日本政府および日本国の連続性とは?

第二次安倍政権が成立する前、首相が一年おきに変わるのが多発していました。その末期の3年ぐらい、民主党が政権を担っていました。この時期に多くのタカ派やネトウヨと言った英語圏で言うところのファーライト(極右)に当たる人たちの台頭がありました。

僕も含めて思ってたりした事ですが「日本は首相が変わるたびに言う事が違う」と外国に言われたりすることが日本国にとって害悪であり時の政権によって「政治の連続性」が無くなると思っていた事です。
確かに一年ごとに首相が変わってそれぞれが違う事を言われたのでは日本とは約束事を出来ないとなるのは当たり前です。つまり信用が無くなるということです。しかし日本国ってどうやって運営してたでしょうか?シンゾーアベが死んだのでコッ糞!…じゃなくて国葬したくらいですから時の総理大臣が日本国を運営してた……いやいや違います。少なくとも日本国は放置国家…じゃなく法治国家です。日本国は表向き少なくとも独裁国家ではありませんからシンゾーアベが死んだからと言って国葬を開くなんてバカ以外の何でもないですし、じゃシンゾーアベがルーピー鳩山こと鳩山由紀夫を粛清したかと言うと間接的にはヤりましたが、それもせいぜい自身のメルマガでディスっていた程度で止まってるんです。仮に本気でヤったとしたら普通に法律のもとで裁かれるのは当たり前の事です。その証拠にシンゾーアベを銃撃した山上徹也はちゃんと殺人罪でとっ捕まってるわけです。

もし日本政府や日本国の連続性が絶たれるとしたら憲法改正で国の形が変わってしまったぐらいのことが起こらないとそうならないと思います。または権力側が「俺たちに法律なんて関係ない」と言い出して傍若無人を全面的に働く事でしょう。そしてそれを支持する人たちがそこに加担することになった時です。
先程日本国は法で運営されているから法治国家であると言いました。その反対に相当するのが人治国家です。人治=人智国家なら良いのですが、大抵の場合は人治国家=独裁国家です。人治国家の一番の欠点は当の本人が居なくなった後の国家運営です。次にその時の気分で裁かれる人が多発する事です。回りくどく言いましたがそれが粛清というものです。気に入らない奴を難癖つけて行う殺人です。
時の権力者が国民の為に最初はいい感じで働いていたのですがある時から豹変します。これが法律を定めて国家運営が行なわれていたら防げる事です。また移ろいやすい事もあるから法律を定めて国家運営を行う法治国家があるのです。「こういうふうに決めたでしょ?それはそこから外れてるんだからだめでしょ!」とブレーキをかけられます。マスコミに良いところを報道されない日本の野党が辛うじて生き残れてるのはそれをやる為ですしそれで生きてるんです。これが自民党内部の人間であればできても効き目は薄いでしょう。もしそれが出来なければパワーバランスの原理で今の野党なんてもう消えて亡くなってるはずです。

つまり日本国はシンゾーアベのものでも無かったし、仮にまた首相が一年おきに変わる時期が来たとしても日本国の形が早々やすやすと変わるものではないからです。それが証拠に人権に関わるすべての事についてはガン無視を続けてたりするわけですしそれに比例する政府で有り続けてるわけです。悪い方の国家の連続性はちゃんと続いています。

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