「旨味」ずるい

 食への関心は高いとは言えないと思う。社会人になってからお昼をとる時、1人だったら必ずコンビニに行く。おにぎり1つとサラダチキンバーを食べて、それで終わりだ。ダイエットをしているわけではなく、これで良い。毎日お店で定食だなんだと食べると経済的に厳しいというのもあるが、もし値段が一緒でもコンビニには行くと思う。会社の昼休みという限られた時間の中でお店を探して何を食べるか考えて…というのが煩わしい。思考停止してコンビニに行き、バーコード決済するのは楽で良い。

 

ではできることなら食事をせずに生きていたいのかというと、そういうことでもない。1文目の通り関心が人よりちょっと薄いかもしれないだけだ。美味しいものは美味しいと思うし、美味しいものを食べることは好きである(美味しいものが嫌いな人間いる?)。普段の昼休みではコンビニでケチっていても、夜に友人と美味しいものを食べるのならそこまでお金を惜しまない。美味しさはモチベなのだ。

 なぜ食べ物が美味しいのかは言うまでもなく味がついているからだ。その味とは5つの基本味覚に分類されるという。5つの味覚が異なるアプローチで美味しくなろうと頑張ってくれているのだ。

 甘味、酸味、苦味、塩味、旨味

 1人だけ自ら旨いとアピールしている味覚がいる。なんだこの図々しい味覚は。これで実際には他の4つの味覚と変わらないのであればまさに噴飯ものなのだが、悔しいことに旨味は本当に美味しい。なんだか物足りない味噌汁に塩を足しても砂糖を足してもレモン汁を絞ってもコーヒーを混ぜてみてもむしろ美味しくなくなるだろう。ただ、ダシさえとっていればその味噌汁は美味しくなっていたのだ。他の味覚たちはそれぞれ頑張ったうえで、美味しくなったりならなかったりするのに、旨味はワンパンで料理を美味しくしてしまう。我々の食へのモチベを高めてくれるのはありがたいが、なんだかずるい。美味しさを構成する要素の1つが美味しさそのものであって良いのか。しかも旨味は比較的最近になって発見されたらしいのだから他の味覚からしたら堪ったもんじゃないだろう。僕が苦味だったら転職して触覚とかになると思う。塩味だったらもうちょっと味覚で頑張ってみようと思う。

 しかしながら、美味しさは味覚以外の多くにも左右されるので、旨味イコール美味しさというのは間違いだという。旨味も結局美味しさを構成する一要素でしかないということだ。だが、いつも昼に食べているサラダチキン、つまり鶏胸肉には旨味成分がしっかりと含まれているらしい。コンビニおにぎりには当然のように旨味調味料が盛られているらしい。「食に関心がないモード」のときも、旨味に踊らされていたようだ。旨味め。


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