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りりりりした街で もじもじしないように

好きってなんだろう、なんて思うことは人間幾度があるに決まってると思う。勿論自分もそう思う内の1人である。まぁ別にこれから書いていく内容は自分がこう特別に思ってるとか、そういう訳でもない。きっと誰でも思ってるんだろうなってぐらいの感情整理。文に残すことが大事なのだろうと。


自分は人を好きになったことがない。まぁそんな人もこの世には多いだろう。基本的にはどの人にも同じ感情を向けていたい、とも思っている。あまり人に対して友達という言葉も使わないかも。知り合いと称するだけ。大体こういう自分なりのルールは高校時代からのものになる。まぁこの友達に関しては相手にどう思われてるのかわからないから友達と言い切れない、という具合。まぁ言い方の問題ですよね、って訳。【追記:思っていたよりも友達って言葉使ってるかも?】

よく「あなたって人に興味がないでしょ。」と言われる。あとドライとも。自分としてはドライって言い切れる程淡々と物事進められてないしなぁ、とは思いますが。人に興味がないのはどうなんだろう、ないっちゃないのかもしれない。あったとしても、上手く話を聞けないし、話せないってもあるのかもしれない。これ言えないあれ言えないはかなり多いのだ。なるべく人の話も聞こうとしているつもりではある。うーん。いや、、でもそれが出来てないんだろうな…。そこだよなー。思い当たる節は沢山ある。自分より人の話を優先する。心に深く刻みます。

実は普段から極力「好き」という言葉を使わないように心がけている。出来ているかは分からないけれど。少なくとも自分みたいな興味の薄い人間には「好きと言える資格」がないと思っていて。その道極めてからじゃないと、「好き」と言うのは既にその道を歩んでいる人に失礼な気がしている。それは自分に対してだけだから、自分以外がどう「好き」と発言しようが関係はない。だから周りから「あなたってさ、〇〇好きだよね。」とか言われても肯定はあまりしてないはず。そして否定か無返答、はたまた曖昧な返事をしている。好きというのがわかってないからその言葉を必要以上に重いものだとも思っている。だから気軽には使えない。知り合いとかがすぐに「〇〇好き〜」とか言ってくるのも理解出来ない。(この「好き」は目の前に居る人に対して、とか会話の中で気軽に出てくる「好き」)でも1個人のわかりやすいキャラクターとして「〇〇が好き」というのは強い物ということとはよくわかってはいる。1番楽で、簡単だから。ただ、それすらつけられるのは自分には勿体無過ぎて億劫になる。謙遜とか遠慮とかそういうつもりではない。嫌。そして皆さんが自分(=筆者)に対する「これが好きなんだろう」というイメージはこちらからしたらそこまで。普通という認識である。まぁキャラクターとして楽だから何も言わないだけで。自己肯定感も皆無って訳ですね。それぐらいが生きやすいとは思っているから、変わらない。

というかよく考えたら。そもそも好きとかの前に自分の場合は尊敬が勝ってしまう。色んな人を尊敬し過ぎている。憧れも。知り合いとか含めて。そしてそれは人間関係において距離を置きたいからだと思っている。努力とかセンスとか…凄く人、みんな輝いていて素敵だ。そんな方々とお話しできたりするこの環境にいれることにかなり驚いている。その一方そんな場所に自分という存在が居ていいのか、そんな事も思う。紛れもない事実。

高校の時、教室に居られなくて。外で1人の時色んなことを考えていた。教室に居られなかったのは、まぁ理由は何個かあるけれども。学校自体が得意じゃなかったり、人の声を聞くのが苦しかったりとかね。この辺はどうでも良いから放っておきます。
しかし、自分から1人になりにいってもこんな自分の事を気にかけてくれる人は居て。恵まれた環境ではあったんだけど未だにそうだと自分の中では言い切れない。ごめんなさい。それは今のいる環境でも。それも本当にごめんなさい。恵まれてると思えない自分の事が嫌いだとも思っています。

そして別学だから学内恋愛とかは有っても無くても、そういう話を聞きたいと、飢えてる人は多くて。嫌でも無理矢理話さないといけなくて。人格否定とまでは言い切らないし行かないと思うけど、その時そう思えてしまっていた自分が居て。本当に何もない自分からしたら、事実をすべて「嘘」にされてしまうのが本当に嫌で。どう逃げるか、色々考えていた。周りを囲われた時、本当に怖かった。「またまた〜そんなことないでしょ。」と笑う担任、「本当のこと言ってよ!」と言うクラスの人達。この状態、空気感になることが本当に嫌で嫌で仕方がない。自分の中のトラウマの一つである。

今の中での自分の好きとは「依存」という結論にたどり着いている。自分の場合は何かに救われたくて。「そんな時に今まで触れてこなかったジャンルに出会う→全てが新鮮に映る→なんとなく惹かれて、それを好きと思い込もうとする→何日かそれに無理矢理浸かって調べて「こんなに自分はこのことを調べてる!これは救い!」と自分に言い聞かせる→それを自分が好きと自分に認識させる→そのうちその好きになったものを趣味というまでになる」ここまできたら完全である。そして「それがないと生きていけない」と言う。完全なる依存。依存したいだけ。結局は後になってみれば好きでも何でもない。自分を守りたかっただけの悲しい人間。勿論依存の全ての矛先はモノだけである。

