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サンフレッチェ広島 森崎和幸

2018シーズン、Jリーグ最終節の札幌ドームはACL出場権を争うチーム同士の直接対決と、サンフレッチェ広島に所属する森崎和幸の現役最終試合という2つの重大な意味を含む対戦の舞台となった。
サンフレッチェ広島の森崎和幸がフットボールが"うまい"ことは、エディオンスタジアムに足繁く通うサポーターにはお馴染みだろう。月並みの表現だが森崎和幸という選手を端的に表現する言葉として最も適切だ。

フットボールは11人で戦うチームスポーツであるがゆえに、チームとしての戦い方、そして監督から課されたタスクによって、個々人にピッチ上での煌びやかさに差異が出てしまうスポーツだ。
例外はあるにせよ、一般的にポジションを後方に移せば移すほど個より組織にフォーカスされる度合いが高くなる傾向があるため、例えばDFの評価はストライカーなどの攻撃的な選手に比べて難しくなることがある。
世界ナンバーワンプレーヤーを決めるという名目のバロンドールはDFやGKがほとんど評価されない。

同じサンフレッチェの象徴である双子の弟の森崎浩司は、和幸よりも1列前方の攻撃的なポジションであり正確なFKも蹴るため"うまさ"を理解しやすい選手の一人である。一方で後方のポジションに位置する森崎和幸は頻繁に得点に絡むわけではなく、なおかつ11人の選手を1つのチームとして機能させるという黒子のタスクを担うことが多いため、その"うまさ"を理解しようとすると少々難解だ。

いわゆるボランチのポジションである森崎和幸の"うまさ"を理解するためにはフットボールの造詣を深くする必要があるが、知識がなくても優れた芸術作品の素晴らしさを感じ取ることができるように、必ずしも彼の凄さを理解するためにフットボールの知識が必要になる訳ではない。

フットボールが"うまい"とは正確なトラップができること、シュートが正確なこと、永遠にスプリントできるスタミナ、あるいは誰にも当たり負けしないフィジカルも持っていること、またあるいはロシアWCのアルゼンチン戦でフランス代表の若き天才エムバペが見せた圧倒的なスピードによるドリブルのことをいうのではない。
もちろんそれらの能力はフットボールをプレーする上で大きなアドバンテージになることは間違いない。しかし、どんなに能力を有していたとしても、それをフットボールというゲームの文脈の中で表現できなければ宝の持ち腐れだ。

その点において森崎和幸は理想的なプレーヤーだ。試合中に派手なプレーとは無縁だが、自身の高い技術を試合の中でどう活かすかを完璧に理解している。判断を間違えることもミスを犯すことも稀だ。うまいプレーのうまさを見せないことが森崎和幸の1番の"うまさ"である。
しかし、難しいことをイージーに、複雑な物をシンプルに変えてみせてしまう彼の非凡さは、それ故にしばしば彼の才能を覆い隠す作用として働いた。
広島がJリーグを制した2012年のJリーグアウォーズで森崎和幸がベストイレブンの選考から漏れた時、指揮官である森保監督がその選考に意を唱えたのは象徴的な出来事だ。「なぜカズがベストイレブンに選ばないのか」と指揮官は激怒したという。

時計の針を16年巻き戻そう。同じく16年前もサンフレッチェ広島のJリーグ最終節は札幌ドームが舞台だった。最終節を残してクラブ史上初のJ2降格の危機に直面していたその年の広島は 、当時既にチームの顔だった森崎兄弟をはじめとする数名の若手をピッチに送り出した。
試合は壮絶な打ち合いとなったが、チームはクラブ史上初の降格というプレッシャーを乗り越えるためにはあまりに経験が足りていなかった。
延長戦の末に敗れた広島はクラブ史上初の降格を経験するとともに、ステージ優勝を経験したチームとしての初降格という不名誉な記録も受け入れなければならなかった。(16年前の降格を知る選手は現チームでは森崎和幸と林卓人だけだ)

オリジナル10(Jリーグ創設時から存在するオリジナル10クラブ)の一つであるサンフレッチェ広島だが、2000年代初頭は優勝争いには縁がなく、調子が良い年はACL、悪ければ降格の恐怖に怯えながら戦う、育成に重きをおく単なる地方クラブに過ぎなかった。
2008年には2度目の降格を経験するが、降格した監督を切らないという英断で1年でJ1に返り咲くというプライドを見せるものの、Jリーグの主役を演じることができるチーム力ではないことは明白だった。
ホームスタジアムへのアクセスは最悪で、陸上トラック付きのピッチはサッカー観戦に適していると言えない。県民に応援されていないわけではないが、広島の人間がまず気にするのは広島東洋カープの勝敗という独特の風土もサンフレッチェというクラブを規定する要因になった。

潮目が変わったのは2012年のリーグ初制覇であり、その翌年に望外の連覇を果たしたことで、群雄割拠のJリーグの中でも一頭地を抜く存在としての地位を築くに至った。そして、2015年にクラブW杯出場し、世界3位というサンフレッチェ広島のクラブ規模を考えれば奇跡と表現しても大袈裟ではない結果によって、サンフレッチェの強さが単なる運や偶然ではなく、クラブの規模を一貫した努力と工夫で埋めようとしてきた成果であると誰も否定できなくなった。南米王者リーベル・プレートに惜敗していなければ決勝はあのバルセロナだったことを考えれば、当時の広島のフットボールの完成度がいかに高かったかを推し量ることが可能だ。そしてそのフットボールは森崎和幸がいなければ完成することはなかったであろうことは、森崎和幸を称賛するチームメイトや過去の監督の言葉を元にすれば容易に想像できる。

慢性疲労症候群という病気によってピッチに立つことができないシーズンがあったにせよ、常に森崎和幸がサンフレッチェの中心として存在することは普遍的なことだった。
フットボールのサポーターはチームや選手をサポートしているが、その逆もまた然りであり、森崎和幸の天才的なプレーがサポーターやファンの支えになっていたという事実を広島サポーターはこれから痛感していくことになるだろう。
来シーズンからサンフレッチェ広島の選手名鑑に20年間存在した森崎という名はついになくなってしまう。サポーターは週末のスタジアムに足を運んでも森崎和幸のプレーが見られない現実を受け入れなければならないが、この現実に苛まれるのはサポーターやファンだけではない。森崎和幸という旗手を失って1番被害を被るのは間違いなくサンフレッチェ広島というクラブ自身だろう。

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