見出し画像

『おばあさんといっしょ』


冒頭の辞

 ある日、祖母がMacBook Airを買ってきた。いったい祖母の身に心に、いや脳に何が起きたというのだろう。あんなに文明の利器を嫌っていたというのに。いろんな意味で心配だ。
 祖母の趣味は掌編小説もどきの駄文を書くことである。内容は昔話のリメイク、いわゆる二次小説などであるらしい。令和の御代になっても頭の中は永遠の昭和なので、駄文はいつも四百字詰め原稿用紙に書いていた。最近は原稿用紙を置いている文具売り場も少なくなったとぼやいていたが、祖母をして紙から電子機器に創作の場を移す決意をさせたのは、原稿用紙の入手が困難になりつつあるという理由によるものだけではない。紙だと書き直しがむずかしいというのが本当のところであるらしい。
 私は小さい時から祖母がよく原稿用紙を切ったり貼ったりしているのを見てきた。子供心にたいへんそうな作業だとは思っていた。実際たいへんだったのだろう。だから、パソコンで文章を書くと書き直しが容易だと聞くうちに、祖母の頭の中でアップデートが起こった。雨垂れはついに石を穿ち、パソコンが原稿用紙を駆逐する日が来たのである。
 とはいえ、これは祖母にとっては甚だ不本意なことではあったようだ。アナログに生き、アナログに死ぬ覚悟のもとに生きてきた祖母が、文明の利器ならぬ魔器に膝を屈するのは、生を全うせんがために断腸の思いで聖母子像を踏んだ隠れ切支丹の無念に通ずるものがあったであろうことは、想像に難くない。
 しかし祖母は仏教徒であった。諸行無常は仏教の根本原理、四法印のひとつである。祖母はおのれの変節をあえて咎めないという新たな覚悟を決め、新時代の機器でおのれの存念を書き散らす道をみずから選び取ったのだ。
 そしてパート勤めで貯めた現金を握りしめ、家電量販店へと走った。祖母の辞書にクレジット決済という単語はない。店頭展示されている数多の機種が妍を競う中から店員の口車に乗せられて、即金で買ってきたのがMacBook Airであった。
 新品のMacBook Airを前にして、祖母と私はしばし無言の時を過ごした。幸いなことに、初期設定は済ませてあった。ご維新前からタイムスリップしてきたような祖母を見て、店員も気を利かせたのだろう。そうでなくては売り上げは伸びない。祖母はMac(以下省略)の使い方を一切合切私から習うつもりでいたようだが、私はWindowsは使っているが、Macに関してはズブの素人である。祖母はパソコンにはMacとWindowsという二大派閥があることさえ知らない。Macを買ったのは、店員に勧められたことに加えて「電話(スマホのこと)と同じリンゴの絵が付いていたから」というのも大きな理由であったようだ。人は誰しも見慣れているものに安心感を抱くものだ。

Lesson1 MacBookAirを起動する

 鉄板の上で熱せられた帆立貝の気分でおもむろにMacのふた(天板)を開く。ドゥワワ〜ンという音楽が奏でられ、真っ暗な画面中央に白銀のリンゴが神々しい姿を現す。次いでその下にリンゴと同色の一条の横線が左から右へと伸長する。横線が伸び切ったとき、画面は明るい光に満たされ、画面のいっぱいにジョージア・オキーフの作品を彷彿とさせる花びららしきものが表示された。黄金の林檎すなわちオレンジ色の花びら様の物体の中央に、カメオ出演のように丸く切り抜かれた綿毛状のたんぽぽが現れ、その下に祖母のフルネームがローマ字で彼女の所有物であることの正当性を主張していた。さらにその下には『パスワードを入力』の文字がはかなげに現れ、行頭のカーソルが入力を促すように点滅している。
 祖母が店で決めてきた6桁の数字を打ち込む。なんでその数字にしたのかと尋ねると、小学校の4年生当時仲が良かったが後に喧嘩別れした同級生の生年月日を採用したとのこと。記憶力はまだ衰えていないようだ。
 パスワードを打ち込みreturnなるキーを押すと、青空を背にジョージア・オキーフが前面に現れた。たんぽぽその他は消え去っていたが、最下段にアイコンが歩哨のように整列している。Mac版のタスクバーということか。またreturnキーはwindousのEnterキーであることを付言しておく。

                        (作品一覧はこちら)

Lesson2 pagesを起動する

  老眼よりも未だに近視が勝る祖母が、食い入るようにアイコンの図像とその意味するところを照らし合わせている。
「これだね」
 得意げに祖母がひとつのアイコンを指さす。そこには黄金の林檎と同系色の地に白銀のペンがスラッシュ状に表示されていた。
「なに、これ」
 お初にお目にかかります。
「pages。文章書くならこれがいいって」
 なるほど。Wordというわけか。スマホで検索してみる。云わく『pagesとはApple社が開発したワードプロセッサー及びページレイアウトのアプリケーションである』そうだ。
 祖母がpagesのアイコンをタップする。アイコンが、赤い帽子に紺のオーバーオールを着用したイタリア人配管工のようにぴょんぴょん飛び跳ねたかと思うと、画面がテンプレートの見本市になり、画面最上段左端のリンゴ印の右に展開するメニューバーの左端、つまりリンゴ印の右隣にpagesなる表示が現れた。

                         (作品一覧はこちら)

