【一発録音!ウクレレ ソロ独奏】『津軽海峡 冬景色』※カヴァー、音声のみ
ukulele_ju11ichi |名古屋在住ウクレレ講師
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津軽海峡、渡ることが 長年の夢でした。
大学生の時、青春18切符を使って 日本全国を周りました。
東京の4畳半の下宿先から その日のうちに新潟・佐渡島に渡ったものの、
宿が取れず、「ここで良ければ・・・」と案内された部屋が 4畳半だったり。
太宰治の生家が まだ旅館をしていて、お風呂が下宿のより 狭かったり。
秋田城の散歩中に、中学の先生から「お前、そっくりだよ」と言われ続けた
庄司太郎(歌手)の像に、ばったり出会ったり。
色々ありますが。
津軽海峡は、どうしても 船で渡りたかった。
ところが、本州と、北海道を繋ぐ青函トンネルの開通により、利用者が激減。
津軽海峡連絡船は 廃止となっていた。
その数年後、どうしても 諦めきれず 降り立った青森駅。
真夏だったので、雪の中ではなかったけれど。
ふと見ると、駅前に 港のような跡が。私の実家は徒歩5分で船着き場があり、解るのです。
あぁ、思わず駆け寄り、写真を撮る私の目に、
「青函連絡フェリー 4km」の看板。
知らなかった。フェリーが出てたなんて。
幼少期に父のラジオから聴いた歌。
ボブ マーリーを聴きながら 北のはずれの竜飛岬を見たこと。
思い出しながら 弾いてみました。
大学生の時、青春18切符を使って 日本全国を周りました。
東京の4畳半の下宿先から その日のうちに新潟・佐渡島に渡ったものの、
宿が取れず、「ここで良ければ・・・」と案内された部屋が 4畳半だったり。
太宰治の生家が まだ旅館をしていて、お風呂が下宿のより 狭かったり。
秋田城の散歩中に、中学の先生から「お前、そっくりだよ」と言われ続けた
庄司太郎(歌手)の像に、ばったり出会ったり。
色々ありますが。
津軽海峡は、どうしても 船で渡りたかった。
ところが、本州と、北海道を繋ぐ青函トンネルの開通により、利用者が激減。
津軽海峡連絡船は 廃止となっていた。
その数年後、どうしても 諦めきれず 降り立った青森駅。
真夏だったので、雪の中ではなかったけれど。
ふと見ると、駅前に 港のような跡が。私の実家は徒歩5分で船着き場があり、解るのです。
あぁ、思わず駆け寄り、写真を撮る私の目に、
「青函連絡フェリー 4km」の看板。
知らなかった。フェリーが出てたなんて。
幼少期に父のラジオから聴いた歌。
ボブ マーリーを聴きながら 北のはずれの竜飛岬を見たこと。
思い出しながら 弾いてみました。
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