14年間履き潰した上履きを靴供養に奉納してきた話
皆様こんにちわ。
「ぶっ壊れた折り畳み傘の捨て方がわからずベランダに2本放置してる」でお馴染み、せいぎのみかたの片割れです、よしなに。
早速ですが、先日僕は東京都台東区にある玉姫稲荷神社に行ってきました。
何故東京の神社に?と思うかもしれませんが、何をしてきたかと言いますと
こいつを神社に納めてきました。
いきなり「ズタボロ」としか形容できないものを見せてしまい申し訳ございません。
in雨の夜on室外機で撮影してみましたがエモーショナルにはなりませんでした。
こちらは私ことせいぎのみかたの片割れが、10年以上前に通っていた高校で上履きとして使用していたサンダルです。
念のためお伝えしておきますと、学校指定のちゃんとした上履きです。トイレ用スリッパではございません。
この上履きと出会ったのは2009年の春。
高校の入学式終了後のホームルームで今後3年間使用する上履きとして手渡されたのがファーストコンタクトでした。
最初の頃こそ「便所スリッパじゃねえか」「学校が靴占いを推奨している?」「冬の東北舐めんなよ」と散々な評価を浴びせていましたが、これが慣れてくると足にフィットして中々悪くない。
通気性も良いので足も群れないしサンダルが飛んで行かないように慎重に歩く癖がついたので廊下を走らなくなるという効果も得られました。
まあ冬は寒いけど。
それから3年、高校卒業のタイミングでこいつともお別れかと思ったのですが一度足に馴染んでしまうと中々捨てるのも憚られる訳で。
そのまま自宅へ引き取り「高校の上履き」から「自宅の室内履き」にジョブチェンジして引き続き履き続けることになりました。
その後もお足の恋人(a.k.aロッテ)として一人暮らしに伴う引越しの荷物選抜にもメンバーとして選ばれるほど長らく愛用してきたのですが、冒頭の写真を見て頂けると分かる通り14年に渡り履き潰した結果、サンダルにも「疲労」というものが蓄積されていった訳で。
全体的に汚れが目立ち、裏地の布は擦れ、土台はヒビ割れ、表面のつっかけ部分は皮一枚で何とか繋がっている状態に。
加えて今年7月、妹から誕生日プレゼントにおニューのサンダルを貰ったこともあり、いよいよ長らく連れ添ったこの上履きとのお別れの時が来たと悟りました。
「今までありがとう、分別方法わからないからそのまま捨てるけど別の形でまた会おう…」
心の中で上履きへの感謝の言葉を語りながら燃えるゴミ袋に突っ込もうとしたところ、ある考えが頭をよぎりました。
いや待てよ…?
このまま捨てたら、もしかしたら…
この上履き、夢枕に立つんじゃねえか…?
と。
急にスピリチュアルな話になってしまい申し訳ございません。しかし、あながち馬鹿には出来ませんよコレは。
日本古来の考え方として「物に魂が宿る」とはよく言ったものでして、長年使い続けた道具に感謝もせず粗雑に捨てると道具に魂が宿り「付喪神(つくもがみ)」として暴れ出す、なんて話も残っています。
仮にここで、上辺だけの感謝の言葉を述べて燃えるゴミに出すような真似をすれば、その日の夜には巨大化した上履きの付喪神に踏み潰される夢を見ることになりかねません。
おそらくその付喪神の姿はクーロンズ・ゲートの鬼律(グイリー)か妄人(ワンニン)みたいな見てくれをしているに違いないでしょう。
しからば上履きをそのまま捨てるのではなく然るべき方法でお別れするのが持ち主としての責任と思い、供養の方法を探し始めました。
しかし、宮城県内のお寺や神社のホームページを探してみても「靴の供養」という特殊案件を引き受けてくれるところは中々見つからず調査は難航。
「古い上履きに踏み潰される夢を見た」など、実際に僕自身の身に何か降りかかっているならばその辺のお寺でお祓いでも行けば良いのかもしれませんが、現時点ではまだ立ってもない夢枕に上履きが立つかもしれないと僕が被害妄想を膨らませているだけの状況。
相談したとて住職から優しく嗜められるのが関の山でしょう。
この際、来年まで待ってどんと祭でお焚き上げにでもするべきかと思っていたところ、こちらのサイトがヒットしました。
ほほう、古靴を焚き上げる「靴供養」とな!
