ショートコント「教習所」

免許を取るために教習に通い始めた。私の住んでいるところはえげつない田舎で、教習に行くために車が必要という大矛盾村だ。
もちろんそんなんでは免許を取る為に免許が必要というとんでもないマッチポンプになってしまうので、家から教習所という破格の無料送迎バスが出ている。
あほみたいに早い時間に迎えが来て、教習を受ける時間まで死んだ目で待機する必要があるので、ロビーにiPadとアイスティーとグミをぶち広げて長椅子を全て占領し、映画やらアニメやらを見るのが私の習慣になっていた。勉強しろという声が聞こえてくるようだが、既に免許は取得したのでご安心頂きたい。

ともかく、私は暇を持て余しており、教習所もめちゃくちゃ閑散期だったので、私が酒場を占拠する海賊もかくやという勢いで長椅子をひとりじめしていることに誰も文句を言わない。どころか、「くみんちゃん何見てるの」などと声をかけてくる始末だ。ちなみにくみんちゃんはその時ちょうど「ハイキュー!!」をちょうど見終わり、「ミッドサマー」を見ていた。

さて、映画も佳境というおり、教習所に一人の老人が入ってきた。恐らく高齢者講習かなにかを受けに来たのだろう。すこし、というかだいぶヨタついた爺さんで、カウンターを探してさまよっている。ちなみに、カウンターは入口のガラス戸の正面である。
受付のおばちゃんが「ハーイ」と声をかけたので、爺さんは迷子から抜け出すことが出来た。そのまま素晴らしく綺麗な秋田弁でこのようなことを言った。

「こうれいすゃのはがぎ来たんだスども」
高齢者のハガキが来たんですけれども。

その一言で受付のおばちゃんは理解したらしく、なにやら手続きのためか、パソコンを見ながら「はい。それでは生年月日を教えてください」と言った。恐らく生年月日で何かの検索をかけるつもりなのだろう。爺さんは意を決した様子で口を開いた。

「秋田県、○○市、××町、字4の2の8 シェガワ タツロウ」

私は思わずミッドサマーから目を離した。
映画では何やら男子大学生が聖なる木に小便をかけたとかでぶっ殺され、めちゃくちゃ地面に埋められていたが、それどころではなかった。

「……はい。ありがとうございます。何年何月何日生まれですか」

受付のおばちゃんもタダでは転ばない。さすがに聞き方を変え、すぐさま切りかえした。私はイヤホンを片方外した。

「あや。何年生まれだがや」

じじいはもはや生まれ年を忘れるほど生きていたらしい。せめて何月何日くらいは言うか、と予測していたが、それ以上何も言わなかった。この辺りで、私の斜め後ろの席に座っていたオタクくんもイヤホンを外し、固唾を飲んでことの次第を見守り始めた。オタクくんは指の動きからアクション系、恐らくは原神か何かをやっていたと思われるが、先程の鬼連打はすっかり鳴りを潜め、息を潜めて爺さんのピンボケ発言を盗み聞きしている。

画面の中では埋められた大学生がついに発見されて、主人公一行の見解としてこの村ヤベエみたいな話になっていたが、もはや見ている場合ではない。じじいとおばちゃんのバトルを見守らなくては。私はユーネクストの一時停止ボタンを押した。

「では今、満何歳ですか」

さすがにおばちゃんもこれはまずいと判断したらしく、いちばん簡単な質問をした。さすがはロビーの秩序を司っているおばちゃんだ。ここまで切り込めばさすがに相手の本丸は落とせたかに思われた。

「ななじゅう、いや、はちじゅう……」

本丸が崩れたら中からマトリョーシカみたいにもう一個本丸が出てきた。私はそっとiPadをスリープモードにし、目頭を揉んだ。

もはや諦めたおばちゃんが、「届いたハガキは持ってきましたか」といくらか投げやりに聞く。無理もない。このじじいは強すぎる。
じじいは無垢な瞳で「婆さんが捨てでしまった」と告げた。打つ手なし。じゃあもう帰せよという雰囲気が漂い始めたところで、

「身分証とか持ってませんか」

と新しい質問が飛ぶ。
よし、さすがおばちゃんだ。確実なところを突く。
そうだ、爺さんは先程純白の軽トラを軽快に操作して、2台分のスペースを贅沢に使って元気に駐車してきた。玄関のガラス戸から見えたので間違いない。車で来たんだから、免許証くらい持っているはずである。

「おお、失ぐしたらアレだど思ってよ、家さ置いできた」

なんと、免許不携帯である。私はこの違反について、一昨日の学科教習で習っていた。反則金は3000円。サイゼリヤの1000円ガチャで3回遊べる額である。
その時、向こうで声が上がった。

「8月20日生まれのセガワさんですか」

学科教習でよく担当になる教官のマルヤマさんだった。彼女は今まで目視でじじいの名前を探していたらしい。
私にはマルヤマさんが救国の乙女ジャンヌ・ダルクに見えた。

こうしてじじいはジャンヌ・ダルクの活躍のおかげで、次のステップに進めることになった。
忘れるところだったが、まだ本人確認しただけである。
セガワ老人はさすらいのコント師では無い。ハガキが来たから教習所にやってきた、いわば私と同じく利用者……早い話がお客さんである。

斜め後ろのオタクくんが横目で次のステップに進んだじじいを見てそっと息を吐き、肩から力を抜いたのが見えた。私はというともはや完全に振り返り、ガン見していた。
セガワ老人におばちゃんが聞く。

「セガワさん、今回お金いりますけれども、代金お持ちですか」
「あや。金な持ってねぇで」

私はオタクくんと目を合わせ、頷きあった。
こりゃ私も免許くらい取れるわ。
この日に大きな自信をつけたおかげで、私はかつてないほど教官に褒めちぎられながら卒業検定まで全ての技能教習をノーミスでこなすことが出来たのである。

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