お別れ

夏休みに一時帰国してから慌ただしい日が続き、随分更新が空いてしましました。

今まで書いてきた子育て・MBAのことを書く前に一つ、書き留めておきたいことがあります。夏休み前から体調を崩し、仕事を休んでいたドライバーのDさんが、復帰することなくそのまま亡くなってしまいました。

そこまで重い病気だと思っていなかったので、突然の訃報に私も夫もショックを受けました。(息子にも伝えましたが、まだ死というのがどういうものか分かっておらず、ショックは受けていません。時々Dさんのことをまだ生きているかのように話すので、切ないです。)

こちらでは珍しいほど丁寧で気の利くDさんは、現地で慣れない私たち家族の生活をいつも優しく支えてくれていました。ただ、ドライバーという存在は家族以外であまり共通に知っている人がおらず、思い出を誰かと語り合うこともできず、なんとなくまだその死を十分に受け止めきれていない自分がいます。少し思いを吐き出したくて、不謹慎な気もしたのですが…、こちらに書き留めることにしました。

こちらではよくあるのですが、死因は特にわからず。今年の4月ごろに彼のお兄さんが亡くなってからすっかり元気を無くし、6月には激痩せして、それから3ヶ月あまりで亡くなってしまいました。お兄さんが亡くなってすぐだったことから、何かの感染症ではと思うのですが。病院にも行っていたはずですが、医者のいうことを聞いていなかった、という話も聞きます。

お葬式に参加しましたが、当然日本とは全く異なっていました。キリスト教徒だったので教会に行くのかな?と思ったら、墓地でそのまま、彼が埋められた土のところに賛美歌を歌いながらお花を挿して、お祈りをするというものでした。驚くほど多くの人がきていましたが、服装も普段着(にカプラナという現地の布を巻くのが正装。喪服はいない。)で、涙もなくあっさりとしていて、死と日常が繋がっている感じがしました。墓地も非常に簡素・乱雑(ゴミがたくさん落ちていたり)で、私の価値観では、とても居た堪れなさを感じるもので、正直、悲しみと戸惑いが増してしまいました。また、人の扱いというものが、死の時までこんなにも差があるものかと…。ただ、これはあくまで自分の中のお墓・お葬式の概念に照らしているだけで。これまで自分が経験してきたお葬式は、故人というより周りの人の悲しみを癒すための儀式だったのかもしれません。

それにしても34歳、早すぎるお別れでした。モザンビークの平均寿命は、ここ15年で10歳ほど伸び、58歳(男性)程度です。それでも感染症による死亡割合等は依然として高く、この国の現実を突きつけられた出来事でした。

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