Lesson3 文字を打ち込む

 まず、テンプレートの中から適当にひとつ選ぶ。とりあえず最上段の左端を。そこではたと行き詰まる。いかにして確定するのか。マウス、マウスがない。確定できない。スマホで検索する。Macでマウスなしでクリックするには?答え:controlキーを押しながら項目をクリックする。もしくはトラックパッドを使って項目をクリックする。トラックパッドを触ってみる。画面上のマウスポインターが動く。
「あ、なにか動いた」
 祖母が感心している。はじめて這い這いしてごみを見つけて目を輝かせている赤子のようだ。いや、だからまずは確定。トラックパッドの上で指をぐるぐる動かして、マウスポインターを選んだテンプレート上に移動させる。
「おばあちゃん、ここ、ぐるぐるさせたら矢印動くから」
 で、確定だ。確定するにはトラックパッドをダブルクリックするとのこと。そこでトラックパッドの左下をクリックする。ちなみに私がダブルクリックした。祖母には次からやらせるので良しとする。確定完了。画面上に選んだテンプレートが大きく表示された。が、なにかが違う。違和感は画面上にではなくクリックした指先にあった。
 私は普段マウスを使って操作しているが、トラックパッドを使っていたこともある。My Winndowsのトラックパッドの下部には左側に左クリックを、右側にクリックをするための少しくぼんだ箇所がある。しかしこのMacにはそれがない。そのあたりについてスマホで検索。答え:Windowsのトラックパッドにはくぼみがあるが、Macのトラックパッドにはない。私の指先は押しなれたくぼみの感触を求めていたということか。
 さて、ようやく確定ができたところで文字の打ち込みを開始する。
「おばあちゃん、何か打ち込んでみる?」
 祖母は小首をかしげて目をぱちくりさせた。
「何でもいいよ」
 祖母の反応、前に同じ。そこでようやく気がついた。パソコン初心者の祖母はキーボードに触れたことがないのだ。打てるわけがない。
「ここに文字が書いてあるキーが並んでるでしょ?これを打ったら画面に文字が表示されるんだよ。ためしに何か打ってみる?」
 恐る恐る祖母が人差し指でキーを打つ。GHJKのキーを打ったのだが何かおかしい。全角の小文字が表示される。
「ねぇ、おちびちゃん!ローマ字になってるよ」
 そこか。たしかに『G』のキーの斜め右下には『き』と平仮名が書いてある。まさかそっちを見ていたとはまったくの想定外であった。では、祖母の要望に応えて平仮名で『き』『く』『ま』『の』と入力するにはどうしたらいいのか。そこでまたスマホにご登場いただく。便利だ。まさに文明の利器だ。いろいろ面倒なことが書いてあったが、キーボード最下段中央のスペースキーの右隣りにある『かな』と書かれたキーを打ってローマ字入力すれば、所期の仮名文字が表示されるということであった。
「あばあちゃん、そこの一番下の段の『かな』って書いてあるキー、ちょっと打ってみて」 祖母の人差し指が『かな』キーを打つ。
「じゃあね、『K』『I』って打ってみて」
「『K』?『K』ってどこ?」
 祖母が食い入るようにキーボードの配列を見ている。百人一首の取り札を探しているようだ。 
「ここね」
 『K』のキーを指してやる。「こんなところに」とつぶやきながらキーを打つ。画面上に小文字で『k』と表示される。
「ちょっと、おちびちゃん!仮名になってないよ」
 想定内の反応である。
「まあ、落ち着いて。今度は『I』のキーを打ってみて」
 ふたたび百人一首かるた状態になったので「I』のキーを教えてやる。
「あっ、おちびちゃん、『き』になったよ!」
 はじめてパソコンに思う文字を打ち込むことができて、祖母は人生の階段を一歩上がった。 
「じゃ、今度は『く』だね」
『K』と『U』を先ほどのように打たせる。さらに『M』『A』『N』『O』と以下同文。
「『きくまの』になった」
 祖母が喜ぶ。達成感を得ているようだ。この小さな達成感の積み重ねが人を成長させるのだ。私も人が成長してゆく姿をみることができて嬉しい。

                                               (作品一覧はこちら)


Lesson4 pages並びにMacBookAirを終了する

 ローマ字入力を理解したところで次に習得するべきことは、ホームポジションを指先に記憶させることだろう。むかし、パソコンを始めた時に使っていた指ごとのホームポジションを色分けした表がまだある筈なので、探してみよう。と、いうことで、いったんここで終了する。
 と、ここでpages並びにMacの終了方法をスマホで検索し、結果を祖母に指示する。
「一番上の段のpagesってとこの隣り、ファイルってところに矢印を持って行って」
「え、どうやって」
「トラックパッド、ここね。ここをくるくる指で回して。そう、ほら、矢印が動くでしょ。そうやって動かして、矢印をファイルのとこまで持って行く」
 矢印がファイルという文字を指した。
「そこをクリック」
「クリック」
「トラックパッドを指でカチッと」
 ファイルの操作メニューの一覧が表示がされる。
「保存てとこをカチッと」
 新たなる表示。保存するかキャンセルするかと問うている。保存するなら『名称未設定』の枠内に名前をつけて保存をクリックすればよい。
「今、練習で打ち込んだ文字をとりあえず保存てことにしておくけど、名前は”タイピング練習”でいいよね」
 「OKです」
ということで、名前をつけて保存。そして画面左上の赤い丸にマウスポインターを持っていくと丸の中にバッテンが浮かび上がる。そこをクリックすると画面が閉じられ、元のジョージア・オキーフになった。
 終了は、これまた左上のリンゴ印をクリック。表示の中から『システム終了』選んでクリックすると、画面中央に現れた表示が『キャンセル』か『システム終了』かを迫ってくる。『システム終了』をクリック。画面は漆黒の闇に閉ざされて終了。

