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布おむつと秘密のミッション

私が小学校に入学し、それまでのようにひいおじいちゃんの家で過ごす時間が少なくなっていった頃、ひいおじいちゃんもまた、日々寝たきりの状態になり始めていた。

もともと無口な人で、にぎやかな家ではなかったが、時には3人でひいおばあちゃんの指導の下、「炭坑節」をうたい、円を描きながら盆踊りを踊ったり、「のり巻きにして!」という私を、布団でくるくると巻いてくれたり、でんぐり返しの練習に付き合ってくれたりした。

そんな時はいつも、広い仏間が、私たちの活動の場だった。


小学校から帰宅すると、私はまずひいおじいちゃんの家に行き、二人の様子を確認するため、縁側から家の中を覗き込む。ひいおじいちゃんが眠っているそばで、ひいおばあちゃんがウトウトしているのが見える。

今はそっとしておいた方がいいような気がして、縁側から中には入らず、庭にランドセルをほおりなげた。私はそのまま家に戻らず、二人が目を覚ますまで庭で遊ぶことにした。


あたたかな太陽の日差しに背を向けながら、スコップを持ち砂の山を作っていると、ふと青いバケツが目に飛び込んできた。

「お砂を運ぶのに、ちょうどいいかも。」

そう思い、私はそのバケツの方へ走った。でも、そこには水がはられ、少し汚れた白い布が入っていた。バケツに入っていたのは、使用済みの布おむつだった。そっと手を入れてみると、ひなたで温められて、その水はなまぬるかった。

私はその時、「今だ!」と思った。なぜか、子ども心に恩返しできるのは、今しかないと思ったのだ。幸い、水は冷たくなく、お天気で太陽も出ている。

私は日頃、客商売をしている家に戻ると、聞き分けよくお行儀のいい子でいなくてはいけない。以前、お店の片隅で遊んでいた私は、虫の居所が悪く、爆発してしまい、その時来ていたお客さんに「お客さん、帰れ!!」と言い放ってしまったことがあった。その行動は、お客様を大変ご立腹させ、家族が土下座して謝るのを目の当たりにし、これは大変なことをしてしまったと自覚したのであった。それ以来、お店では自己制約をかけることにした。

なので、その反動かひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの二人の家へ来ると、時に癇癪を起したり、わがままを言って、困らせたりしていた。大好きなのに困らせてしまうそんな自分を少し持て余していた時期もあった。


私は勇気をもって、そっとバケツの中へ手を突っ込んでみた。最初は戸惑いもあったが、ひなた水で温かくなった水の中で布をヒラヒラさせているうちに、もみ洗いをするのも抵抗がなくなった。いつも、ひいおばあちゃんがやっているのを遊びながら、横目で見ていたのだ。ある程度きれいになったので、水を替え、すすぎ洗いをするためにバケツを庭の水道の所までもっていった。蛇口をひねると、水が勢いよく飛び出し、バケツにたまったが、その水は冷たく、太陽のありがたさを実感した。

私は、ひとつ決めていたことがある。それは、布おむつを洗っているところは、決して人に見られてはいけない、ということだった。なので、ひいおばあちゃんの動く気配がすると、私はランドセルを拾い上げ、その場から走って逃げた。なんとなく、私のイメージとしては、「鶴の恩返し」で、その姿を見られたら、鶴になってしまうのだと妄想していた。


そんなある日、私は不覚にもおむつを洗っているところを人に見られてしまった。それは、ひいおじいちゃんの往診に来てくれていたお医者さんだった。家の中の様子には、気を配っていたが、まさか後ろから人が近づいているとは思ってもいなかった。

「何してるの?」

あまりの驚きに、バケツごとひっくり返りそうになり、ただでさえ人見知りの私は、なにも答えられず、固まってしまった。

私のその様子をみて、お医者さんは家に入っていった。

それからしばらくすると、お医者さんは診察を済ませ、家を出てきた。そして、庭の隅で小さくなっていた私の所へ来て、私の頭に手をのせて、こういった。

「お手伝いしていたんだね。えらかったね。」
なぜか、そのお医者さんは涙目だった。そして、よくみるとかなりのおじいちゃん先生だった。

やはり、見られていた。この「誰にも気づかれずオムツを洗う」ミッションは、その後、そのお医者さんから家族に明かされ、終わりを告げた。


今になって思えば、私がおむつを洗っても、その後、ひいおばあちゃんがもう一度、きれいに洗って干していたのだと思う。ひいおばあちゃんの時間はさほど変わらなかったと思う。

でも、幼い私は、大好きな人のために何かしたかった。そして、目の前にひなた水であたたまった布おむつが入ったバケツがあった。それだけのことだった。

子どもは、大人が思う以上に周りを観察し、大好きな人のためになにか役に立ちたいと思っている。ただ、あたり前だが、まだ経験が浅いため、大人のようにはうまくできない。その役に立ちたいという行動が、ときには大人の足手まといになったり、いたずらと映ってしまうこともあるだろう。

私は、幸いにして私の行動をいたずらではなく、気持ちの延長にあるとわかってくれる人に見つかった。その私のミッションを知った後、ひいおばあちゃんは、私の小さな手を握り、「ノンちゃん、ありがとう」と言ってくれた。私は、素直にうれしかった。

そして、もう一つこの話しには後日談がある。それは、私のミッションを終了に導いたおじいちゃん先生の話だ。その先生は、その場にいなかった私の母や家族に私の行動を話し、小さな子ができることではないとほめてくれたらしい。

それからというもの、そのおじいちゃん先生が往診にみえるたび、白衣のポケットに忍ばしたお菓子を帰り際にそっと出し、「みんなに内緒だよ」と、私の頭をポンポンと2回そっとたたいて帰るという、私たち2人の秘密のミッションができた。





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