払う100円、おごる100円

※このノートは、全文が公開されている「投げ銭」スタイルの有料コンテンツです。

2014.04.08現在、このnote.mu における有料コンテンツの最低金額は100円となっています。
今のところ、私も含め、ほとんどの方が有料コンテンツに「100円」の値札を付けている様ですね。

さて、この100円という金額、高いと思いますか?安いと思いますか?妥当と思いますか?

100円。
普段の買い物で言えば缶コーヒー1本も買えない金額。
100均ショップですら__あの忌まわしい__消費税が加算されるので何も買えない金額。

ですが、そんな「たった100円」であったとしても、いざ、この様なネット上の文章や写真、音楽などに支払うとなると、ブレーキがかかります。
缶コーヒー代にすらならない金額だというのに、何故でしょうか?

そこには「支払い」という行為の持つ重みがあるからだと、私は考えています。

「支払う」という行為は、物ごとに対価を払うということです。
それはつまり、その金額に見合った価値を支払う側が得たという結果__あるいは得られるという見込__が必要になります。

そして、それが無かった場合、人はその「支払い」に躊躇__あるいは後悔__するのです。

ところが、同じ100円を費やすのでも、それが「おごり」となったらどうでしょうか?

応援したい人がいる。
この人がここで100円を得たら、もっと良いものを配信してくれそう。
ちょっとパトロンを気取りたい。

そんな、見込にすらなっていない「想い」で100円を渡す。
それが「おごり」だと私は考えています。

そこには「支払い」に必要な「結果」や「見込」は必要ありません。
ただ、そこに向けての自身の気持ちに100円のお小遣いを添えて渡しているのです。

言うなれば、ちょっとした「期待」の表明です。

金銭的には全く等価な100円ですが、行動背景的には随分と違うものですね。

そして、このnote.mu の場合、それが「支払い」の100円なのか「おごり」の100円なのかを知る方法はありません。
厳密に言えば、コンテンツ内で「払って下さい」あるいは「寄付して下さい」「おごって下さい」など書くことで、ある程度見極めることは可能でしょうが、実際に100円支払う人がどちらの理由で支払ったのかは、受け取る側には分からないからです。

しかし、それが「支払い」であれ「おごり」であれ、「そのコンテンツに100円を頂いた」という事の重みは忘れずにおきたいものです。

__以上全文__

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