消すのが勿体無いからここに捨て置く

テキストのピロティー
入道雲が山にぶつかり果てしないほどの高度感を見せてそそり立ち、あるいは太陽が大気を沸騰させて草の匂いを破裂させる。

景色は色とりどりのはずなのに白黒にに分割されて、カラー放送だったはずなのに白黒映像を見せられるような不平等感を胃に溜め込む。
当てつけのように着てきた長袖のシャツは、半ば嫌がらせのように僕の体温を勝手に保持する。渋く顔を歪めるも不快感は低減することなく、この不快感を伴うほどに小説は捗り、頭の中に描いている景色は実際の景色よりも鮮やかに輝く。

全ての景色は紛い物だが、紛い物の景色は濁った曇天の空よりも鮮やかで安定した世界の様相を呈する。心のキャパシティが何かしらでいっぱいになると、おそらく僕の心は危機を感じてアウトプットを増やし心の余白を広げようとする。

冬にアウトプットが増えるのは考え事をする時間が増えるからだろう。相対的に増える考え事の時間は、脳を圧迫し潰し噛み付く。これまでのサイクルが何やら崩れて日々の生活の転換を予告する。

空っぽでありたい脳みそがモノを嫌になる程吸収するので、間隔期間を制限しなければならない。鼻は端からイカれているから、耳を塞ぎ目を閉じる。できる抵抗は以上である。

無理に言葉を言葉足らしめんととすれば、言葉は未熟で不揃いなB級の文章にしかならないのではないかと恐れる。研ぎ澄ました文章は写真よりも鮮明にその情景と感情を乗せて、心に直接触れることが可能だ。そんな文章が織りなす小説は映画よりも濃厚で芳醇であることだろう。

言語的ピロティーを広げてみたが、この感情的な文章もまた今しか書けぬものである。それはそれで良いと思うし、おそらく今書かねば一生書かないで終わる文章もこれまでだってたくさんあったのだろう。

腹が立つから
最近腹が立つので、その要素分解をしてみる。基本的に腹が立つことはない。腹が立つことは往々にして時間の無駄である。後味も悪い。怒りの味は大概苦く辛い。苦手な味覚だ。

腹が立つ時とは、その怒りの対象に愛が伴っている時である。政治について学んだがNHK党や極右政党のようなどうしようもない存在にはわざわざ時間を使うのも無駄である。

だからそんなものに怒りは湧かない。では何に怒りが湧くのか。直近ではこの惑星か。だらしのない夏か。ずるずると続く雨降りか。人には抱かないのが僕の特徴と言えるかもしれない。苦々しい現実に僕は目を閉じる。

まわりまわって、世の中が幸せになる使い方をします。