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なぜ余剰ワクチンを首長が接種することに疑念が持たれ、説明責任を果たさなければいけないのか

ここ数日話題になっている余剰ワクチンの接種の扱いについての話。

発端となったニュース記事

2021年5月13日の朝日新聞DIGITALの記事。岐阜県下呂市の市長らがCOVID-19のワクチンの高齢者に対する接種において余剰となった分を接種したことが物議となった。また前後して別の複数の自治体でも同様の事例が報道されている。

2021年5月13日毎日新聞。茨城県城里町の事例。

2021年5月12日東京新聞。兵庫県神河町の事例。

似たような話でワクチン接種の業務に従事する人に対するワクチン接種(ややこしい)の対象者に首長が含まれていたという報道もあったがこれはこの記事では扱わない。

私のTwitterのタイムラインでは「効率が最優先なのにくだらない批判をするな」というような有名人のツイートが大量にRTされていた。しかしどうにも考えが足りない言説が多い。大学教授、医師、国会議員であってもそうだ。

自分の考えを整理し、またネットにおいて残らないであろうことを残すために記事にしておく。

余剰ワクチンの取り扱いについての国の方針

接種予約のキャンセル等で余剰となったワクチンについてはコロナ禍の緊急性とワクチンの希少性の理由から可能な限り接種できる者に接種するのが望ましいとされる(現在のCOVID-19向けワクチンは一度常温にすると数時間以内に使用しなければいけない)。

2021年3月15日NHK。「“医療従事者用ワクチン 余剰時は柔軟に対応を” 河野大臣」

以下、厚生労働省の業務向け案内と余剰ワクチンの扱いに関して記載のあるPDF。

当該ページの画像を載せておく。

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余剰ワクチンについて本来の接種対象者ではない者に接種することは国の方針としては問題ない。

首長が説明したこと

さきのニュース記事では首長の説明は以下のようなものである。

「ワクチンは1本も無駄にできない。コロナ対策の責任者として、感染による行政の空白をつくらないよう接種を決断した」(下呂市山内登市長)
「公立神崎総合病院の開設者として病院の会議に週1~2回参加している」
「院内での感染リスクを考えて接種した。制度上問題がないかもきちんと確認した」(神河町山名宗悟町長)
「接種は(町の)保健センターで行われるため、その開設者である私も医療従事者。キャンセルが発生し、廃棄を避けるため接種した」
「町内でのワクチン接種は保健センターなどで行われ、ここは医療機関に当たるため開設者の私も医療従事者となった」
「ワクチンの廃棄を避け、接種事業を停滞させないため接種した。現場で指示を出しており、感染することは予防しなければならない」(城里町上遠野修町長)

ニュース記事であるし実際の会見がこの程度の分量で済むはずはないからコメントの抜粋であろうことは間違いない。それは差し引かなければならないものの説明が足りず状況を踏まえた説明として不十分なことがいくつかある。

首長が本来説明しなければいけなかったこと

まず国の方針として余剰ワクチンを消化すること自体は推奨されていること。これは防衛的に前提として提示した方がよかった。

下呂市山内登市長については立場の重要性から接種したということだが今後も余剰ワクチンは立場順に接種者を決めていくのか。職階において同程度の重要さであった場合に誰がどう判断するのか。それで迅速に分配できるのかという懸念がある。

神河町山名宗悟町長についても自身の適格の話にのみ終始しており自治体としての余剰ワクチンの分配方針についての言及がない。また4月下旬に病院に相談し5月6日にキャンセル分を接種したとあるが他のキャンセル分についても事前に接種対象者を個人単位で決定しているのか。それはどういう方針によるものなのかという説明がない。

城里町上遠野修町長については「医療従事者等の優先接種の局面」における余剰ワクチンについて「私も医療従事者」として接種している。しかし本来の接種対象であれば「元々受ける予定であったがキャンセルが出たので繰り上げた」と説明すれば良い。そうでないのであれば当該局面が指す医療従事者と混同させる拡大解釈であり言葉の使い方が適切ではない。

結局のところ首長が説明すべきだったのはどういう方針で余剰ワクチンを分配しているのか、今回その方針がどうやって自身に適用されたのか。そして今後のキャンセル分について適切に対応できるのかということである。

というか、そもそも余剰ワクチンの接種方針を作っていますか?