                         (作品一覧はこちら)


Lesson5 タイピング練習

 むかし使っていたホームポジションの配列表の埃を払って祖母に与える。捨てていなくて良かった。物持ちがよいとこういう時に無駄な出費を抑えることができる。あとは練習あるのみ。祖母本人にかかっている。ためしに一週間の練習期間を与えた。上達や習得には期限を切ることも大切だ。いつまでかかってもいいというのは時間の浪費にしかならない。おそらく出来るようになる前に、人生の残り時間を使い果たしてしまうか若しくは飽きてやらなくなってしまうだろう。何事にも適度な負荷は必要だ。習得如何は祖母次第。しばらく私の出番はない。
 そして一週間経過。意外にもそこそこ出来るようになっていた。人間いくつになってもやれば出来るということか。何度か私も手伝ったが、パソコンの起動や終了も出来るようになっていたので、祖母の頭の中もいよいよ文明開化の時代を迎えたようだ。ただ、ブラインドタッチは厳しいと見た。本人も望んでいないのでそこに力を注ぐ必要はないだろう。

                         (作品一覧はこちら)


lesson6 実際に文章を打ち込む(文字の変換)

「じゃ、なにか文章打ってみる?なんでもいいよ。昔々あるところに〜とかでも」
「おばあちゃんが書いたお話でもいい?」
「もちろん!いいじゃん、それ」
 祖母が含羞む。嬉しそうだ。それはそうだろう。いよいよ自分の作品をパソコンに打ち込むことができるのだから。”原稿用紙よ、さらば”だ。まっさらなpagesのテンプレート画面に祖母の文章が打ち込まれる。

『りんごさきわうおとめのやわはだ』

「これは……、なに?」
「だから『林檎幸う処女の柔肌』ね」
”ね”って、あなた。なんなの、それは。
「それってなに?どういうこと?」
「どういうって、おばあちゃんが書いたお話のタイトル」
「ああ、なるほど」
 そういうタイトルなのだ。どんな話?とは、とりあえず今は訊かない。
「で、これを漢字に直したいんだけど」
 平安時代の女性もしくは幼稚園児ではないので、仮名文字を入力した後には漢字変換という作業を行う必要がある。
「どれとどれを漢字にしたいの?」
「ええと、まず”りんご”ね」
「じゃ、”りんご”の”り”の前にマウスポインターを持って行ってトラックパッドをクリックしたまま、”りんご”の”ご”まで引っ張っる。ドラッグするっていうんだけどね。」
 なかなか上手くいかない。”り”の前でクリックした時、手を離してしまうのだ。それでも何回か試みているうちに”りんご”の文字を確定することができた。
「なんか青くなった」
「deleteキーを押して」
 deleteキーの位置がわからないようなので、位置を指してやる。迷っていた人差し指がdeleteキーを押す。
「あれ、消えちゃったよ」
「大丈夫。”さ”の前でカーソルが点滅してるでしょ。そこにそのままもう一度”りんご”って入力して」
 ”さ”の前にふたたび”りんご”の仮名文字が表示される。
「”りんご”の下にアンダーラインがあるでしょ。アンダーラインがあるってことは、この文字列っていうか単語がまだ確定されていないってことを表してるわけよ。で、この状態でスペースキーを押す。キーボードの一番下の段、何も書いてない横長のキーね」
 今度は分かりやすいのですぐに押すことができた。
「あ、漢字になった!」
「もう一回押してみて。変換候補の一覧が表示されるでしょ。カタカナとか中国語の漢字表記とかローマ字表記とか絵文字なんかもある。スペースキーを押すたびに一つずつ青くなって、青くなってるところの文字が画面上にも表示される。この文字でいいと思ったら、そこでトラックパッドをクリックする。これで確定されました」
 画面上に『林檎さきわうおとめのやわはだ』と表示された。
「で、つぎは?」
「”さきわう”だね」
「どういう漢字?」      
「幸いって字」
「”さち”って字?」
「イエス」
「では、”さ”の頭をクリックしたらそのまま”う”までドラッグする。deleteキーを押していったん消す。もう一度同じ単語を打ち込む。単語の下にアンダーラインがあります。スペースキーを押します」
 ”さきわう”と入力し、スペースキーを押す。
「あれ、なにこれ。変なのが出たけど」
 画面上には”先和う”と意味不明な日本語と思しき単語が表示されている。スペースキーを連打しても”幸う”にはならない。
「多分、一般的じゃないからだと出てこないんだと思う」
「じゃあ、漢字にできないの?」
「そういうことはないよ。”さち”でも”さいわい”でもいいから打ってみて」
 祖母は”さち”と打った。
「で、変換する」
 ”さち”が”幸”になる。
「その後に送り仮名の”う”を打つ」
 ”幸う”と表示された。
「でね、もし”さち”で出てこなかった時は、”こうふく”って打って変換する。漢字で”幸福”って表示されたら確定し、”福”をdeleteキーで消して”う”って打ち込む。それでも”幸う”になるから」
「なるほど」
「今やったことで、文章を消したり消したところへ新たに別の文章を打ち込むってこともできるでしょ」
「ほんとだ!こういうことをやりたかったんだよ。原稿用紙じゃ本当にたいへんで」
 さもありなん。これがためにパソコンをかったのだから。できなかったら大枚はたいた意味がないというものだ。
「じゃ、ちょっと本文を打ってみる?」
 祖母は本文を書いた原稿用紙を取りに行った。

