愛犬がなつかない
2021年9月18日。
わたし・夫・長女(小4)・次女(小1)の我がやまだ家に、生後59日目のボストンテリア(♀)がやってきた。
名前は『うめ』。
これはわたしが仕事関係やらツイッターやらで使用しているライターネームで、あちこちで使っているうちに家族になんらかのサブリミナル効果を与えていたらしい。
わたし以外の家族全員が『うめ』に賛同したため、複雑な心境ながらわたしに抗うすべはなかった。
このうめだが、とにかくかわいい。
ボストンテリアならではの白と黒のコントラストに、ピンと張った三角形の大きなお耳。
「近づいたら襲いますよ」と言わんばかりのゴリゴリに据わった目も、口元の余って垂れた肉も、何もかもがたまらない。
忘れもしない、ブリーダーさんのショップで生後21日目のうめに初めて出会った日。
わたしたち家族4人は、ケージの中できょうだい犬と押し合いへし合いしているちっちゃなうめに夢中になった。
本当は「いつか犬を迎えられたらいいね」といった見学程度の軽い気持ちだったのが、店を後にするころには「(わたし)お迎えしますよね」「(夫)ですよね」だったから驚きだ。
実際にお迎えするまでの約5週間、わたしたち家族は毎週欠かさず隣の市まで面会に足を運び、うめの成長を写真と動画に収めてその日を待った。
——いよいようめを引き取り、自宅へと連れ帰ったときのわたしたち家族の喜びといったら、これはもう筆舌に尽くしがたい。
用意したピカピカのケージにベッド、歯磨き・耳掃除・爪切りなどのお手入れ道具一式に、犬が喜ぶと評判のおもちゃの数々。
さあ、とうとう待ちに待った愛犬とのハッピーでワンダフルなライフが始まる。
何をして遊ぼうか。ごはんは食べてくれるかな。お散歩も楽しみだ。自分の名前はもう覚えてくれたかな。ルンルンルン♪ルルルンルン♪
だがしかし。
どうしたことだろう。
同居から1週間がたっても、うめはわたしたちにまったく懐かないのである。
まず、呼んでも来ない。
こちらから近づこうとすれば一瞬で身構えて逃げるし、抱っこをすれば牙をむく。
近づかなければ近づかないで、こちらの隙を見ては刺客のごとく素晴らしい俊敏さで足下に襲いかかる。
——これはいったいどういうことだ。
もともとわたしには、「犬は基本的に温厚で優しい生き物」という思い込みがあった。
というのも、かつて実家で飼われていたポチくん(ミックス:♂)が、まさに温厚を絵に描いて10000枚くらいプリントアウトしたのを圧縮して固めたような犬格者だったからだ。
ポチくんはどんなときも穏やかで、他者に牙をむくようなことは一切しなかった。
自分よりも後で実家に仲間入りした2匹の猫、ミーとタマに餌を強奪されても寛大に許し、2匹が立ち去ったのを確認してから「ではいただきますよ」と残り物を食す犬だったのだ。(実家の名付けセンスについてのご批判は甘んじて受け入れる)
「ポチくん!」と人間が声をかければ尻尾をぶりんぶりん振り回して駆けつけたし、自ら家族に抱っこをせがんだ。
過去唯一生活を共にした犬がそんなタイプだったものだから、うめの徹底した拒絶っぷりにわたしは激しいショックを受けずにいられなかったのだ。
——なぜ、どうしてうめはわたしたちに心を開いてくれないんだろう。どこでなにを間違えたんだろう。
考えられる可能性としてはおそらくこうだ。
①わたしたち家族が知らぬ間にうめに対してひどいことをしてしまったから
②うめの個性として極度に攻撃性が高いから
③単純に嫌われているから
③だけは嫌だよママン。
その後、わたしたちやまだ家一同は、どうにかしてうめと仲良くなるべく努力を重ねた。
まず、意識したのは触り方だ。
どうやら犬は、頭上から人の手が伸びてくる状態に強いストレスを覚えるらしい。
——なるほど。では、腰を低くして近づき、下からゆっくり手を出せばいいのだな。
そっと近づく。
うめの目線より下からゆるゆると手を差し伸べる。
優しくほおに触れる。
噛まれる。
噛まれるじゃねえか!!!
