日本人が意地でも輪廻転生を納得する方法は無いのか?

 インド文化圏を旅していると、地元の人の信仰心に驚くと同時に、輪廻転生を当然の出来事、大前提として日々の生活をしていることに驚かされる。それは「太陽が東から昇り西に沈む」と同様のこととして疑うこと自体ありえない、厳然とした事実として彼らには理解されている。
 欧米のキリスト教やイスラム教の信者も同じで、死後に最後の審判があり、その審判を経て天国や地獄という最終的な地へ転生することを信じている。輪廻はしないけど、この身このままで転生すると信じているので、イスラム教では火葬はしない。火葬しちゃったら生まれ変わる体が無くなり、魂が彷徨うことになってしまうからね。これが信じられなければ、神の名のもとに行う自爆テロなど、出来るものではない。
 だがこの感覚は日本人としてはどうにも理解不能だ。
 このあたりの詳細についてはニー仏先生の「輪廻がガチな世界」を読んでいただくのがわかりやすいと思うが、僕は以前から「なんとか日本人である僕にもその感覚を理解し納得する方法なないのだろうか?」と考えている。

 たとえば、ミャンマーやスリランカ、タイで主流派を占めるテーラワーダ仏教(上座部仏教)には仏陀になるための数多くの修行法・瞑想法があるが、その中に前世の記憶を思い出すという項目がある。実際にこれを修し「思い出した」人に何人も会ったことがある。ミャンマー人やミャンマーで修行した日本人などだ。自ら体験するのが最も手っ取り早いと修行に挑戦したこともあるが、その道はとても険しく、その境地にたどり着くことは自分には無理だった。
 それはともかく、その「思い出した」人たちに話を聞くと、とても面白く興味深い。前世と言っても一つ前にとどまらない、その前いくつもいくつも、10、100、1000のレベルで思い出しているのである。
 もちろん人間だけではない。仏教では六道輪廻(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)を説くので、その全てへの転生経験があると語るのだ。仏教において天国は最終目的地ではなく、この六道という輪廻転生自体から抜け出し二度と転生しないこと(解脱)が最終目標なので、天国ですら一時的な滞在場所にすぎないとされる。
 天国に生まれてもそれは永遠ではなく、行い次第で地獄に落ちることがある。地獄の凄惨すぎる過酷な経験を思い出し、快楽ばかりの天国にすら居続けられないという事実を「思い出す」ことで輪廻転生の虚しさを実感し、悟りを目指す修行のやる気を高めるわけだ。
 ではどういう過去生を思い出したのかと具体的に聞いてみると、エピソードはあるにせよ、体系的なものとは言えないものがほとんどだった。
「天界の女性はあまりにも美しすぎて、人間の女性にはまったく興味がなくなってしまった」「地獄はあまりにも残酷すぎて思い出したくもない」「人間だった時に○○をしてしまったせいで○○になった」とか……なんだか、江原啓之が言う前世のほうがはっきりしてないか(笑)? 言い換えると、江原氏が言う程度の前世程度の話しか出来ないということでもある。
 だがそれは他人である僕がそういうふうに感じるだけで、本人にとっては極めてリアルな記憶、実感なのだ。だから、他人がなにを言おうがそれは事実であって、全世界の他人が否定しても、本人は前世はある、輪廻転生はあると頑なに信じられるだろう。

 やっぱり、自分自身で瞑想を極めて、思い出すしかないのだろうか?

 だが、記憶って実際の所、そんなに信じられるものだろうか? 皆さん自身、もっとも古い記憶というのは何歳ぐらいだろう? 僕の場合は3歳とか幼稚園児とかが最も古く、小学校ですら、エピソード的な断片でしか覚えていない。とてもじゃないが体系的ではない。
 これって、先ほどの人たちが思い出して語ってくれたという前世程度の内容しかないよね? 今こうして生きている自分自身の出来事ですらエピソード的にしか覚えていない。それらのエピソードの記憶が、本当に自分自身に起きた出来事だと確信しているが、果たしてそれは本当なのだろうか? 誰か他人に植え付けられた記憶では?
 SF映画『トータル・リコール』がそういう話だったわけで、これを疑い出すと前世や輪廻転生を納得するためにはどうすればいいどころではなくなってしまう。自分自身の記憶すら怪しいなら、瞑想で思い出した前世の記憶だって同じことだ。それこそ瞑想中に電波を送りつけられて記憶を植え付けられる(笑)可能性だって否定出来ない。

 かつて人類は、宇宙の中心が地球であり、他の惑星や太陽は地球を中心に回っているという天動説を信じて疑わなかった。だがそれは今や科学技術の発達と証明で否定され、地動説が当たり前になっている。誰もがそれを当然と考えている。信じる信じない以前に、当然のことだと理解している。
 インド文化圏は大好きで、インドもタイも片手では数えられないぐらい渡航してる。そのたびに現地の人がなぜそれを心底納得し当然のものできるのか知ろうとするが、やはり、上手くいかない。

 輪廻転生や前世というものが、地動説同様に科学的事実として証明され、疑うまでもなく当然の常識として理解されるようにするにはどうすればいいのだろう。何をどう証明すれば、それが可能になるのだろうか? 天動説は「太陽が東から昇り西に沈む」と自ら体感したもの、体験を元にした納得なわけだが、地動説はそうじゃない。ほとんどの人が自ら望遠鏡を使って観測した知見を元に納得したわけではないが、それでも現代社会では疑いのないものとして納得できている。輪廻転生だって、体験を元にしなくても納得することは可能なはずなのだ。
 自分自身が死ぬまでにせめて、本当に輪廻転生があるかどうかはともかく、なぜ彼らがそういう理解に至れてるのか、納得したいものだと思っている。

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