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制度と文化(3):文化的契機と国家の存立

国家としての個は集合的な認知の共通項において成立する

人間は文化によって相対的に自己を定義すると述べた。これと同様、国家も文化でもって他と区別されるものである。これまでの議論に即せば、文化でもって他の国と区別されるものが、文化国家であると言える。もちろん、国家には人格があるわけではない。国家としての特殊性の根拠となるのは、そこに暮らす人の集合的な認知である。すなわち、ある国の文化を通じて、その国民が、「自分の国はこういう国である」と認知する。国家としての特殊性、すなわち人間が自己を定義するように、ある国とそれ以外の国の差異、国家としての定義とでも言うべきものは、その数多の国民の認知の共通項において成立するのである。
では、人間はいかなる場面において国家を認知するのか。それは、日常生活の中で目にするものや使う言葉、習慣、歴史などから、「日本文化」を感じ取る瞬間である。注意してほしいのは、例えば能とか茶道とかいった、「芸能」とでも言うべきものは、日本文化が持つ個別の様式に過ぎず、それは日本的なものを感じる機会の一つではあっても、あくまで一つの機会に過ぎない。様式は文化が具体的な形を伴って表出したものに過ぎず、その意味においては言葉や慣習と何ら変わらないのである(仮に様式に独自の意味があるとすれば、それが文化を具体的かつ論理的な形で体系的に表現することを試みているという点においてのみであろう)。
ここで議論している日本文化とは、様式や言葉、慣習といった、具体的な形を伴っているものの背後にあるものである。そうした、背後にある本質、言うなれば日本文化そのものが、一体どのような性格を持つものなのかという議論には、ここでは立ち入らない(そうした議論には、これまでの歴史の中で数多くの思想家が取り組んできている)。

いかなる場面において国家が認知されるか

ここで言う文化とは、込み入った論理によって定義される概念としての日本文化ではなくて、日常生活の中で認知されるものである。いつの時代も、「日本文化」は存在しただろうし、今もそれは確かに存在するはずである。ここで問題にしたいのは、それがいかなる形で日常生活において現れ、いかなる形で国民から認知されるのかである。
もしも国民の日常生活において文化が認知される機会が少なかったり、あるいは、その認知が漠然としたものに留まり、具体的な像を結ばないのだとすれば、その国においては、国家としての文化的契機が希薄であると言える。なぜなら、冒頭述べた通り、国家としての個は、認知されることにより初めて存在するものであって、いかにその国の文化の本質とでも言うべきものを理論的に観念し得るのだとしても、それが感覚的にでもあれ日常生活の中で国民に意識されていなければ、文化国家は存在しないのと同じだからである。
学校行事や式典で日章旗が掲げられたり、国歌斉唱をしたり、あるいは祝日になるとタクシーが日章旗を掲げたりするのは、そうした認知を喚起する機会を意図的に作り出す行為であると言える。国旗や国歌は国のシンボルであるから、それに触れた人は自ずと、自分の暮らす国のことをイメージ、すなわち認知せざるを得ない。夏になると増えてくる戦争に関わるテレビや新聞などの特集も、その意図はともかくとしてそのような意味合いを持っていると言えるし、近所にある小さな神社の鳥居の前を通過する瞬間も、認知を喚起する契機となっているかもしれない。
我々の日常生活において、そのような機会がどれだけの存在感を持っているだろうか。仮にそうした機会が日常生活の中にほとんど無いのだとすると、その国の文化的契機は希薄になっていると言わざるを得ない。
そして、そうした機会から、我々はどこまでの具体的な「日本」のイメージを持つことができているだろうか。そのイメージがうまく像を結ばず、例えば、日章旗が、白地に赤い丸が書いてある単なる布切れとして認識されているだけなのだとすれば、やはりこれも、国家の文化的契機が希薄になっていると言わざるを得ない。
こうした、「認知を喚起する機会」としての仕掛けを意図的に用意する場合、人間の五感のうち視覚や聴覚を刺激する形を取ることが普通である。日本の例ばかりを挙げたが、例えばアメリカでは、学校の教室や民間企業のフォーラムなどで星条旗が掲げられるのをよく見るし、4人の大統領の巨大な彫刻で有名なマウント・ラシュモアも、こうした仕掛けの一つであろう。