                         (作品一覧はこちら)


Lesson7 実際に文章を打ち込む(ルビの振り方)

 私は今、パソコン上で祖母が書いた物語を読まされている。純文学でもなくライトノベルでもない、”物語”あるいは”おはなし”とでも分類するしかないような代物である。この人はこういうものを書いてきたのか。私も小学生の頃、アニメを見たり児童文学を読んだりして、作品の世界にひたったりその後を想像してみたりしたものだ。そのようなことを思い出し、ある種の感慨に耽らないではいられなかった。

『…なかなか子宝に恵まれなかったある夫婦が子供をあきらめかけた頃、玉のような女の子が生まれた。両親はともに容姿に恵まれていたが、とりわけ母親のほうは、雪のように白い肌に熟した林檎のような紅い唇、闇夜の烏もかくやの黒髪をもつ、人目を引かざる能わぬ美にして艶なる婦人であった。女の子は男親に似るというが、容姿という財産を母親から複写して生前贈与された娘は、両親の深い慈しみのもとに幸福な子供時代を過ごした…』

 高名な『白雪姫』のリメイクであろうか。
「ところで」
 私は作品から作者へ目を転じた。
「タイトルにルビを振りたいんだけど」
 よいところに気がつきましたね。もっともです。『林檎幸う処女の柔肌』を『りんごさきわうおとめのやわはだ』とすんなりと読まれることは稀であろう。ここでルビ、読み仮名の付け方を学ぶ。教えはすべてスマホに請う。 
「では、”林檎”はいいとして”幸う”だよね。これにルビを振るってことでいいですか」
「いいです」
「ええと、まずテキストを選択する…、ということなので”幸”を選択して」
「せんたく…」
「ドラム式じゃないよ。”幸”の前にマウスポインターを持ってくる。はい、トラックパッドをくるくるして。そこでクリックしたら指はそのまま力を抜かずに少し右へずらして”幸”全体を青くする」
「したよ」
「では次にcontrolキーを押します。あ、キーボードの左端。そこ」
「押した」
「いや、指は離さないで。controlキーを押したまま、選択して青くなってるところをクリックすると『振り仮名』の扉が開かれます。表示されたメニューの中から『振り仮名』を選んでクリックし、オレンジの枠の中をいったん消して”さきわ”と打ち込む」
 ”幸う”の”幸”の上に”さきわ”とルビが振られた。
「できた!」
「よくできました。他には?」
「”処女”に”おとめ”と振りたい」
「では、やってみよう」
 ”処女”を範囲選択し、controlキーを押したまま選択したテキストをクリックする。開いたメニューから『振り仮名』を選択、振り仮名の記入欄に任意の振り仮名を記入する。斯して”処女”の上には”おとめ”の振り仮名が表示された。
「できたね」
「ありがとう。これで難読漢字も安心して書けるよ」
「なにか他にやりたいことある?」
「そうだね、文章の入れ替えみたいなこと」
「入れ替えとは?」
「たとえば、三段落目で書いてる一文を一段落目に移動させるみたいな」
「わかりました。それはコピー&ペーストという技です。略してコピペ。では、ちょっとコーヒーブレイクをはさんでお勉強していきましょう」

                         (作品一覧はこちら)


lesson8 実際に文章を打ち込む(コピー&ペースト、鉤括弧その他)

「では、コピー&ペーストをしていきましょう。どこをやる?」
「ここ、『都市部からの山村留学生を受け入れている自治体があるということを、夕方のテレビニュースで知ったのであった』ってとこだけど、『夕方のニュースで』を頭に持ってきたい」
 画面上には、祖母の作品が長々と書き連ねられている。全文ではないということだが、会話のない地の文が延々と続いている。これだけのものを原稿用紙で書くのはさぞかしたいへんだったことと思われる。何度もチョキチョキしたのであろう。そのあたりの苦労が液晶画面からも滲み出ていて圧迫感が半端ない。
「じゃあね、『夕方のニュースで』ってとこを範囲選択して。そう、青くなったね。そしたらcommandキーとCのキーをいっしょに押す。commandキーは一番下の段。それから『都市部からの〜』ってところの頭にマウスポインターを持ってきてクリック」
「青が消えたよ」
「大丈夫。で、さっきのcommandキーと今度はCの隣りのVのキーをいっしょに押します」
「あ、前に来た」
「でしょう。ちなみにcommandキーとCのキーでコピー、commandキーとVのキーでペースト即ち貼り付けができます。で、元の場所にある『夕方のニュースで』はもういらないから消します。選択してdeleteキー。OK?」
「OK」
「これがコピペというものです」
「他には?」
「括弧がね、よくわからない」
「会話なんかに使う鉤括弧?」
「右の端っこの方に記号ばっかりのキーがあるでしょ。ええと、returnキーの左。上の方ね。それが始めの括弧。すぐ下のキー、『む』って書いてあるキーを押すと閉じる方の括弧が打てる。ちなみにだけど、二重の鉤括弧は普通の鉤括弧を打った後、スペースキーを押してたら出てくる。よろしいでしょうか」
「よろしいです」
「では、コピペと鉤括弧の打ち方はOKだね」
「他に何かございますか」
「そうだねぇ…、画面の文字がちょっと小さくて読みにくいかも」
「ああ、それってトラックパッドを二本指でチョキにしていったら、チョキの幅に比例して画面上の文字も大きくなるよ。やってみて」
 祖母がトラックパッド上で二本指をゆっくりとチョキにしていく。
「あ、大きくなった」
「小さくするときは逆にしたらいい」
「おお、なるほどね」
「他には?」
「うーん、今はないかも」
「まあ、後は実践あるのみ。習うよりなれろ!取りあえず、しばらく作品を打ち込んでみたら」
「わかった。やってみる」
「もし、何かわからないことがでてきたら、その都度調べていけばいいし。」
「その時は是非ともよろしく」
「こちらこそ」
ということで、これを以て祖母と私のpages学習はいったん終了することにする。