——いや、慌てるなわたし。
ほら、別のサイトには『犬がみずから撫でてほしいとおなかを見せたタイミングで撫でるのがベスト』と書かれている。
うめも時々、わたしの目の前でおなかを出して転がるじゃあないか。
おやおや、そうこういっている間に、うめがおなかを見せてこちらにアピールしているぞ。
なるほど、このタイミングで撫でれば犬も喜びわたしもうれしい。Win-Winというわけだな。
よし。ではご要望にお応えして。
うめを警戒させないよう、笑顔でそっと手を伸ばし、柔らかいおなかをなーでなで……
噛まれた。
そんなことを繰り返すうち、わたしの両手はいつしか生傷だらけの見るも無惨なありさまに。
もちろんわたしだけではない。
夫と長女も同様に、果敢にうめに挑んだ結果、負けず劣らずの生傷を負うこととなってしまった。
長女に至っては、子どもならではの強引さ&無謀な前向きさでうめに詰め寄るものだから、生傷の数もハンパない。小学校でうっかり先生方に両腕を見られようものならば、たちまち児童相談所への通報が期待できるレベルだ。
そして次女はといえば、もっぱらうめに襲われるので(おそらくうめは、次女のことを「こいつなら殺れる」と思っている)、同居から2週間後にはうめに近寄ろうとはしなくなっていた。というか逃げ惑っていた。
ああ。なんということだ。
わたしが思い描いていた愛犬との生活は、もっと愛と喜びに満ちた幸せなものだったはずだ。
まさかこんな、襲いかかる愛犬を制し血を流すバイオレンス&デンジャラスな日々が待っているなんて。
こんなはずでは。こんなはずではなかったのに。
——そんな日々が1カ月ほど続き、愛犬に噛まれ、引っかかれる痛みに家族みなが慣れたころ。うめの予防接種の日がやってきた。
かかりつけに選んだ動物病院の院長先生はとても気さくな方で、わたしは迷わず悩みを打ち明けた。
「うめがどうにも懐かず困っている。近寄ったら逃げるし、触れば噛まれる。とても痛い。ついでにおしっこやウンチもそこら中でします」
ニコニコ話を聞いていた先生は、次のように教えてくれた。
「犬にも性格があって、触られるのが好きな子もいれば苦手な子もいるよ。この子はきっと苦手なんじゃないかな。抱っこされて甘えたいというよりは、一緒に遊んでほしいタイプなのかもしれないね。トイレはもう一個用意せよ」
なるほどたしかに。
抱っこされたり撫でられたりといったスキンシップに対しては極めて攻撃的な反応を見せるうめも、投げたボールを取ってきたり、ロープの引っ張り合いっこをしたりするのは大好きだ。
ダイニングテーブルで仕事をしているわたしの足下で、「おい遊べよ」とばかりにロープを咥えてぐるぐる回っていたのも一度や二度ではない。
そうか、うめはきっと、わたしたち家族が嫌いなわけではないんだな。
ただ、一方的に構われるのが嫌なんだ。触られるのも好きではないんだ。抱っこも撫でられもせず、自分が遊びたいとき以外は放っておいてほしいんだ。
——ちょっとワガママが過ぎやしませんか?
まあ仕方がない。
わたしがうめだったなら、なんだかよく分からない巨大な生き物にあちこち撫でくり回されるのはやっぱり嫌だもの。
いきなり抱き上げられたら怖いし、追いかけられたら逃げるよね。
『愛犬と心通わせるほっこり生活』みたいなのができないのは心底残念だけれども、うめのキャラクターに合わせた我が家なりの関係性を育んでいこう。そうわたしは心に決めたのだ。
その後、基本的な予防接種プログラムも終了し、晴れて外でのお散歩が可能になったうめ。
——ここで意外な事実が判明する。
マンションの敷地から1歩出たうめは、突如として全身をガクガク震えさせ、夫の膝に飛び乗ろうとし始めたのだ。
人が通ればその場で固まり、車が通れば逃亡ダッシュ。
なんだおまえ。とんだ内弁慶じゃあねえか。
どうやらうめが凶暴性を発揮する対象はわたしたち家族に限定されているらしい。そういえば、動物病院の院長先生やスタッフさんを襲ったりはしなかった。
「ボストンテリアはもともと興奮しやすい犬種。今後たくさんの人や犬と関わっていくためにも、攻撃性はコントロールしなければならない」
そう思っていたところだったので、内弁慶という事実はある意味福音だ。なぜなら、襲われて傷つくのは家族だけなのだから。
——そんなうめも、先日無事に生後5カ月を迎えた。
家族に対する触る者みな傷つけるスタイルに変化はないが、仕事中のわたしの膝で寝ようとしたり、外出から帰宅すると駆け寄ってきたりといったかわいらしい姿も徐々に見られるようになりつつある。
実は最近、「攻撃性が高いのも悪いことばかりではないな」と感じるある発見があったことを最後にお伝えしておきたい。
わたしの夫は日勤と夜勤とが隔週で交代する2直制のトラックドライバーで、夜勤の週はお昼前に起床する。
睡眠時間がコロコロ変わるので、かわいそうなことに深い眠りが得られず、起床時間になっても起きてこられないことが少なくない。
しかしここ最近、起床時間に合わせてうめを寝室に解き放つことで、夫は驚くほどスムーズに目覚められるようになったのだ。
無理もない。眠り続けていれば、もれなく大興奮したうめに顔面を食らわれるのだから。
——夫の夜勤週。午前11時50分を迎えると、わたしは寝室の扉をわずかに開け、殺やる気まんまんで侵入していくうめを見守る。
刹那。寝室に響き渡る夫の絶叫。
「うわああああやめて!噛まないで!!野犬だ!!これはもう野犬だよ!!」
うめのおかげで、最近の夫はすこぶる寝起きがいい。わたしの負担が明らかに減っている。
ありがとううめ。
きみとの関係性がこれからどうなっていくか、まだまだ未知数ではあるものの、わたしたち家族はみなきみが大好きだ。
願わくば、噛んだり引っ掻いたりはやめていただきたいのが本音だが、それがきみなりのコミュニケーション手段なのであれば、わたしにはそれを甘んじて受け止め、血を流す覚悟がある。
これからも家族4人+1匹。血と汗と涙に彩られたたくさんの思い出を作っていこう。
さあうめ。そろそろ11時50分だよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?