効率性のためには方針が必要

方針・取り決め・ルール、というと効率性が損なわれると思う人も多いだろう。しかし単純で曖昧さがなく短時間に対象者を決定できる方針を作ることは可能であるし、そのような方針であれば効率性を損なうことはない。

・余剰が出た場合は、その場にいるものの中で年齢の高い順に決定する
・余剰が出た場合は、職員のうち役職の高いものから順に決定する
・余剰が出た場合は、その場にいるものの中からクジ引きで決定する

思い付きではあるものの上に挙げたような方針であれば現場で自動的に誰が接種するのかを決定できるという点で効率性は損なわない。むしろ余剰分の接種対象者の決定を迅速に行える方針をあらかじめ作っておいた方が決定にかかる時間、連絡手段を確保する時間を削減することができる。また方針なくその場その場で決めていてはそのたびに決定した人物に責任が発生することになる。

方針も準備もなく余剰ワクチンを取り扱うことはむしろ非効率で無責任なのである。

余剰ワクチンの取り扱いの方針がない場合の弊害

方針を何も作らずに余剰ワクチンに対応していった場合、少し考えるだけで以下のような事態が思いつく。

・接種業務関係者が金銭を含む便宜を対価にキャンセル分を融通する。あるいは融通したような疑念が発生する。
・接種業務関係者が身内などにキャンセル分を融通する。あるいは融通したような疑念が発生する。
・キャンセル分を接種できないかと言う問い合わせが行政機関に殺到する。
・キャンセル分を期待する市民が接種会場付近に集合するようになる。

あらかじめ方針を作り「余剰ワクチンはこのような方針で分配します」と公表しておけば余計な期待による行動を抑制することができるし実際の接種者が方針にそって決定されたか事後に検証も可能になる。

取り決めなく人物の重要さから決定してはいけない

一部に首長はコロナ対策に重要な人物だから良いのだという言説が見られた。医療従事者が同様の理由で優先されているのでそれ自体はすべて間違いというわけではない。ただしやはり重要さによる優先も事前に決めておくべきだ。

ワクチン接種が継続していけば余剰ワクチンの件数は自治体ごとに10、100、1000と積みあがっていく。その都度、現場で重要さを判断するのか?重要な人から接種していくと重要かどうか判断が難しい人たちが増えていくが説明責任を果たせる決定ができるのか?都度、個別に判断するのを隠れ蓑としてあまりに恣意的な決定ができてしまわないか?など問題が増えていく。

人物の重要さによって余剰ワクチンの接種優先度を決めても良い。ただしその場合であっても「我が自治体はこのような役職を重要であると定め、余剰ワクチンの接種について高い優先度を持つと取り決める」と明示しあらかじめ公表すべきだ。

今後、増えていく余剰ワクチンの取り扱いの難しさ

今のところ報道にあがってくるのは余剰ワクチンを接種会場あるいは接種会場近くにいた首長・職員が接種したというものだ。しかしワクチン接種業務が継続するにつれて別の問題が出てくる。接種業務にあたる職員の大半が余剰ワクチンを接種してしまい、職員だけでは消化できなくなるという事態だ。

こうなると接種会場の外の人間、接種業務職員ではない人間を接種対象者にしなければいけない。どう決めてどう連絡するか、接種できてない人にどう説明するか、キャンセル待ちの仕組みを作るのかどうか。考えていかなければいけないし、ここでも方針の公表は重要だ。

あらかじめ「抽選です」と公表しておけば「はずれたかー」で済む。「年齢順です」と公表しておけば「もうすぐかー」で済む。しかし方針を公表せず場当たり的に決めてしまうと市民に余計な疑念が生じてしまう。