日常生活における認知の重要性

こうした、日常生活における「機会」によって喚起される認知がなぜ重要なのか。理由は以下2点である。

制度国家による統治の正統性の根拠となるから

現代においては制度国家と文化国家の外縁が一致する傾向にあり、その背景に帝国主義への反動があることは既に述べた。帝国主義が好ましくないものと考えられるようになった直接の理由は、それが往々にして暴力を伴い、科学技術の進歩により、その暴力が弱者のみならず、それをもって弱者を凌駕する強者にも被害を与えざるを得ない状況になったことであると言えるだろう。
だが、そもそも、なぜ帝国主義が強者と弱者の間の暴力の応酬をもたらすのだろうか。外縁を拡張していった制度国家が周辺の文化国家を飲み込んでいくときに、飲み込まれる側が、異文化による支配を、これに抵抗せずに受け入れるならば、暴力は起きないはずである。だが、ある文化が帝国主義的な拡張を行う異文化に対して、抵抗せずにこれを受け入れた例は無いと言ってよい。力の差があったとしても、必ずそこに暴力の応酬が起きるのである。
「民族自決」が謳われたのは帝国主義の時代が終わりを迎えつつあった20世紀初頭である。第二次世界大戦後に一気に進んだ世界的な植民地の解放運動は、異文化による支配に根本的な抵抗感を覚える人間の性質の現れと言えるだろう。
一般化して言えば、ある文化を共有する形で成立している社会の統治は、その文化に属する人格においてなされるべきであるという価値観が、普遍的に認められているということになるだろう。例えば、両親が外国人で、自身も人生の大半を海外で過ごしてきた人間がいるとして、当該人物が仮に高い能力を備えているとしても、自分自身の利害に関わる統治上の重要な意思決定を当該人物に委ねることについて、多くの人は違和感を抱くはずである。制度上それが認められていたとしてもである。
この違和感の根源が、人間が、無意識的にであれ抱いている、文化国家に対する認知である。どのような性質をもって当該人物が統治者として適格であると認められるのかは、制度ではなく文化の問題に拠る側面が非常に大きいのである。
統治される人間と文化を共有している人間が制度国家を運営するべきであるという前提を確認した。逆に言えば、国家の文化的契機が希薄であると、正統性の議論ができなくなってしまう。これが、文化国家が日常生活において認知されないことにより生ずる一つ目の問題である。
例えば、日本国民ではなく外国に利するような政策ばかりを打とうとするような政治家は、例え制度的に合法だとしても許し難いはずである。そこまで極端でなくとも、ある政治家について、「国民と感覚がずれている」という批判はしばしばなされる。これは言い換えれば、ある政治家が「国民がこうあるべきだと考える国家のあり方を理解していない」ということであろう。制度と文化が不可分に結びつき、相互に作用し合っていることは既に述べた。例えば、社会保障制度においてどういった属性を持つ人を救うべきで、どういった属性を持つ人には自助努力を求めるのかなどといった議論は、国民が抱いている価値観と制度が直接的に結びつきやすい。例えば、国民の大多数が、「個人が自分の能力を最大限活かして、政府の介入を受けずに自助努力で成功を掴むことを良しとするのがこの国の文化である」と考える傾向にある国では、社会保障制度に割かれる政策資源は少なくなるだろう。国民の大多数が、「覇権国の力に屈することなく、自立した外交を行うことが国家としての誇りであり、守るべき価値である」と考えていれば、そのような外交を展開できない政治家は、指導者としての地位に留まることは難しいであろう。
このように、ある人が自らの国の指導者に対して、「国民と感覚がずれている」という思いを抱くとき、その人は例え無意識的にであったとしても、「自国(例えば日本)的なもの」と「そうではないもの」を無意識に線引きしているはずである。
そして、当然ながらその線引きは人によって異なる。ある指導者が唱える特定の政策や、特定の価値観に基づく言動をもって、ある人は指導者として相応しいと思い、ある人は不適格であると思う。これらの立場の相違は、個々の国民がイメージする「適格な指導者」の像が乖離していることから生じるのであるが、その背景には、自分の国はこういう国である、というイメージ、すなわち認知の相違がある。国家に対する認知の違う人間同士では、国の統治の正統性が違う意味を持つことになるのである。
個々の人間が異なる価値観を持つ以上、多かれ少なかれ正統性の認識に相違があることは当然である。だが、例えばその認識に共通項が全く存在しなかったり、その認識が大きく乖離している人間同士で、統治のあり方について合意を得ることは難しいことは容易に想像できる。近年、多くの民主主義国家で指摘される「二極化」という事象は、一つの国民国家の民主的な意思決定過程において、こうした状況が大規模な形で顕在化しつつあることを示している。
そうでなくとも、例えばある国の特定の地域において、その国の統治機構に対する信頼が著しく揺らぎ、当該地域を代表する機関(典型的には地方政府)と中央政府との間での合意形成が困難になるという状況は、決して珍しいものではない。特定の政策課題に対する意見が議会において大きく割れ、当該課題に対応する政策の決定が困難になるといったことはより日常的に見られる。
民主主義の過程において意見の対立が生じることは当然であるが、基本的な価値観において対立が先鋭化してしまい、相互に妥協の余地が全く無いという状況が究極まで行き着けば、統治機構として意思決定が困難になり、合目的的な人工物であるはずの統治機構がその目的、すなわち国民と国家のために政策を決定し実行するという役割を果たせなくなる。そしてより深刻な場合には、独立運動、すなわち制度国家の分断を志向する動きが生ずる可能性がある。

