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強さとは選択肢のXXXXのことだと思う

一般的には、マッチョとかって「強い」と言われます。肉体的強靭さ以外だと、頑固で意志が揺るがない様を見て「あいつ強いな…」とか言われます。そういうときは精神的な、折れない心を指して強いと言われる。
ただ、ゲームのような身体的な差がない状況下においても「つんよ~ww」とかよく言われたりするので「強さ」ってどういうことを指すんだろう?と以前より考えていました。自分が強さってこれだな、と思う要素を現時点の考えとしてまとめていきます。

強さとは「取れる選択肢の多さ」

ある局面において、取れる選択肢が多いことは勝ちにグッと近づきます。ジャンケンで自分が「グーとチョキしか出せない」のであればかなり厳しい読み合いになることはわかると思います。
例えば100連戦じゃんけんをするとして、こちらにパーの選択肢がなければ対戦相手はグーだけ出していれば負けることはありません。こちらも定石としてグー多めになりますが、それを狩るようにパーをだされて1度でもリードを奪われれば、残りの試合はあいこのみで敗着となります。グーとチョキのみで勝つためには、めちゃくちゃ不利な読み合いを制し続ける必要があります。

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自分が”強さ”に選択肢を絡めて考えるようになったキッカケは、ゲームで上級者からアドバイスを受ける場面でした。

何気なく聞かれた「この行動(A)なんで取ったの?」「相手からするとこの状況だとAやられるくらいしか負けルートないから絶対警戒するよね?」この質問に全く返す言葉がありませんでした。実際に、別の選択肢B(リターンは少ないがAを警戒している相手には通る行動)を取ることで読み合いに持っていかなければ勝てない状況でした。

この経験で「あぁ強い人って単純にやれることが多いんだな」と思ったことがきっかけで、強さとは選択肢の多さであると思っています。

強さとは「取った選択肢が理を超えること」

もう一つ、自分は高校の時ラグビーをやっていました。そのときの経験が『「選択肢の多さ」は強さだが、それだけが全てじゃなく「選択肢が理を超えること」も強さである』の考え方に至った原因になっています。

ラグビーを究極に単純化すると、陣取り合戦です。自分たちがボールのコントロール権を保持したまま位置を少しでも敵陣営側に押し込むことを目的に基本的には動いていきます。その目的に向けて「ボールを持って体でぶつかっていく」というローリスク・ローリターンな攻めの選択肢がラグビーにおける読み合いの中心にあります。

高校生の時、大阪遠征で全国優勝レベルの学校と練習試合をしたんですが、んまぁこれが強くて強くて。強靭な肉体という意味で強いんですが、熊みたいなサイズの大男が自分より速いスピードで走ってて手も足も出ないんです。相手の選択肢は「ボールを持って体でぶつかっていく」という本来はリターンの少ない選択肢ですが、熊はそうそう止まらないので…こちらは2人3人割いて相手1人を止める状況になります。すると、相手は少しの陣地に加えてこちらのリソースも削ぐことができます。
つまりは、守り側が選択肢のセオリーとしては最適な返し手を取っているにも関わらず、攻め手側の取った一手の破壊力にリソースが削られ試合にすらならない状態でした。

これこそが「取った選択肢が理を超える」状態だと思っていて、特にスポーツであまりに一方的な試合展開になったときは、シンプルな選択肢を返すことができずに負けていることが多いと思います。

実社会の面白いところとゲームの面白いところ

オンライン対戦ゲームにおいては、キャラクターの強さはある程度平準化されているため、「取った選択肢が理を超える」ことはそもそも無く、「取れる選択肢の多さ」が強さの中心となっているケースが多いです。(昔のFPSはロードアウトの差すら存在せずキャラコンのみで競わせていました。例外でいうとMMOのPVPとか?は育成によって理を超えてきます。)そのため練習の目的は基本的に「そもそも選択肢を増やすこと」「最適な選択肢を判断して最適に取れること」に集約されてきます。

逆に実社会では、ゲームのように公平性は担保されていないので選択肢の強さがものを言うことが多いですかね(たぶん)。めちゃくちゃ頑張ってあらゆるケースを想定した上で”お客様にこれが最適だ!”と思えるような営業提案をしても、コンペでは競合が催した接待や「昔からのお付き合いもあるので…今回は!すみませんねぇ」と負けることもある。とる選択肢の”適切さ”が勝敗に与える影響度はゲームに比べると見劣りします。

実社会では、理を超えていた選択肢も、時代が変われば次第に弱くなっていく部分はゲームにない面白さだとおもいます。一つのビジネスモデルで大きくなった会社が、イージーウィンできていた記憶に引っ張られて苦境に立たされることも実例としてありそうな気がします。なので、いくらパワーゲームができるからといって選択肢を増やすことは忘れずやらなきゃということなんですかね。そんな感じがします。

(ゲームでもメタゲームという考え方で、対策されて使いづらくなることはありますが、選択肢自体が弱くなっている訳ではないので本質的には別物かなと思います。)完全に蛇足になりますが、ジャイアント・キリングを起こしたいのなら、『どんな返し手を打っても押し込まれる「理を超えてきそうな相手の選択肢」』をいち早く見つけ、その選択肢で戦わせないことが前提条件になるのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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