                         (作品一覧はこちら)



参考作品 『林檎さきわ処女おとめの柔肌』


 なかなか子宝に恵まれなかったある夫婦が子供をあきらめかけた頃、玉のような女の子が生まれた。両親はともに容姿に恵まれていたが、とりわけ母親のほうは、雪のように白い肌に熟した林檎のような紅い唇、闇夜の烏もかくやの黒髪をもつ、人目を引かざる能わぬ美にして艶なる婦人であった。女の子は男親に似るというが、容姿という財産を母親から複写して生前贈与された娘は、両親の深い慈しみのもとに幸福な子供時代を過ごした。
 この世に完璧というものは存在しそうで存在しないものだが、娘の母親にもそれは当てはまった。たしかに彼女は美しかったが、うなじに虫喰い林檎のような直径二センチほどの紅い痣があった。何度か美容外科で除去してもらったのだが、じきに痣は復活する。先祖の悪行の報いということも考えられたので、夫婦して霊験あらたかと言われるその種の能力者の許を訪ね歩いて散財してきたが、その散財に見合った効果は結局得られることはなかった。
 万策尽きた夫婦は痣を除去するのではなく、彼らの心持ちを変えることにした。つまり、痣を受け入れるということである。いったん受け入れてみると、それまで苦の種でしかなかった醜い痣は、彼女のチャームポイントになった。とはいえ、彼女はいつもゆるくウェーブのかかった髪を肩のあたりまで垂らしていたので、痣が人目に触れることは滅多になかった。娘も母親の痣をじっくり観察したのは、母方の祖父の葬儀のときが初めてであった。喪服の母親が和装に似合うように髪を上げていたからである。不幸は続くもので、その母親も祖父の後を追うように、娘が九歳のとき病でこの世を去ってしまった。
 二年後、父は新しい妻を迎えた。自身の容姿に自信のある父親は、連れ合いとなる女性にもそれ相応の美を求めた。父親の眼鏡に適った女性から優しく微笑まれたとき、娘は「こんなきれいな人がお母さんになってくれるなんて」と、母親が姿を変えて戻ってくれたような気がして嬉しく思ったものだった。
 たしかに初めのうちこそ新しい母は娘に優しく接してくれていたが、娘の父親が亡き妻に心を残していることに気づくに及んで、亡き母親に生き写しと言われている娘を夫の愛情を奪う者として心に憎しみを抱くようになる。継母の心の変化は娘から安寧の日々を奪った。
 娘が中学に上がり、その容姿に大人の美が現れはじめると、継母は持ち前の美しい顔にはっきりと憎しみを表すようになってくる。この時はまだ継母に懐妊の兆しはなかったが、先々に至るまでそうあり続けるとはかぎらない。世間には新しい妻に子供が生まれると、亡妻の忘れ形見に注いでいた愛情を引き上げる父親もいるという。自分の父親がそうならないという保証はない。娘は家庭における自分の立場と身の振り方について、真剣に考えざるを得なくなっていた。
 局面を打開するための朗報は意外なところからやってきた。ネットで興味を引く動画を探していたとき、都市部からの”留学生”を受け入れている自治体の存在を知ったのである。その自治体は、偶然にも娘の住む県の北部に位置する過疎の町だった。昔はたたら製鉄で栄え、その後は林業を主たる産業としていたが、戦後海外から安価な木材が輸入されるようになってからは衰退の一途をたどっていた。近年ではいよいよ人口の流出に拍車がかかり、子供の数も激減し、学校の統廃合や閉校が相次いでいるという。町の中心部にある明治初年に町の有志によって創られた伝統ある小中学校の存続のための打開策が、山村留学による生徒数の確保であった。    
 娘はこの策に乗ることにした。もちろん父親は大反対した。が、継母の賛成を追い風に、娘は父親の反対を押し切って、県北の町に留学することに成功する。この件に関してのみ、娘と継母の利害は一致したのである。

