。

『前田敦子はキリストを超えた』という本があるぐらいなのだから、やはりアイドルを応援するというのは、それこそ宗教の構造で考えるぐらいのことをしないとわからないものがあるというのが、事実なのでしょうね。

 ……この記事を書いて公開した直後にこんなものを見つけました。

「幸せはお金で買えます。正しく使えば」 あなたの人生観を変える、お金と幸福のハナシ

 他人のためにお金を使うと幸せになるということをさまざまな実験から検証した記事なんですが、もしこれが事実だとしたら、AKB総選挙のためにお金を使うのは、幸せになるためのお金の使い方としてこのうえなく上手ということになるかもしれませんね(^^;;

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