サンフレッチェ広島 2017

「降格したチームに名古屋が入っているということは、Jリーグは恐ろしいリーグだということ。調子の波がうまくいかない時もあるが、ボタンの掛け違いがないように、その時は踏ん張れるように、危機感を持ってやっていきたい。」
2017年シーズンの開幕前から森保監督は危機感を募らせていた。だが皮肉にも指揮官の憂いは現実のものとなり、広島は身をもってその恐ろしさを知ることになる。

https://www.nikkansports.com/soccer/news/1733718.html

絶対的な王者が存在しない群雄割拠のJリーグでは、誰もがシャーレを掲げる夢を見る権利があり、そして降格の悪夢に苛まれる危険性がある。それは2012年の森保監督就任以降、3度王者に輝いた広島でさえ例外ではない。
しかし、決して”小さなチーム”とは言えない名古屋の降格を目の当たりにしてもなお、近年の広島の成績は、多くの人々の目にバイアスをかける役割を果たした。2017年シーズン開幕前のスローガンにタイトル奪還を掲げていたことはその証拠となるものだ。実際には、乱世を統一するチーム力は既に失われていたにも関わらずだ。
17年シーズン、最初のボタンのかけ違いが起きたのは開幕戦だった。ホームに新潟を迎えた開幕戦の、先制しながら引き分けに終わるという結果は、この日スタジアムに足を運んだ多くのホームチームのサポーターに小さく無い違和感を抱かせるには十分だった。しかし、その違和感の正体が引き分けたという結果そのものからくるものではなく、先制したのに勝利できなかったことからくるものだと気がついたサポーターは多くはないだろう。
森保体制下での広島は先制した試合は必ずといって良いほど勝利を収めてきた。優勝した2015年に至っては先制試合の勝率が94.7%にものぼる。このデータを1つとっても、開幕戦の結果は既にチームに目に見えない小さな罅が入っていたことを示すものだ。それでもこの時点での大方の予想は、チームはボタンを正しく掛け直し、調子は上向いていくだろうというものだった。
しかし、2節、3節と節を重ねるごとに、その予想はここ数シーズンの成績に依拠しただけの明確な根拠を欠いたものだということが明らかになっていった。開幕戦後も勝利に見放され続け、初勝利を6節のガンバ戦まで待たなければならなかった。そればかりか、その初勝利もチームが復調するきっかけとなることはなかった。
チームの不調を端的に表していたのが得点の数だ。統計においてリーグトップクラスのシュート数を誇りながら、ゴールが遠く、守備陣が我慢しきれず失点を喫しってしまうという試合を繰り返した。
工藤壮人は散発的にはそのセンスを感じさせたものの、不慣れな1トップ2シャドーのシステムを消化し兼ねているように見えた。プレシーズンに”モノが違う”と周囲を唸らせたフェリペ・シウバは随所にその才能の片鱗を見せながら、その才能が勝利に直結する回数が少なく継続性が物足りない。もう1人のブラジル人、アンデルソン・ロペスは足下にボールを要求するばかりでオフ・ザ・ボールの動きに乏しいばかりか、1トップ2シャドーの肝になる周囲との連携という意識をあまりにも欠いていた。
序盤戦の不調を目の当たりにしたサポーターは、チームに対してブーイングを行わないという方法でフロントのチーム強化策に責任を求めた。(これは推測だが、序盤戦はサポーターグループは意図的にチームへのブーイングを抑制していたものと思われる。初めて露骨にブーイングが飛んだのはホームで0-3の惨敗を喫した16節の大宮戦だった)つまりどちらかといえば、森保監督や選手というよりはフロントに怒りの矛先を向けていたということになる。
サポーターの心情は理解できるものだ。シーズン開幕前、得点王のピーター・ウタカを放出したこと以上にチームに衝撃を与えたのは佐藤寿人の放出だった。このチームの旗手の放出に感傷的にならないサポーターはいなかっただろう。加えて、サポーターの心証を悪くしたのは宮原や野津田などの生え抜きの若手を放出(レンタル移籍)したことだった。戦力的観点からみた、この補強の是非は置いておくとしても、サポーターは気持ちを簡単に割り切ることはできなかっただろう。
だがサポーターの主張は感情的な側面が大きいのもまた事実だ。理性的な側面からみれば、広島の不調を補強の責任だけに求めるのは正当性を欠いている。
問題の本質は近年広島を強者たらしめてきた、3-6-1(3-4-2-1)というプレースタイルが機能しなくなったことにある。06年に”ミシャ”ことミハイロ・ペトロヴィッチが齎したこの戦術は、特に攻撃面において独自性を発揮し、Jリーグに挑戦状を叩きつけた。広島とミシャ・ペトロヴィッチの挑戦は降格という痛みを伴いながらもその歩みを止めることはしなかった。いつしか広島の代名詞となった3-6-1はしかし、その機能美と見た目のおもしろさとは裏腹に、勝ち点を確実に積み上げる堅実さを欠いていた。
2012年にペトロヴィッチからチームを継承した森保監督は、攻撃志向の強かったチーム(ペトロヴィッチは攻撃志向が往々にして強すぎる。それがタイトルに届かなかった要因の一つだ)の長所はそのままに、守備面の約束事を整備することで3-6-1は一つの完成をみた。
この完成されたプレースタイルこそ、近年の広島の成功の基礎となったものだ。3度の優勝は、3-6-1がJリーグを支配したことを如実に示している。(余談だが、浦和に転出したミシャも3-6-1でJリーグを制している。2ステージ制のプレーオフという理不尽がなければではあるが)
なぜ17シーズンはこのプレースタイルが不調に陥ったのだろうか?先人の言葉を借りるなら、強い種が生き残るのではなく、変化に対応したものが生き残るということになる。Jリーグで隆盛を極めた3-6-1への対応が進む中で広島は変化しないことを選んだ。正確に言えば、変化を試みたが失敗し、現状維持を選ばざるを得なかった。
主力選手の移籍、それに伴う3-6-1のプレースタイルを実現する人的資源の不足、他チームによる対抗策の深化、組織として1つのプレースタイルを長年続けてきたマンネリズム。
様々な要因が絶妙なバランスで影響することで、徐々にではあるが、確実に、チームの弱体化を引き起こしていた。それが顕在化したのが17年シーズンだった。正確には冒頭の発言に至る少し前の16年シーズンの後半に歯車は狂い始めていたのだが。その意味では結果的に失敗したとはいえ、シーズン前にフロントがチームを刷新したこと自体は間違いではなかった。その刷新したチームに新たなプレースタイルを導入しようとしなかった(または結果的にできなかった)ことが、序盤戦不調の最大の理由である。