決定・連絡・移動の実務の面、対象から外れた市民の感情の面、両方において方針の決定は重要である。

余剰ワクチンの分配ルールを決める取り組み

余剰ワクチンの分配ルールについては京都市の取り組みが報道されている。

2021年5月10日毎日新聞。「新型コロナ キャンセルに迅速対応 ワクチン接種 候補リスト作成へ 京都市 /京都」

2021年5月11日京都新聞。「余剰ワクチン「捨てないで」救急隊員や保健師ら出向いて接種へ 京都市が優先リスト作成」

本当に余ったワクチンを無駄にせず効率的に消化するためならばこのような取り組みをしていくべきだろう。

公平性と効率性が対立するという誤り

この件について「公平性より効率性!」と熱病にでもかかったんじゃないかという語気で語る人が多いのだけれど(まあぼちぼち妥当な)公平性と効率性を両立させることはできる。

「公平性より効率性」と言われるようになった発端はおそらく河野太郎氏の以下のような言葉である(公平性・効率性の言葉は政治経済の領域でよく使われるようだ)。

これは高齢者向けワクチン接種の接種券の配布について、多くの自治体が高年齢から段階的に配布せず対象年齢全員に一斉配布したことについてである。また一斉配布後の接種日時確定が全員予約制である自治体が多く、そのため予約の混乱が発生していることについても公平性・効率性の言葉で語られることがある。

しかしそもそも年齢が高い順に段階的に配布することは不公平なのだろうか。出自に差別されない機械的なルールと考えればそこそこ公平とも言える。

全員が希望の日時を予約できるというのは公平なのだろうか。いまだ就業していて日中電話を使えない人、手伝う家族がいない人にとっては不公平極まりない。

福島県相馬市、福島県相馬郡新地町などではあらかじめ意向調査はがきで希望日時を集計し自治体が調整したうえで集団接種の予定を通知しているという(相馬モデルと言われているようだ)。これなどは公平性と効率性をある程度両立している。

公平さというものが曖昧だったり、割と両立できたり、ランダムや機械的ルールという公平性の方がかえって効率的だったり、公平性と効率性は対立させて考えるものではない。

出自や貧富によって決めるような著しい不公平、特に意味のないルール・仕組みで遅滞するような著しい非効率を回避するのが重要だ。

ワクチン接種業務について呪いのように公平性・効率性の言葉が浮かんでしまうかも知れないが予断を振り切ってまずは問題に深く潜ることを忘れてはいけない。

まとめ、各自治体の首長がすべきこと

途中、話が逸れたがまとめとしては以下になる。

・方針がなければ恣意性が発生し、恣意性があれば疑念が生まれる
・あらかじめ余剰ワクチンの接種対象者決定の方針を策定する
・その方針は自治体住人に対して公表・通知しておく
・接種業務従事者・自治体職員だけでは消化しきれない状況、接種会場の外に接種対象者を求めなければいけない事態に備えておく

これだけやっておけば公平に、効率的に、迅速に余剰ワクチンの消化を行うことができる。また報道から問い合わせを受けても「あらかじめこのような方針を立ててあり、住民の理解も受けている」と説明することができる。

国が方針まで出せばいいじゃないかという声もあるが人口数千人の自治体と数十万人の自治体では適切な方針も大きく異なり難しさはあると思う。それでも「こういう風な考えで、こういう選択肢がある」というような手助けはできたとは思うが。

付、報道各社について

各記事は扱いが小さいのでコメントが省略されている(であろう)ことは仕方がないにしても、国の方針として余剰ワクチンは極力消化すべしとなっていることは付け加えた方が余計な感情を煽らずよかったのではないかと思う。

付、河野太郎氏について

予約方式の件についても余剰ワクチンの件についてもちょっと自治体を信頼しすぎなきらいがある。頑張ってはくれるけれどそれほど完璧に頭がまわるわけじゃないという前提で各種方針策定について先んじてフォローをしていった方が良いと思う。

思考停止したら負け

伝えているのがマスコミだから、緊急事態だから、公平性より効率性だから、そういう擦り切れたフレーズに頭乗っ取られて即座に深く思考をめぐらすということを放棄したら負け。

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