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ひらけ、ごま

    日本人ならきっと誰でも知っている合言葉ですね。この五文字・五音が思い描かせる景色が、去年永遠に変わりました。今日は「おへそ」の話。

    日本列島で生まれ育った方の多くはきっと、おへそをあまり触らないようにされてきたかと思います。「おなかが痛くなる」と言われて、あまり触らないようにしてきた方や、実際に子どもの頃に触っておなかが痛くなった経験があるという方の話も聞きます。しかし、チネイザンではおへそを触ります。なぜでしょう。

    以前、「なぜ『おなか』なのか」でも触れましたが、わたしも含め、おへそを「エネルギーのメインゲート」と考えているひとたちがいます。お家の玄関を掃除すると気流れがよくなるのと同じように、チネイザンではおへそを時に深く、時に触っているかわからないくらいに優しく、丁寧に施術します。

    「腹に一物抱える」ことなく、生きていければ何よりですが、人生は山あり谷あり、日々いろいろなことがありますから、「腑に落ちない」瞬間や物事もあります。そうやって、流れることなく堆積し、塵も積もれば山となるのごとく、おなかに抱え込んだもろもろのある種の象徴が「へそのごま」だと思っています。

    いままで見てきた、それなりにたくさんのおなかを思い返すと、心身共に疲れきっている方、気流れが悪く「どよぉ〜ん」とした空気をまとっている方、そういう方のおへそはたいてい元気がありません。へそのごまが固まって膜のようになっている方や、たくさんごまがある方、皮膚が黒ずんでいる方など、状態は様々ですが、どこか不憫な顔をしたおへそです。あまりちゃんと目もかけてもらっていない、大事にされていない、そういう風に見えるおへそたちです。そんなおへその中で、もっとも忘れられないおへそと出会ったのが去年の今頃です。

昔から緊張が抜けない。
リラックスできない。
自由にイキイキと生きられない。
気楽に生きられるようになりたい。

    そう言っていらっしゃった年配の日本の方のおへそでした。おなかを見てみると、おへそがキュッと閉じていて——余談ですが、チェンマイでは、おへそは大きく開いているのがいいと言われました。ペットボトルの蓋を逆さにしたような、すり鉢状に細くなっていかない、奥までちゃんと見えるおへそがいいおへそ。気流れ、玄関という観点で考えると、すぐにそんな気がしました——なかなかその心模様を見せようとはしていません。施術を開始してすぐ、おへその奥に何か固いものがあることに気づきました。上から見ても何も見えません。おへそを押し広げてみると、そこには黒い何かがありました。どっしりと鎮座しておへそを塞いでいます。そっと引き抜くと、見えていた姿の三倍くらいはある大きなへそのごまがとれました。もうへその「豆」といっていいサイズのそれは、表面は黒く固まり、根元の方は白く、まだやわらかいままでした。何十年もかけて、何かしらの使命を感じて、おへそを塞いできたこの御へそ豆様。見ようによっては荘厳です。

    ひらけ、ごま。そう聞いて思い出すのはこの御へそ豆様です。きっと永遠にそうでしょう。そして、この言葉の起源を勝手に妄想します。いつかの日本では、おへそを綺麗にする文化があったのかもしれない。おへそを含めおなかを大切に手入れすること、ごまを溜め込まないこと、それは自分をひらくことに通じているのかもしれない。なんつってー。

    ピンときた方は、早速ご自身のおへそを見てみてください。怖がらずに、ひらいてみてください。どんな形でしょうか。やさしく触れてみてください。手触りはどうですか。ごまは溜まっていませんか。いい顔していますか。思い返せば、自分のいのちの始まり、その瞬間から命綱としてそこにいてくれた御へそ様。いまでも変わらず、わたしたちのど真ん中で、いのちの、エネルギーのスパイラルの中心に鎮座しています。たまには手を合わせて、おへそにお参りするのもいいかもしれません。その際の合言葉は是非とも、「ひらけ、ごま」で。

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