国家的危機の局面における迅速な集合的意思決定の立脚点になるから

二つ目の理由は、一つ目よりも顕在化しづらいが、状況によってはより深刻な問題となりうるものである。戦争などによって制度国家がその存立を脅かされたときに、その社会においては、その国を定義する文化が持ち出される傾向にある。日本の歴史上、直近でそうした契機が過去2回あった。幕末と昭和初期である(注意してほしいのは、本稿においては、制度と文化の両面においてまとまりをもった形で人間が社会を構成する現象を「国民国家」であると定義している。この定義に則れば、江戸時代の幕藩体制も、国民国家の範疇である)。
幕末と昭和初期の日本は対外関係において厳しい立場に置かれ、制度国家としての存立そのものが問われる状況にあった。そうした中で、幕末期においては国学が、昭和初期においては国体論が持ち出され、日本を日本たらしめる思想としてこれが称揚されたのである。
危機の状況にあって文化が持ち出される理由は、統治機構と国民の双方にその必要性が生ずるからであると考えられる。まず国民の側からは、統治機構の崩壊の予感が、それにより生ずる予測不可能な形での社会の変動に対する不安を必然的にもたらすことから、寄って立つ精神的な支柱となるべきものが必要とされる。
そして統治機構の側は、国民のこうした精神状況を前提としたときに、文化を持ち出すことで迅速な意思決定を可能とすることができる。統治機構の主たる機能は、統治に関わる集合的意思決定を行うことであるが、戦争など統治機構としての存立に関わる場面においては、その存立を維持するために必要な政策が、国民の生活上の利害に激しく対立することが往々にしてあり、なおかつ、迅速に意思決定を行わなければ事態に対処できない場合が多い。そのようなときに、国家がかくあるべきという共通の認識のベースとなるものを国家の側から国民に対して提示することにより、国民と利害が対立する場面において、迅速に意思決定を行うことができる。
幕末に尊王攘夷論として隆盛を見せた国学や、昭和初期に国家が主導して提示した国体論は、危機の時代になって突貫工事で作り出された論理ではなく、それ以前の時代から脈々と研究されてきたものであり、危機の時代において活発に参照されたものである。その国をその国たらしめる要素に関する思想的探求はいつの時代にもなされており、それが国家と国民に必要とされたときに表舞台に登場する。
こうしたことが、日本だけに特殊な事象ではないことは、戦時においてはあらゆる国家が「国民が国家を認知を喚起する機会」を意図的に作り出すことに躍起になることを見れば明らかである。

国家の文化的契機が制度国家としての存立に不可欠

日常生活において文化国家を認知する機会を通じて国家の文化的契機が希薄化することを防ぐことは、上記の2点において重要である。
本稿の問題意識である「国家の文化的契機を希薄化させないことがなぜ重要なのか」という問いに対する答えは、「それが制度国家としての安定的な存立のために必要だから」である。
では、制度国家による安定した統治が我々にとって不可欠なのはなぜか。すなわち、一定の領域において、独占的かつ排他的に支配を行う統治機構を安定した形で持つことがなぜ不可欠なのか。次稿ではこの点について検討する。

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