思わず「僕だけを狙い撃つ祭りかよ!」と言いたくなるほどタイムリーなお祭り。
これなら上履きを正式にお別れするという目的も果たせるし、久しく東京に行く機会もなかったから久々の観光としても丁度良い(感染対策は必要だけど)
かくして、これ幸いにと上履きとのお別れを暫し保留とし、靴供養へ参加するべく「靴のめぐり祭り市」へ行くことに決めました。
…そして季節は巡り、11月26日。
祭り当日に休日出勤をぶち込まれるというアクシデントに見舞われるも早朝出勤を難なくこなし、目的の玉姫稲荷神社へ向かうべく9時前の新幹線に乗車。
よもやこの上履きも、カルディコーヒーファームの袋に入れられて東京に向かうことになるとは夢にも思わなかったでしょう。
10時半頃、上野に到着しそのまま友人との待ち合わせ場所であった南千住駅へ。
こちらは今回の靴供養に同行してくれる20年来の親友・タイト。
現在は東京のシステム会社で働いており、コロナ禍の影響もあり実に2年半ぶりの再会。
今回の記事用に写真を撮ろうとしたところからあげクンのレモン味で顔を隠してきたため、記事的にもちょうど良かったのでこのまま載せます。
(以後、顔を隠す必要がある写真についてはからあげクンで隠すことにする)
再会の喜びもそこそこに、早速目的の玉姫稲荷神社へ向かうことに。
調べたところによると、玉姫稲荷神社のある台東区は19世紀後半にリーガルコーポレーション(革靴ブランドの「REGAL」の会社)の創業者である西村勝三さんが整靴会社を立ち上げたことがきっかけで皮革産業と共に発展してきた町だそうな。
また、この周辺は「山谷」と呼ばれ、簡易的な宿泊所が多かったことから労働者が集う所謂「ドヤ街」だったという歴史があるらしく、現在もその名残なのか神社へ向かう道中でも激安の簡易ホテルが幾つも営業していました。
(余談だが「持ち帰り!そういうのもあるのか」でお馴染みの孤独のグルメ第1話に出てきた店もこの辺りにあるらしい)
まいばすけっとを見るたび「東京に来たなぁ」としみじみ思うのは僕だけだろうか。
ズンズン歩いていくうちに会場の神社近くへ。
神社の外にも露店が見られるようになり、来場者と思われる人々も増えてきました。
絵に描いたような「地域の掲示板」に靴のめぐみ祭り市のチラシが貼ってありました。
日に焼けた状態の小島よしおが防災を訴えているポスターの上に貼られている。
この雑さが如何にも「地域の掲示板」たらしめている。
いよいよ神社へ到着。
開始からすでに1時間半ほど経過していたので境内は既に結構な賑わいの様相。
検温・消毒をしっかり済ませて検温済シールもいただき、いざ境内へ。
入る前から見えていた通り、境内は地元の方々と思われる人々で賑わっており、一部人だかりも出来ていました。
(写真を撮るタイミングが悪かったのか、僕が知らぬうちに「全台東区民に告ぐ、せいぎのみかたの片割れが通るから道を開けろ」と呟いていたのか、この写真は比較的スペースが多めですが本当に賑わっていました)
今回のお祭りにおける僕の目的はあくまで靴供養でしたが、このお祭りの一番の目玉はやはり、お祭り自体の名前にもなっている「靴のめぐみ祭り市」。
地元企業と思われる靴屋さんが多数出店しており、靴やカバンなどの皮革製品が通常の半額以上の値段で大量に販売されていました。
そこら中見渡す限り靴、靴、靴。
こちらのお店では両サイドに革靴の壁(ウォール・レザーシューズ)が。
所狭しと並べられた革靴の圧倒的物量もあって、靴を見定めるはずのこちらが靴に見定められているような感覚というか、どこか厳かな雰囲気すらありました。
ちなみにこの日は「第15回日本シューズベストドレッサー賞」の授与式もありました。