 夏休みも半ばを過ぎたころ、娘は身の回りの手荷物とともに生まれ育った家を後にした。県北の町も、南部の都市同様連日うだるような暑さが続いていたが、人口が少ないことに加えて山の緑、収穫を間近に控えた稲田に飛び交う赤とんぼが涼を添えているせいか、心で感じる温度はいくぶん低かった。
 たたら製鉄と林業の町であっただけに、町の総面積の9割以上は山によって占められ、川沿いのわずかばかりの平地を田畑と人家が折半している。娘の下宿先は町で唯一の開業医の家であった。町には他に公立の総合病院もあるにはあったが、医師不足で開店休業状態になっている科もいくつかあり、代々この地で医業を営んできた医師の診療所は、本来の役割とともに高齢者の憩いの場所としても機能していて、待合室に患者の姿のない日はなかった。下宿の近くには一応街中にも拘わらず、乗馬クラブもあった。  
 たたら製鉄で栄えた昔から馬は重要な運送手段であった。たたらが廃れた後も、林業が主要産業として町の経済を支えていたころも、馬は必要とされていた。幹線道路が整備され、車が普及すると、町から木材を搬送するのはトラックとなったが、勾配のきつい山から伐り出した木材を平地まで運ぶには、馬に頼らざるを得なかったからである。しかし、たたらに続いて林業も衰退した今、長らく運搬手段の花形だった馬もその存在意義を失って久しい。今では子供時代に馬に馴染んでいた世代の中でもとりわけ馬に愛着を持つ者たちが、自分たちと観光客を相手に細々と乗馬クラブを営んでいるだけだ。
 この乗馬クラブの共同経営者の一人が娘の家主で親代わりでもある医師であったので、娘は”おじさま”こと医師の勧めによって乗馬をたしなむようになった。この黒目がちの大きな目と長い睫毛を持つ賢い生きものと、娘はすぐに種を超えた友だちになった。早朝の馬房掃除や餌やりも進んでやって、速やかに町の生活に溶け込んでいった。
 町には何人かの先輩留学生がいたが、いずれも小学生だった。娘は留学生としては初めての中学生であるばかりでなく、初めての女子生徒でもあった。”初めて”を二つも持った娘は
町民から大歓迎を受け、町役場へ町長を表敬訪問しなければならなかったほどであった。
 娘が町の人々にもてはやされた理由は、”初めて”以外にもその容姿にも求めることができた。”鄙にも稀な”の形容がそのまま当てはまる娘の垢抜けた美少女ぶりは、田舎の住人の目にはモニター画面を通してしか見ることのない、女優やアイドルさながらに映ったのである。若く美しい娘の登場は、町の住民にひとときの明るい話題を提供したが、一部の者たちにとってはひとときで熱が冷めるどころか、日を追って体内に悩ましい情動を募らせることとなった。もとより、こうした事情を娘が知るよしもない。実家にいたときとは何かと勝手の違う新生活にも若さゆえの適応力を発揮して、すみやかに馴染んでいった。ただ、娘が閉口したのは、来て早々立て続けに下着の盗難に遭遇したことである。実家では洗濯乾燥機を使用していたので、そもそも洗濯物を家の外に干すという習慣がない。下宿では洗濯物は裏庭に干している。裏庭は母屋の北側にあるので、日当たりを考慮して建物から離れた裏山に近いところに設置した物干し場に干していた。家事の一切を担っている”おばさま”こと当主夫人は「猿の仕業かしら」などと暢気なことを言っていたが、猿が若い娘の下着だけを選んで盗むとは考えられない。この家で、洗濯物干し場の前の家庭菜園で作っていたトウモロコシが猿の被害に遭ったことはあるが、洗濯物が被害に遭ったことはない。犯人の特定はなされぬまま、以来、娘の下着は屋内に干されるようになった。

 下宿から学校までは十分少々の行程である。通学路でもあるメインストリートの南側には町家の面影を残した仕舞屋や商店、北側には郵便局や消防署、警察署、町役場などが軒を並べている。南側に櫛比している建物の裏には川が流れ、川向うの少しまとまった平坦地には稲田が広がっている。対して北側の建物の背後には急勾配の山が近くまで迫っていた。娘の通う中学校は、隣接する小学校とともに町外れの少しばかり開けた土地に作られていた。学校が作られる前はここも稲田だったところである。
 娘のクラスは24名、『二十四の瞳』ならぬ四十八の瞳である。各学年一クラスしかないが、学年毎にクラスが分かれているだけまだましというものだ。町内の他の中学では全学年の生徒がひとつの教室で学んでいる。つまり一中学一クラスというわけだ。そのような学校はどこも小学校と中学校が、ひとつの校舎に入居している。都会の私立校などとはまた違った意味で小中一貫校なのである。但し、この町に高校はない。県立高校の分校もあるにはあったが、数年前に廃校になっていた。
 娘の実家は政令指定都市の中心部にも近い古くからの住宅街にあった。幕藩時代には武家屋敷があったところだ。住民の平均年収が高いこともあって、県下でも民度の高い街として知られている。この街に住む少年少女は一般に偏差値の高い私立校に通う傾向があり、娘が通っていた中学もそうした私立女子校のひとつだった。小学校は地元の公立に通った。私立ではなかったが立地が立地だけにレベルの高い進学校と言われている小学校だった。娘はほとんどのクラスメイトと同様に中学を受験し、第一志望に合格、入学した。
 しかし県下一円から上を目指すために集まってきた選りすぐりの生徒たちの中で、定期考査の結果を待つまでもなく、周囲の雰囲気から娘は己の成績順位の地盤沈下を察知する。元々競争心が希薄な娘にとって、クラスメイトの多くが自分以外の生徒を仮想敵と見做すような学校生活は苦痛でしかなかった。潜在的な敵の中ではまともな友情も育たない。ただでさえ継母との確執に苦しんでいた娘は、己の精神が破綻する前に早々に学校に見切りをつけた。その後については先に述べた通りである。
 このような氏育ちの娘を新しいクラスメイトたちは当初困惑の眼差しで見ていた。経済的にも知的水準においてもこれといったマイナス要因がない育ちの良さが、立ち居振る舞いに見て取れる美少女にどう接して良いのかわからないのも当然だ。彼らにとって、娘はありていに言えば友好親善のために他国から贈られた珍獣のようなものと言えた。
 しかし、まもなく見物客の中からファーストペンギンが現れる。美しく淑やかな娘と親しくなることは、少女たちにとって一種のステイタスとして認識されたのだ。ファーストが現れると立て続けにセカンドやサードが現れてきた。日を待たずして娘はクラスの少女たちの人気者となった。街育ちではあっても決して田舎を見下しているわけでもなく、腹に一物あるわけでもない娘は地元の少女たちと打ち解けることに成功し、以前の女子校とは比ぶべくもない楽しい学校生活を送りはじめたのである。そのような娘を男子生徒たちは素知らぬ顔で遠巻きに見ていた。クラスの男子生徒だけではなく、学校中の男子生徒もまた、女子生徒とは異なる思いで娘を見ていたのである。