https://victorysportsnews.com/articles/4687/original (3-6-1とは何か)

17年シーズン前半戦最後の、埼玉での浦和戦の敗戦は、ここまで散々傷ついた誇りを粉々に砕く一撃となった。この試合の結果をもって森保監督の退任が決定した。偉大な監督の最期には相応しくなかったが、前半戦で2勝という結果の前ではどんなに優秀な弁護士でも無罪を勝ち取ることはできないだろう。
皮肉な巡り合わせだが、引導を渡したのはペトロヴィッチ率いる3-6-1の浦和であり、ペトロヴィッチ自身もまた、森保監督の後を追うように次節に解任の憂き目にあっている。同時期にJリーグから3-6-1が消えたのは決して偶然などではない。
こうして、このシステム(プレー原則)を使うチームは、Jリーグから姿を消し、広島のシーズン前半戦は幕を閉じた。この時点での順位は17位。残留を達成するには奇跡が必要なように見えた。
シーズン後半戦、降格が現実味をおびる難しい状況で、森保監督の後を継いだのはOBのヤン・ヨンソン監督だった。極東から突然乞われた北欧の指揮官は、奇跡などという実体のないものにすがることなく、実に冷静にチームのバランスを立て直して見せた。新しい何かを創造したわけではないかもしれないが、その時点における最大の策を講じて残留という結果を勝ち取ったことは特筆に値する。
システムを従来の3バックから4バックに変更し、ソリッドな守りからシンプルに前線のパトリックという傭兵(残留の立役者に対しての表現としては失礼だが)を活かすという戦い方を徹底した。
さらに冷静だったのは、降格の淵に立たされた終盤戦、上位陣との対戦において勝ち点を落としてもパニックに陥ることなく、ある程度勝ち点を計算できる下位チームとの対戦で粘り強く戦ったことだ。
セレッソや磐田らの上位陣から金星もあったとはいえ、ヨンソン体制後に奪った勝ち点のほとんどは中位または下位に位置するチームから奪ったものだ。すでに、上位争いから脱落し、かといって降格の危機にも晒されていないモチベーションを失った中位には勝利し、残留を争うライバル達とは引き分けることで勝ち点差を維持。地道に這い上がっていったチームはホーム最終戦のFC東京戦を迎えた時点で、ぎりぎり残留できる15位に位置する事に成功していた。
苦しかった17年シーズンの中にポジティブな側面を見出すなら、チームが残留への希望という灯火を最後まで消さずにいた様に見えたことだ。
負ければ降格するというきわのきわ、32節と34節でヒーローとなったのは序盤戦ではベンチ入りすら叶わなかった稲垣祥だった。それでもチームが苦しい中で力になるべく、腐る事なく、静かにその機会を待ち続けていた。
神戸戦(32節)と東京戦(34節)での連続ゴールは広島を残留に導くゴールだった。真にモチベーションを失ったチームからはこの様な選手は出てこない様に思われる。
その稲垣のゴールが決勝点となり、ホーム最終戦のFC東京戦を勝利で飾った広島は、残留を争うライバル達が引き分けたため、1節を残してJ1残留を決めた。

https://m.youtube.com/watch?v=BlH2YZCm71s

FC東京戦の稲垣のゴール

試合後には、ペトロヴィッチ、森保体制下で主力として活躍したミキッチの退団セレモニーが行われた。長年広島を牽引してきたウインガーの退団は一つのサイクルが終焉した今シーズンを象徴していた。
残留が決まったことにより、事実上サンフレッチェの2017年はこの日で幕を閉じた。
おそらく来年もJリーグは予測不能な “恐ろしいリーグ”であり続けるだろう。底から這い上がった広島はどうなるのだろうか。既に残留という”任務”を遂行したヨンソン監督は続投しないことが決まっている。新たな体制の下、新たな指揮官を迎えることになる。フロントの判断が問われるのはここからだ。だが、いずれにしてもサポーターは我慢強く見守る必要があるだろう。1つのサイクルが終わったということは新たなサイクルが始まるということである。新生サンフレッチェ広島がどのようなフットボールを見せるのか興味は尽きないが、ペトロヴィッチ監督が導入し、森保監督が完成させたプレー原則がJリーグを制するまで6年かかったのだから。

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