電中日記 アキコ16

 付き合い始めて3日後にアキコと会った。僕はその日の放課後、校門を出て駅と反対方向にある大きな公園に歩いて向かった。公園の入口にはすでに自転車のハンドルを握って立っているアキコの姿があった。白のブラウスに紺のカーディガンを腹に巻き付けていた。僕は彼女の制服姿をそのときに初めて見た。

 改めて二人で会うというのは恥ずかしいもので、「こんにちは」「おつかれ」なのか、なんて挨拶をすればいいかも分からず近づいていくと、彼女の方から声を掛けてきた。

「あっタツル君」
「おー、久しぶり。いや、三日ぶりだね」
「そうだよ。あの、改めて……よろしくお願いします」
芝居がかったセリフだと思ったけれど、それで笑うような余裕もなく
「こちらこそ、よろしくお願いします」と返した。

「今日、どこに行こっか」
「んーとりあえず、歩くか」
「うん、いいよ」

 アキコとは会うと約束しただけでとくに目的を決めていなかった。それまで友人と会うときは何か、例えばカラオケやゲーセンという目的を常に必要としていて「会う」という行為が目的となることはなかった。それが今は彼女と会うことが目的になっていて、自分がいま不思議なことをしているように思えた。

 広い公園の中の舗装された道を歩いた。ひとまず自分たちがやってきた側と反対の出口を目指すことにした。僕は荷物をアキコの自転車の前カゴに載せて、アキコはその自転車を引きながら歩いた。

 学校が始まってからは毎日学校で事件が起こるので話題には事欠かなかった。罰ゲームでランドセルで登校して駅から学校まで恥ずかしくてダッシュしたとか、ハンバーガーをいっぱい買って4段や5段のピラミッドを作ったとかそういう笑い話をした。笑い話のすきまには数々の先生に怒られたことがある。若い女の先生の胸を鷲づかみにして本気で怒られたり、授業中の先生の尻にズボンの上からペンを勢いよく差し込んで怒られたり、コンドームを水風船にして遊んでたら怒られたり、意味も無く技術家庭の先生から角材で頭を叩かれたとかした。僕らは先生に怒られるたびに、人に迷惑を掛けない面白いこととは何かを学習していったのかもしれない。

 アキコは僕の言う話を全部楽しそうにして聞いていた。言うこともなくなって大判焼きを何個食べれるか限界まで挑戦した、とかあまり面白くもなさそうなことを話してもずっと楽しそうだった。

「ほんと楽しそうだね、タツル君の学校。うらやましいな。一回行ってみたい」
「いやダメだろ。制服違うし」
「うーんじゃあ、誰かに借りて潜りこむ、とか?」
「うーん、でも誰かいるかなあ、貸してくれる人」
 面白いアイディアだなとは思ったけれども、僕はアキコの存在を自分の学校の人には知って欲しくなかったので言葉を濁して話題を変えた。

「ところで学校の友達たちは知ってるの?アキコに彼氏ができたって」
「うーん、どうだろうね。ミカには話したけど」
笑いをこらえきれないような表情で言うので
「あーそう、じゃあみんな知ってるね」
とふっかけると、彼女は案の定大きな声で笑い出して言った
「えーいいじゃん。そりゃあ言うよ嬉しいもん。今日もずっとその話してて」
「まあそうだろうと思った」
「タツル君は?」
「うーん、俺は全然言ってないな。小橋とかはめっちゃ『アキコどうよ』みたいなこと言ってくるけど」
「そうなんだ。あんまり、言いたくない?」
「んー、いや、そういうの自分から言いふらすのって恥ずかしいから」
言いたくない、とも言いたくない。答えに窮して、また話題を変えることにした。

「そういえば、俺ら初めて会ったときさ、あの朝。ずっと『ごめん』って謝ってたじゃん。って覚えてる?」
「うん、覚えてるよ」
「今更なんだけどさ、なんで謝ってたのかなって、あの時から思ってたんだよね」
「えーっだってなんか、私タツル君の近くで吐いてたじゃん。それに、頼りっきりで悪いと思ってたし」
「えっいやそんなの、草むらなんだしいいじゃんそんなこと気にしなくて」
「あ……うん」
「ホントにそんなこと気にしてたの」
「えーっと、いや……」少し間を置いてからアキコが続けた
「正直に言うとね、タツル君が女の子とチューしたこと無いって言ってたから」
「えっ、ああ、まあそうだけど。それで?」
「いやだって、初チューでしょ。私が奪っちゃって良いのかなって」
「えっ、そんなんで謝ってたの?」
「うん」

 普段から大人に怒られまくっている僕にとっては反省を促される以外で謝る機会などなく、アキコの考えていることは全然理解ができなかった。別に相手を傷つけたわけでもなんでもない。むしろステップアップを手伝ってあげたくらい思ったっていいだろう。男子にとって初チューや童貞なんて宝でも何でも無く、とっとと捨てるものだと僕は思っていた。

 あれこれ話すうちにあたりも暗くなってきたので、公園を抜けた先にある駅に歩いて向かった。アキコは向かう途中にある駅から少し離れた駐輪スペースに自転車を止めた。彼女が自転車を置いたのを確かめてから僕は駅の方角に身体を向けた。するとそのとき、彼女が両手で僕の右手を握った。僕は彼女の少し照れたような顔を見てから、やや引っ張るように彼女の左の手のひらを掴んで「行こ」と言った。指と指の位置を何度か変えて、きっとこうやって手を繋ぐんだろうなと思った。

 改札で別れてから、電車の中で今日のことを思い出した。自転車は自分が代わりに引いてあげるんだったかな。まあそんな、気を使いたくもないし、気を使ってる感じを出したくもない。別に好きでもないのに最後手を繋いじゃって、何やってんだろ。そんなことを思いながら、高田馬場に向かうガラガラの西武線に座っていた。

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