だから逆を言えば洗脳はかなりされやすいとは思う。自分自身影響を受けやすい人間というのもあり、かなり簡単なんじゃないかと思ったり。
しかし、毎回セルフ洗脳は成功するものでも無い。ここが難しい。
年齢が2桁になろうとすると人は特に恋愛に興味を持ち出そうとする。非常に厄介な成長。すーぐ「何組のだれだれはあの子が好きらしい」と全て誰かが聞いた話が基本的に筒抜けである。そして裏で「釣り合わない」だの「身の程知らず」だの言われるのだ。勿論話の矛先は自分にも向かってくる。そして人名と好きな理由を言うまで帰れない。早く帰りたいし。でもないし。そんなことを信じてくれるような、そこまでの当時の小学生に、多様性なんて理解は出来ない。てか多様性なんて突然出てきた言葉だよなー。非常に便利。
本当に悩みに悩んだ末、数時間後に適当に隣のクラスの人の名前言いました。その方を好きな人が他にもいて、翌日、ご本人より詰められましたね。ごめん、本当に悪気はないんだ。嘘だし。その子はきっと、自分(=筆者)に裏切られた気持ちなんだろうな。だって知ってて言ってるんだもんね。でもその子とは数年経ってもよく話したし、共に行動することも多々あった。そこから1人になりたくなかった、っていうその子の意志は強く感じた。よくわかんない。
他にも世の中に合わそうして、実験と題してセルフ洗脳した話もありますがそれは思い出したくもないので。省略。ここまで自分で言っといて良くないのだが、お願いだから聞きもしないでくれ。話したくなったらこっちから勝手に話すと思うし。

高校生の頃、多様性という言葉が浸透してきて
まぁ授業とかでもね。そういうのをまとめて調べて発表するのとかがある訳で。自分の学校の場合は別学だから「その性に合わせてその視線で、どうしたら私たちはより社会で活躍できるのか、その問題を考えよう」というのがテーマでした。
自分は結局LGBTQ+について。中学の時に、そういう時期なのかもしれないけれど自分に対しての違和感っていうのはあったし。その名残は今でも全然あるし。そこは今でも拘らせて頂いております。それこそ“自分”もそれにあたる訳で。まぁ〜〜まぁ、LGBTQ+とは、、…沢山ありましたね。その中でもおそらく自分これだな〜とか思い当たるのは勿論あって。でも決めつけて公表して生きてもしゃあないし。表に出した所で余計生き辛くなると思ったからそこから何も考えないようにした。

そこから今に至るまで特に考えは変わってないように思う。尊敬と依存と気付いたぐらい。つまりは残ったのは悲しさだけである。嫌だねーって言って逃げようとしても逃げれない。


ここまできて。勿論自分でも面倒な人間の自覚が大有り。とにかく1人でいるのが1番好きだし。楽。人とずっといるのは耐えられない。ちょっとしたご飯でも厳しい時は多々ある。いつでも1人で生きていきたいって気持ちもあるし。まぁ変にプライドが高いんだろうな。何でこうなったかは自分でもわからん。プライドなんてないと思いたいんだけどねー。そして誰にも知られず気付かれず、1人で死んでいくのが人生においての目標。死に場所の正解はいつまで経っても答え思いつかないけれどね。1人でいる時に考えるのは自分の事だし。他人のこと考えてたとしても、それは自分を助ける為だし。結局自分のことしか考えられない。大きな短所。後で頭を抱えるだけ。1人で死ねる時をワクワクしながら待ってる。
でも知り合いが「死ぬっていうのは人に知られてから、それが初めて死として認識されるもの。知られてなければその人の中ではずっと生き続ける。」(ニュアンス)と言っていて。確かにそれはわからなくもない。最近亡くなった自分の尊敬する人だってそうだよなー、と。自分にとっては実物を見ずに「死」という情報だけ回ってきて、
まず本当にこんな人が実在していたのか?なんて思う所もあるしな…。なんか論点違うか?違うか。
死ぬことに対しては怖いとは思わない。それはもしかすると世の中に興味が薄すぎるのかも。自分が1番会いたい人は世の中には既に居ないし。むしろそちらの世界に少しでも早く踏み入れたくて仕方がない。色々ここに関して思うことはあるけどもそちらで目一杯楽しむためにこちらの世界で生きるしかないのかな、そう思ってる。

ここまで書いてきて、好きということに自分は興味がないのかもしれない、と今思った。変に拘りすぎてるところは否めないし。多分何でも物事に正面から捉えられてもない。いいのかそれでってパッと出てこない辺り、どうしようもなさそうに思う。さっさと1人でどっかいけばいいのにねー。


まぁこんな文章をツラツラ書いてること、完全に血迷っているよなー。普段noteなんて30分ぐらいで書いて出すのに。こんなのに何日もかけてし今までで1番の文章量だというのさ。同じ話ばっかして。なんともアホらし。黙れ自分。
しかもこれタラタラタラタラと年越しても追記しているよ、悲しいね

【追記】
好きなタイプとか好きな顔っていうのもないです。好きな俳優とかジャニーズとか興味も持ったことがなくて会話についていけません。

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