 田の面が秋の陽射しを浴びて黄金色に輝き、いくつかの品種の林檎が収穫期を迎えたころ、町の児童生徒は運動会の練習に励む日々を送っていた。昨今では晩春から初夏にかけて運動会を開催する学校も増えていたが、この町の学校は相変わらず秋に運動会を行っていた。
 稲刈り機の低く唸るような稼動音が川向うから響く朝、娘はいつものように隣の乗馬クラブの馬房で敷き藁を入れ替えていた。車の停まる音に外を見ると、見慣れぬ軽トラックが停まっていた。運転席から降りてきたのは、頭に手ぬぐいを被った昭和からタイムスリップしてきたような老婆だった。老婆と軽トラという組み合わせを異とするには当たらない。田舎とは一般に人口密度が低く、自宅から生活するに必要な施設までが往々にして遠い。ゆえに食べものをはじめとする生活必需品の買い出しや、病院を受診するためになくてはならないのが車である。田舎は都市部以上に車社会なのだ。高齢者の運転免許証の返納率も低い。
 娘が車の傍らを通り過ぎるとき、「ジョウチャン」なる音声が老婆の口から発せられた。耳慣れぬその音声が何を意味しているのか理解できなかった娘は、当然のことながら自分に向けて発せられたものとは思いも寄らなかったので、そのまま通り過ぎようとした。
「嬢ちゃん、待ちな」
 老婆の声が耳に届く。この時はじめて娘の脳は『ジョウチャン』なる音声を脳裡で漢字に変換した。”嬢ちゃん”とは自分を指していることを娘は理解した。
「嬢ちゃん、これ、やるから食べな」
 老婆は荷台に積み込まれた箱の中から紅く色づいた林檎を差し出した。やや小ぶりのその林檎は、幼いころに今は亡き母親がよく菓子作りに使っていた馴染みのある品種だった。ただし林檎は選果場に出せない不良品であるようだった。不良品を活用するために、馬の飼料として提供するということなのだろう。
 皺深い老婆の顔は一見したところでは能楽で使われる鬼の面のようであったが、なぜか娘は恐ろしさよりも懐かしさを覚えた。
「さ、遠慮すんな」
 老婆の顔は笑っているので口が耳まで裂けている。小ぶりの林檎どころかおばけカボチャでも一呑みできそうな口の中には牙こそなかったものの、麻雀牌を思わせる丈夫そうな歯が並び、強力な咀嚼力を物語っていた。
 娘は差し出された林檎を受け取った。この町に来るまでは知らない人から物をもらうなど考えられないことだったが、田舎は都会とは異なる論理で動いていることをすぐに理解していた娘は、老婆の好意を素直に受け取った。
「ばあちゃんの林檎は美味いぞ」
 老婆は娘を呑み込みそうな大口を開けて呵々大笑する。
「ありがとうございます。おばあさん」
 娘は秋咲きの薔薇のような顔をほころばせて老婆に礼を言った。
「いいかい、皮は剥かずにそのままお食べ。ばあちゃんの林檎は農薬なんか使ってねぇから皮ごと食べられるんだ」
 娘に食べ方を指示すると、老婆は軽トラに乗り込み去って行った。

