制度と文化(1):現代の国家が持つ両義性
複数の人間が集まり、一定の規範や価値観のもとで行動する単位のことを共同体と呼ぶとすれば、その形態や態様は時代や地域によって多種多様である。例えば、企業や学校といったものは、現代の日本において馴染みの深い共同体の例である。地域社会で活動をする団体や、自治体、あるいは国際機関といった単位も、その共同体の具体的な形態として理解できる。
こうした様々な共同体の形態の中で、現代社会において、他の共同体のあり方に極めて強く作用する力を持ち、その規模も巨大であるが故に、現代という時代の流れに決定的な影響を与えているものが、国家である。ここでいう国家とは、官僚制と常備軍の保有により特徴付けられる統治機構のことである。ある所定の物理的領域を排他的かつ独占的に統治する力を持つ機関と言い換えてもよい。
こうした、物理的な力を背景に一定の領域を統治する統治機構としての国家とは別に、文化的な単位とでも言うべき国家もまた存在する。すなわち、言語や宗教、生活上の慣習や道徳感情などといったもの、言うなれば文化を共有する人間の集合体である。
この二つの国家は、本来的には全く別のものである。前者は統治という目的のために意図的に構築される人工物であるのに対して、後者は人間同士の関係性が長い時間を経ることによって作り出される共同性とでも言うべきものである。言うなれば、合理性のもとに意図的に構築される人工物と、非合理性のもとに意図せずして創造される自然物である。以後、前者を「制度国家」と、後者を「文化国家」と呼ぶこととする。
制度国家と文化国家の関係について
制度国家と文化国家は本来的には全く別のものであるが、今日、両者は非常に密接に結びついており、かつ、非常に強く相互作用する関係にある。
制度国家と文化国家の結びつき
例えば日本の場合、制度国家としての日本の外縁が、文化国家としての日本の外縁にほぼ一致している。言うまでもなく、文化国家としての外縁を一義的に決めることはその性質上不可能である。しかしながら、例えば全世界の日本語話者のほぼ全てが制度国家としての日本が統治する領域内に暮らしている(逆に制度国家としての日本の領域内に占める非日本語話者の割合は非常に少ない)とか、現代の制度国家としての日本の領域内における人間の生活は非常に均質化しているとか、制度国家としての日本の領域内で典型的に観察される宗教的慣習や道徳感情が存在するとか、文化国家としての日本の外縁が制度国家としての日本の外縁と一致していると措定する根拠になる事象が数多く見受けられる。
日本ほどでなくとも、現代の世界では、制度国家としての外縁と文化国家としての外縁が比較的近いところで引かれる傾向にある。こうした傾向が見られる背景としては様々な理由が考えられるが、有力な説明は、20世紀初頭までの国際社会を支配した国家運営における原則、すなわち帝国主義に対する反動である。帝国主義とは言うなれば、制度国家がその外縁を物理的に拡大していき、周辺の文化国家をその統治のもとに組み込んでいく運動であり、必然的に制度国家と文化国家の外縁に不一致を来す。帝国主義が、それを推進した当事国も含めて、各国の存立を揺るがし、その経済や国民感情に深いダメージを与えたことは言うまでもない。こうした歴史に対する反動が、制度国家と文化国家の外縁の一致という現代的傾向が生じている一つの理由であると考えられる。
制度国家と文化国家の相互作用
制度国家と文化国家の関係性における二つ目の特色は、強い相互作用である。文化国家から制度国家への作用は、とりわけ民主主義的な統治形態を採用している制度国家において顕著である。民主制の過程において、その参加者は各人の価値観に則って行動するが、個人の価値観は彼らが共有する文化の中で作り上げられるものだからである。民主主義的な統治形態を採用していない国においても、支配層は文化の影響から全く自由ではないので、支配層がその影響を意図的に排除しない限りは、制度国家は文化国家に作用される(※)。
逆に、文化国家もまた制度国家の作用を受ける。制度国家が整備する国語や歴史に関する教育制度はその最たるものである。今日においては、制度国家が行う全国一律の教育が、文化国家の構成員としての個人の根幹を作り出すといっても過言ではない。制度国家による外交や会見の場などにおけるイメージ戦略や、全国一律になされる社会保障制度や労働制度、あるいは特定の産業を国家の基幹産業として振興したりすることによっても、文化国家が定義される側面はあるだろう。
(※)例えば、初期のソビエト連邦では、制度国家に対する文化の作用を排除する試みとしてロシア正教会に対する弾圧が行われたが、これを徹底することはできなかった。
文化国家の外縁に関する補足
注意したいのは、文化国家がその広がりを持つ領域の中には多様な文化が共存しており、文化国家はその数多の文化の集合体としての側面を有しているということである。例えば、文化国家がその広がりを持つ領域を構成する個々の地域ごとにもその独自の文化があるし、現代において制度国家という共同体と文化国家がその外縁を同じくする傾向があるように、企業や地域といった共同体にも、それに対応する独自の文化が存在する。
ただ、それと同時に強調したいことは、文化国家は、制度国家との強固な結びつきや相互作用も相俟って、他の様々な文化の単位に比べて非常に大規模な広がりと明確な外縁を有しているということである。
例えば、交通手段が発達し情報化が進んだ現代社会において、文化の単位として地域社会の外縁は非常に曖昧になっている。ある人と一言二言でも会話をすれば、その人が文化国家としての日本で暮らしているのか否かはある程度の確らしさで推測ができるだろうが、その人が日本のどの地域の出身かを推測することは、多くの場合、簡単ではないだろう。文化国家よりも広い外縁を持つ文化の単位としては、欧州という地域や、地理的な制約を持たない世界宗教が挙げられるが、文化国家ほどの明確な外縁を有しているものはない。
まとめ
本稿では、制度と文化という、本来的には無関係な人間社会の二つの営みが密接に結びつき、渾然一体となって特定の領域内に暮らす人間を包み込んでいる様を描写した。このように、制度と文化の両面においてまとまりをもった形で人間が社会を構成する現象は「国民国家」と呼ばれている。
次の稿では、国民国家がいかにして形造られるかについて検討する。
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