いつかの雑踏

緊急事態宣言が解除されて、徐々に街も賑わいだした。自転車に乗りながら、夜のネオンが流れていくさまを眺めていたら、ふと数年前に同僚と下北沢で朝まで飲んだときのことを思い出した。

当時、働いていたのは、今では誰も知らないような場末の制作会社だった。毎晩、終電過ぎまで仕事をしたあとに、夜の街に繰り出し、朝まで騒ぐ。そして会社のソファに横になり、また眠い目を擦り、仕事をする日々だった。週に数日しか家に帰れない日々は、端的に地獄じみた状況ではあったが、それはそれで楽しかった気もする。漫画喫茶や先日倒産が発表された某カプセルホテルにもよくお世話になったものだ。

下記の文章は、離職を決めたあとの死ぬほど飲み明かし続けていた日々のとある一日を記したものだ。インターネットの海に放流され、誰にも読まれずに埋もれていたものを引っ張り出してきた。埃を被っていそうなものだが、個人的にも思い入れの深い文章なので、そのまま再掲する。

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仕事を辞めるという高揚感の中で、先月から毎日のように飲み明かしていた。
気が付けば通帳の残高が随分と目減りしている。

昨晩も朝まで飲み明かしていた。
最近は終電を逃したあとの気持ちの良い感覚は薄れてしまってきていて、若干の疲労感を覚えるようになってしまった。
僕がこれなのだから、毎晩のように付き合わされている彼らの疲労はなおさらのことだと思う。

二件目の新宿からタクシーを使って、下北沢へ。
駅からほどない場所で降りて、ふと目についた居酒屋へ入っていく。
いつも通りの他愛のない話。
目新しい話題などもなくて、コピーのように繰り返されるだけ。
酔いの成す力なのだろうか。会話のテンポ感も数をこなすにつれてなじんでいく。まるで台本を読み合わせているみたいだ。

午前五時。
周りには常連と思しき一人の客と我々しかいない。
会計を済ませて帰ろうかと思っていると唐突に店主に絡まれ、気が付くと、年も名前も知らない男と数時間も話していた。
何を話したのかもあまり覚えていない。
ただ、お互いに無責任に発せられる言葉がとても快かったのは覚えている。
あとで話を聞くとその男はどこかの経営者だったのだという。
しかし、そんなことはどうでもよく、むしろ邪魔でしかなかった。
名前、肩書、そういうものを取っ払って、ただ思ったことを素直にぶつけ合う、というその関係性がただただ心地よかったのだ。

名前のない「わたし」と「あなた」。
90年代初頭のHNでのやりとり、あるいはオフ会などという話をを何とはなしに思い出す。
小さな枠組みに押し付けられた「わたし」からの脱出を試みる人たちの気持ちが少しわかった気がした。

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