なんでも、その年で最も革靴が似合う著名人に賞を贈るベストドレッサー部門と、優れたオリジナル革靴を製作した職人に送られるクラフトマン部門があったそうな。
僕が到着した時には既に撤収直前だったので授与式の様子は確認できませんでしたが、ベストドレッサー賞受賞の内藤秀一郎さん・王林さん・関根勤さんの姿が確認できました。
もう少し早く行っていれば千葉真一のモノマネしながらランウェイを歩く関根さんが観られたみたいなので、今回の旅の中でここが一番悔やまれるポイントだったかもしれない。
AM11:30頃。
ついに靴供養受付へ到着。
こちらの受付で奉納する靴を引き渡して、15時から行われる靴供養で実際に奉納されるとのこと。
別れを惜しむように苦楽を共にしてきた上履きの汚れや破れを眺める。
思えば遠くまで来たもんだ。
僕の番が回ってきた。
遂に14年の付き合いに終わりの瞬間が。
「よろしくお願いいたします。」
言葉少なに後を託すように受付の方へお渡ししました。
(今思えば14年間履き潰したボロッボロの上履きを裸で渡すの、良くなかったかもしれない)
上履きと引き換えに木札を受け取った。
どうやらこれに奉納者本人の名前を書いて靴の代わりに燃やすらしい。
てっきりその場でお焚き上げすると思っていたけど、神社周辺は普通に住宅街なのでその辺りへの配慮もあるのだろうか。
タイト「名前書いて燃やすって、そういう呪いありそうだよね」
せいぎ「同じこと考えるなよ」
こちらも奉納して事前の申請は終了。
受付への引き渡しの際、なんだかんだ言ってずっと身に着けてきたものだし、アンニュイな気持ちになったりするのかなーと思っていたのですが、直前まで受付における手順を確認していなかったので「あれ?ここで渡して終わりなんだっけ?」「木札?何?足先安全的なお守り?」とワタワタしてしまい、慌ただしいお別れに。
一番の目的は果たせたので、15時からの靴供養の前に会場周辺をぶらつくことに。
神社の外では境内と同じように革靴販売のテントに交じって、財布やベルト等の小物を売っている露店や衣服類を売る店、ギリギリ神社近辺とも言えない軒先でフリーマーケットをやる地元民などで混沌の様相。
こういう、色んなものが統一性なく雑多に溢れている感じがいかにも「地元民に愛されるお祭り」感を強めている。
同行者のタイトは店頭にて1枚300円で売っていた皮の端切れを購入。
「趣味の科学実験で使う器具のすべり止め用に使う」とのこと。
この後通勤用のバッグも他の店で買ってたので、今回の旅で彼の方がよっぽど「靴のめぐり祭り市」をエンジョイしていたかもしれない。
渡した上履きと引き換えに「抽せん券」を貰ったので抽選会場へ向かうことに。
本堂の前に抽選会場が設置されており、こちらでお参りがてら抽選に参加。
景品の中には1万円以上の商品券などもある中、気になる結果は…
末等のマスクでした。
ティッシュとかじゃないの、いかにも時勢だなぁ。
こちらは受付近くにあった靴神輿。
地元の靴業界をさらに盛り上げるために作られたらしいけど、靴に世界が支配されているディストピアの象徴っぽさもある。
コロナ禍前にはこちらを担いで周るイベントもあったらしいのでコロナが落ち着いたら再訪して今度はちゃんと担いでみたい。
タイト「巨万の富を得たゴー☆ジャスがこれ使ってネタやってそう」
せいぎ「だとしたら靴がジャマすぎるだろ」
こちらはシンデレラの靴が祀られた王冠の靴神輿。
この靴に合う女性を見つけられた王子様がそん時のテンションのまま作らせたのかと思う靴のフィーチャーぶり。
