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【連載小説】恋は、愛に勝てるのか⑧

⑦←    →⑨ 最初から 『いくら?』 旗勇也は私にそう聞いたのだった。ようやく頭が追いついて、私は息を細く吐き出し、掃除機の取手を握る。電源ボタンの上についた印を指でなぞりながら、なんと答えるべきか考える。 スイートルームに泊まるお客様は、部屋にチップを置いていく習慣があるらしい。だからスイートルームを掃除する人は、それを猫ババしてはいけない。担当者は、当然のようにそれを榎本さんに渡し、後日榎本さんがそのお金で茶菓子を買ってきて、それがしばらく休憩時間のおやつにな

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【連載小説】恋は、愛に勝てるのか⑦

⑥←   →⑧ 最初から 「あれ」 バスルームから出てきたのは、あろうことか、首からタオルを引っ掛けた全裸の旗勇也だ。 「ヒッ」 思わず叫んで、たまらず床に伏した。 「申し訳ございません! すぐに出ます!」 「ああ、いいよ、ははは」 思いがけず穏やかな声で、旗勇也は笑った。 「そうか、掃除用のふだをそのままにしておいたんだね。すまないね、私だけひと足さきにスキー場から帰ってきたんですよ」 私は顔を上げられないまま、その場に固まった。まさかご本人がシャワータ

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【連載小説】恋は、愛に勝てるのか⑥

⑤←  →⑥ 最初から スイートルームは玄関からして大きい。ドアは観音開きになっていて、少し錆びついた金色のノブには、波みたいな流線が描かれている。「Clean up please/清掃お願いします」の札も、しっかりかかっていた。 木村さんが、唾を飲み込んだ後、いつにも増して丁重にノックをした。部屋の音を確かめるように、ドアに耳を澄ませる。うん、と頷くと、エプロンのポケットからマスターキーを取り出す。すると次の瞬間、彼女の腰についている小型無線から、ピピっと電子音が鳴っ

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【連載小説】恋は、愛に勝てるのか⑤

④←  →⑤ 最初から 翌朝、職場のロッカールームは、昨晩のテレビ番組の話題で持ちきりだった。次第に、もしテレビの取材で「地元の美味しいお店は?」と聞かれたら、私ならこう答える、という連想ゲームが盛り上がり始めていた。 「やっぱ、へぎそばじゃない。よそのそばには、海藻なんて入ってないのよ。長野のそばなんて、こしがなくてボロボロだもの」 「お土産だったら笹団子とか言えるけどねえ。八海山じゃだめかねえ、どこでも飲めるらしいものねえ」 「それにしてもあのおばさん、なんでビ

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