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君は1人じゃない




2019年11月に武漢で発生したウィルスは瞬く間に世界に伝播し、おおよそ人々の生活に関わる全てのものが影響を受けることによってその様式は一変してしまった。人々が生きていく上で、"最も低い優先事項のなかで最も重要なも"であるフットボールも例外ではなく、後にCOVID-19と名付けられたウィルスの影響を大きく受けることになった。

コロナ禍がまだ本格化する前にスタンダードチャータード銀行とリヴァプールのパートナーシップを祝うために作成されたCMは図らずも、現在の危機的状態にあるフットボール界においても困難に直面する全ての人々にとっても重要なメッセージを含むものとなってしまった。You'll Never Walk Aloneをバックに1人のリヴァプールファンの少女が成長していく姿を描いたそのCMは、フットボールチームを愛するということは何たるかを美しくも、痛々しくも表現している。

You'll Never Walk Aloneがなぜこんなにも長きに渡りフットボール界で歌い継がれ愛されてきたのか。それは美しいメロディだけが理由ではない。この曲に時代や場所を超えて、人々に対する普遍的なメッセージが込められているからだと、このコロナ禍は改めて教えてくれた。

嵐の中を進むとき、暗闇を恐れずに顔上げてゆこう

嵐の果てには、黄金色の空が待っている

希望を胸に
歩いていこう

君は1人じゃない


1人の少女がバレエの発表会に挑もうとしているところから動画は始まる。彼女の脚元にはL.F.Cの文字が刻まれている。愛するチームはどんな時でも勇気を与えてくれる。


2011年8月19日。8歳の誕生日を迎えた少女は母親の呼びかけで顔を覆っている手を開く。そこには愛する"スティービー"ことスティーブン・ジェラードのサプライズケーキが用意されていた。彼女にとっては一生忘れられない誕生日になったはずだ。そして、この年はリヴァプールにとっても歴史に残る移籍を成立させた年でもある。この年の1月にアヤックスアムステルダムからエル・ピストレロことルイス・スアレスを獲得する歴史的ディールを成立させている。移籍直後からコップの心を鷲掴みにしたスアレスは、のちにアンフィールドで狂信的な人気を得るに至る。少女のこの年の"推し"はスアレスのようだ。


それから3年。成長した少女の推しはスアレスの移籍によりコウチーニョになったようだ。黒いサードユニフォームをお洒落に着こなして、近くのパブへ繰り出した。フィッシュ&チップスを頬張りながら観戦するのは、同じ街のライバル、エバートンとのマジーサイドダービーだ。この日、ジェラードは自身通算32回目のダービーで10得点目を直接FKで決めている。


翌年の2015年、9月。学校の授業中でさえ、試合があれば気になってしまうのがサポーターというものだ。理科の授業を受けるフリをして今日も愛するチームの応援に精をだす。この日はアストンビラを相手にジェームス・ミルナーの素晴らしいパスを怪我から復帰してまだ日が浅いダニエル・スタリッジが素晴らしいボレーで決めてみせた。

度重なる怪我で活躍が散発的だったとしても、スタリッジがリヴァプールの歴史において偉大なストライカーの1人であることに疑いの余地はない。

15-16シーズンの26節。白いアウェイユニフォームで挑み、コウチーニョの素晴らしいクロスからヘディングで先制点を奪ったアストンビラ戦。
14-15シーズンの23節、素晴らしいトラップから決めたウェストハム戦。長期の怪我から復帰する度にゴールを決めてきたこともスタリッジの心の強さを表現している。
13-14シーズンの9節、WBA戦。エリア外から信じられないチップキックを決めた。この年のスタリッジとスアレスのコンビはイギリスの特殊空挺部隊になぞらえてSASと呼ばれプレミアを席巻した。そのどれもがスタリッジの独特なゴールセレブレーションと共に記憶されている。

そして、パーティーでスタリッジのゴールセレブレーションを踊る少女の顔は幸せに満ちている。日常のどんな時でもフットボールを見出してしまうのはフットボールファンの愛すべきところだ。時には、フットボールに全く興味のない友人から呆れられてしまったとしても、止めることはできない。フットボールファンは愛するチームをいつも感じていたいものだ。



しかし愛することは時として痛みを伴うのは人生でもフットボールでも同じことだ。むしろ、近年のリヴァプールは辛い出来事の方がずっと多かったのかもしれない。
13-14シーズンはスティーブン・ジェラードが最もプレミア優勝に近づいたシーズンとして人々に記憶されている。シーズンの終盤までマンチェスター・シティとタイトルを争い、34節ではシティを直接対決で下し首位に立った。誰もリバプールの勢いを疑う者はいなかっただろう。リバプールが優勝を逃した原因を36節チェルシー戦でのジェラードの"スリップ"だと考えているフットボールファンは多い。だが当時のリバプールは優勝できるだけの力を備えたチームではなかった。スアレスの神通力と、スタリッジやスターリング、コウチーニョらの攻撃陣が問題の本質を覆い隠していたに過ぎない。実際リバプールのシーズンを通しての失点は優勝するにはあまりに多過ぎた。
37節のクリスタル・パレスとの一戦で3点差から追いつかれての引き分けに終わった瞬間、事実上優勝の可能性は絶たれた。スアレスの涙とそれを庇うキャプテンの姿がこのシーズンの全てを物語っていた。

結局この偉大なキャプテンはリーグタイトルに恵まれることなくフットボーラーとしてのキャリア終えた。少女の瞳にうつったジェラードは永遠だ。その姿を見ながら少女の脳裏に思い出される過去の苦い記憶。愛する選手との別れはいつか必ずどんな形であれやってくる。孤独に苛まれる少女の心…




1人の男の到来がリバプールの全てを変えた。
ドイツからやってきた熱血漢はその情熱の全てをリバプールに注いだ。クロップは灰になり燻っていた名門に再び火を灯し、不死鳥は蘇った。

サディオ・マネ、モハメド・サラー、ロベルト・フィルミーノのスリリングスリーの破壊力。ジェラードの意思を継ぐヘンダーソン。新たなる旗手の存在。


そして、欧州の頂へ




少女は1人歩いていく、未来へ向けて。
明けない夜はない、と。


だが彼女は1人で歩いているのではない。

それは今、困難に直面している全ての人々も同じである。

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