その後は昼食がてらタイトの予定を済ませる為に秋葉原に寄ったりしていたら、あっという間に15時の靴供養の時間に。
この旅で一番の謎。
参加は先着30名限定だったものの、開始10分前に到着した時点ではかなり席数に余裕があり難なく2人分の席を確保。
会場には既に参列客から集められた靴がうず高く積み重ねられており、履き続けられたが故の靴の情念のようなものが感じ取られた(と思っている、思いたい、人間誰しも感受性は豊かでありたいから)
横には神棚と、竹で出来た囲炉裏のようなものが。
受付で書いた木札をこの囲炉裏で焼くことにより供養とするらしい。
そして遂に供養がスタート。
巫女さんにより靴の供養が行われ、囲炉裏に火が灯される。
その後、係の人に案内されるまま木札を受け取り焼いていく。
※以下、自分の席にスマートフォンを置いて撮影した映像を加工した画像を用いて靴供養を説明する。映っていない部分については画像内で補足するものとする。
まずは案内されるまま一列に並び。
手水で一般的な参拝と同じ手順で手を洗う。
紙ナプキンを受け取り、手を拭いて…
改めて木札を受け取る列へ。
そろそろ僕の番…。
遂に僕の番。巫女さんから木札を5,6枚受け取る。
今更ながら自分の分だけ渡されて燃やす形式ではなく、ランダムに複数枚を燃やす形式らしい。
靴への感謝は皆で分かち合うという事なのだろうか。
そのまま囲炉裏の前へ並び…。
順番が来たので、囲炉裏の中へ木札をそっと投げ入れる。
参拝の要領で二礼二拍手一礼。
その後は列を乱さぬようそそくさと席へ戻る。
その後は粗品を受け取り靴供養は終了。
時間にしておよそ10分程度。殊の外短い式典だったものの大量に集められた古靴たちは何とも言えない雰囲気というかパワーを放っているような感じで、改めて「物に魂が宿る」という考えが強まりました。
今回の目的であった靴供養を終え、玉姫稲荷神社を立ち去ることに。
あくまで靴供養の為に訪れた神社だったものの本当に境内のどこを見ても靴で埋め尽くされていたので、次回開催時には舞台用のお洒落な革靴でも見繕いに来るのもいいかもしれない。
あと、この日ブーツを履いてきてしまって脱ぎ履きが面倒で何も合わせたり買ったりしなかったところは否定できないので次来る時はスリッポンとかで行くべきかもしれない。
ちなみに、その後は神社周辺をぶらつきながら流れるようにもう一つの目的地であった「湯どんぶり栄湯」へ。
受付を過ぎると天然うなぎがお出迎え。
同じ水槽に小さな魚も何匹かいたので稚魚かな?と思ったら、店員さん曰く「うなぎのエサ」とのこと。
…という訳で、靴のめぐり祭り市にて、靴供養に参加してきました。
思い付きで参加を決めた靴供養でしたが、いざ行ってみると大量の靴が一同に会するという独特の非日常感を持ったお祭りで、大変面白い経験が出来ました。
来年4月には「こんこん靴市」というお祭りが同じ玉姫稲荷神社で行われるらしいので、そちらもゆくゆくは行ってみたいところ。
そして改めて、長年履き続けてきた上履きをちゃんとお別れできたのも良かったな、と。
なんだかんだ、人生の半分近くを共にしてきた上履きでしたから、これで後はゆっくり休んでくれればと思います。
そしてゆくゆくは形を変えて、何らかの形で僕の元に戻ってきてくれれば、それが一番なのかなと思います。
何と言っても、今回言ってきたのは、靴との出会いに溢れた「靴のめぐり祭り市」ですから。
きっとあの上履きも廻り廻って、また別の形で僕の足元へ…
と、思っていたら靴供養の粗品、まさかのスリッパだった。
循環が早すぎる。
以上、14年間履き潰した上履きを靴供養に奉納してきた話、でした!
ありがとうございました、よしなに!