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#ミシルラジオ 自己肯定感が高いことから生まれる加害性②
※①の続きです
▶一番拒否し続けたのは自分だ。
「私が~なわけがない。」
「私に価値があるわけない。」
自分に価値があったら、今の現実興味を持たれない自分は何になるのかってどこか否定したかったんだと思います。
自分に価値があったら、興味を持ってくれる人がどれだけいるのかわからないけど
居ないかもしれないから
価値があったら困るのは私だったのだと思う。
だから、何かしらの形でも認められてしまうのが怖かった。
女性であることで価値が出ることも、自分に価値がどれだけの価値があるのか知りたくなかった。
知るのが怖かった。
◻️家族から興味を持たれない現実から逃げていて、自分に価値がないと思い込むことで逃げていた。
◻️恋人になる人が私が必要なのではなくて、女性であればなんでも良いと思い込むことで不要だったり、代用品だったりしても傷つくことを避けていた。
◻️自己肯定感の化け物みたいな人と遭遇すればその否定も無意味に蹂躙された。
◻️自己肯定感がなくても、認めて貰えたことで自分の思惑と関係なく価値が生まれ嫌でも付加される
◻️自分の自己肯定感が低いと相手の加害性の効果を引き立てる。
▶自己肯定感は何処から
ミシルさんの本を読んだあたりで自己肯定感が自分に無いことを違和感覚えて、理由もわからなくて
単純に元家族が自己肯定感の化け物の塊みたいな人だらけだったのでそのせいだと勝手に押し付けていました。
※自己理解が不足していて、単純にそうなんだって思い込みました。
自己肯定感がある事が善行のように勝手に思い込んで囚われてた瞬間だったのだと思う。
肯定感を欲してはいなかったけど無いとならないのかもしれないとラジオを聞いたり、記事を読んだり色々しましたがしっくり来なくて、そういうものがある認識だけでしたが…
最終的に思ったのは自分で頑張って肯定するというよりは、他者から得られる「これでいいんだな」みたいな考えていたより穏やかな感情だなと思いました。
ラジオを聞いて自己肯定感が高いことなら生まれる加害性を考えながら、自分と自己肯定感についてをふりかえると、認めない事で自己肯定感をもたないようにしていた自分もあったなと気づいて。
今の自分は自分に対しての価値を貰えてるのでその影響は恋人や友人のお陰で、頼ってくれたりしてくれて、私に価値をもらえて。
今は本当に感謝しかないなって認識をして。
加害性は結局のところ感情の荒削りな部分が他者に刺さったり、本人が未熟ゆえ想定していなった部分が尖っていたり、相手によって質感を変える部分もあるなって思いました。
その結果、私としては高すぎる肯定感は扱いが困ってしまうだろうなという感情が恐怖というか理解し難いみたいな感情だったのと思う。
加害性もきっと時にはあって人を傷つけていると思う。
そうしてしまうことも認めて、自分をどう肯定感をもつのか。
どちらかというと、ラジオの内容からずっと疑問だった自己肯定感の不在の時の謎が解けた結果の方が私にとっては大きな成果なきがしますが、、
ひとつの学びでいくつもの理解が結ぶこともあるんだなと思いました。
私は今笑えてるだろうか。
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