見出し画像

#ミシルラジオ 殺意が湧いた瞬間

ラジオを聞いたけど、ああ確かに半分。幸せを感じたの半分。

殺意、湧いたことは何度かあるんです。

すこしミシルさんの理由と似ていて、自分を傷つけるために、自分の周りの人を物理的、精神的に傷つけられた時。
もしくは、自分の人間としての尊厳を侵害しようとされた時です。

自分への害は、我慢が正しいかはわからないですが、ある程度は我慢できたし、どうでもよかった。

私を心底傷つけるために周りの人へ暴力を振られた時、周りを圧かけて従わせその元凶は私だと言われた時、私の家族の憶測でしかない中傷で侮辱された時、自分の家族の死を侮辱された時

すべて1人の人間にされたことでしたが……本当に殺意が湧いた人でした。
今ももし一人だけ自由に殺せる権利をいただけるなら間違いなくその人を指名します。(今生きてるのか知りませんが)

「ああ、こうやって殺人て起こるのかもしれないな」って頭の中で静かに考えながらぼんやりしながら殺意を湧かせたのを覚えています。

そのくるべき時がきたら、殺人が起こっていたかもしれない、は本当だなと経験しているので、理解している。

あの時、包丁が私がすぐ取り出せる場所にあったら、場所を知ってたら、その重たい灰皿が私の手の届くところにあったら、それを振り上げ降ろす力があったら……と、本当に思ってしまいましたからね。  
 
まぁ物凄く頭の中で冷静に「今殺人したとして今日のサンダル革紐がちょっとめんどくさくてソールが細いヤツで歩きにくいんだよね」なんて理由もあって、思いとどまれただけ運が良かったと思ってます。

今はそんな人間からは離れて暮らしているし恐らく一生会うこともないので平和なのですが。
そんなこともあったなぁって思いました。

色々人にはそれぞれあると思う。

いい事ばかりでもないと思う。

でも、悲しんでばかり泣いてばかりでも解決はしない。

逃げきれないこともあるかもしれない。

だから、どんなことになっても私は懸命に生きていたい。

殺意を持つことで、その平穏さも知る。

冷えた冷静などす黒いような自分を見つめられる。

人はやはり色んな経験値は、得た方がいいとは思う反面、辛いことだらけは辛いよなぁて思ってしまう。

そう思うと、自分はまだ幸せな人間だと改めて思う。
だって、殺したいと本心から願うような人間がいたとしても、幸せを感じていられるのだから。

これはきっと、自分の力ではなくて、幸せを与えてくれる恋人や両親、まわりの友人、知人、関係者のおかげだと思う。

今日もまた周りの人達に感謝しか浮かばない、ありがとうございます😊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?