 夜、娘は部屋で老婆からもらった林檎と対峙していた。昼間遊びに行った友だちの家で一緒に勉強したり雑談に興じていた時も、心の隅には終始林檎が鎮座していた。そして今、目の前には林檎の形をしたチーズ用のカッティングボードと果物ナイフ、そしてボードの上に紅い林檎。非の打ち所のない一幅の静物画である。娘の脳裡に並木路子歌唱による『リンゴの唄』が流れはじめた。幼児期に祖父母につきあって懐メロ歌謡番組を視聴していたので、このような終戦直後の流行歌もよく知っていたのだ。
 娘は林檎を手に取った。老婆は皮を剥かずに食べろと言っていたので、櫛形に八等分して芯を除いて食べればいいのか。
(ちがう。)
 脳内に声ならぬ声が響いた。娘は直感で刃物を使用せずに食すべきことを了解した。『リンゴの唄』に唱われているように、手にした紅い林檎に唇を寄せ、夜なので青い空を見ることは叶わなかったものの、思い切ってひと口かじった。正しい歯の磨き方を習得し日々実践しているので、歯茎から出血することはなかった。
 案の定、林檎は酸味がつよく、生食にはあまり向かないと娘は思った。ひと口だけかじってボードの上に戻す。皮を剥いて食べる気も失せた。翌朝娘の歯型の付いた林檎は、乗馬クラブの馬の腹に収まった。
 馬の世話をして下宿に戻ると、いつものように娘は顔を洗った。濡れた顔をタオルで拭いて鏡を見る。水で洗ったのになんとなく顔にほてりを感じる。鏡に映った顔は心なしか紅い。熱はないはずなのだがと、念のためひたいに手を当てる。いや、熱があるのは額ではなく頬だ。紅みが強くなってきて、いわゆる”リンゴのほっぺ”になりつつある。首筋も紅い。紅みに濃淡があるので、見ようによってはキスマークに見えないこともない。困ったことだと思ったが、とりあえず学校の制服に着替えて食卓につく。
「あら、お顔、どうしたの」
 おばさまが心配そうに覗き込んできた。そこへやって来たおじさまも「うん?どうした」と覗き込み、「ちょっと、見せてごらん」と娘のあごに手をかけた。「何かのアレルギー反応かな」と呟くと、後で検査をしておこうと言って食卓についた。
 朝食後、娘は改めて医院に場所を変えておじさまの診察と検査を受けた。食べたものや肌に塗ったものなどを訊かれたが、取り立てて思い当たるものもない。二十種類以上のアレルゲン物質を付着させた検査シートを背中に貼られてこの日の診察は終わった。
 ややほてりは感じるものの、痛みも痒みもない。それなのに痣はますます濃くなり、紅みは全身に広がってゆく。二日後の診察でもアレルゲンの検査では原因を特定できるものはなかったし、麻疹でも水疱瘡でもなかった。おじさまは腕を組んで首をかしげている。おじさまは娘に県北部の拠点都市にある総合病院の皮膚科に紹介状を書いてくれた。町の総合病院には皮膚科の専門医がいなかったからである。辛うじて外科医はいたが、他にも産科医や耳鼻科医も欠員状態だったので、この病院に総合の二文字はいらないと町民の間ではささやかれていた。
 娘はおばさまに付き添われて片道一時間の病院を受診したが、結果はおじさまに診てもらったのと同じで、やはりしばらく様子を見てみようというところで落着した。

 娘の肌に現れた紅らみは、初めのうちこそ濃淡こもごもの靄のようなものだったが、やがて靄はかたちを成して直径二センチほどの林檎の形に結実していった。顔といわず体と言わず、全身にたわわに実った紅い林檎。今や娘は吉祥の果実をつけた樹木であった。
 思春期の少女の表立った異変に、おばさまはファウンデーションを塗ってくれていたが、かなりの厚塗りにもかかわらず、痣は浮き出てしまう。とかく己の見た目を気にしがちな年頃ではあったが、娘は我が身に起こった珍事に年齢に似合わぬ諦観でもって向き合った。周囲の反応はさまざまであったが、伝染性のない奇病をわずらう娘に大方は同情をもってこれを迎えていた。もっともそれは教師たちと女子生徒たちに言いうることであって、男子生徒たちは面妖な風体となったかつての美少女から急速に関心を引き上げた。
 鏡を見て娘は思う。なんとも珍奇な面相になったものだと。額といわず頬といわず白雪のかんばせを埋める紅い林檎は、数さえ少なければ大唐帝国は長安の都を胡装して騎馬でゆく貴婦人の化粧のように見えなくもなかったが、なにしろ数が多い。いつ治るとも一生このままとも知れぬというのに、不思議と娘の心に不安や悲嘆、嫌悪はなかった。男子生徒に目を背けられても、痣によって守られているという安心感さえ覚えているのだ。おじさまをはじめとする大人たちの見解は、環境の変化によるストレスが時間差で現れたのではないかということで大方の一致を見ている。本人にあまり苦にしている様子が見られないことも、大きな騒ぎにならなかった要因のひとつではあった。
 それにしても、いったい何が原因でこのようなことになったのか。医学的には目下”謎”の一語に尽きるが、娘にはひとつだけ思い当たるふしがある。はなはだ心もとないものではあるが、林檎栽培農家の老婆からもらって食べたあの林檎である。ほんのひとくちしか食べてはいないが、もしかしたらあの林檎が原因だったのではないかという懸念を払拭できないでいるのだ。あの食べかけの林檎を食べさせたのは、乗馬クラブの馬のなかで一頭だけの白馬だったが、その後その馬が林檎柄になったという事実は今のところない。老婆は無農薬で作ったと言っていたし、その言葉にうそがあるとも思えない。たった一個の林檎をうそをついてまで中学生の少女に食べさせて何の益があるというのだろう。考えれば考えるほど謎は深まるが、娘には日を追ってあの林檎が原因に思えてならなくなっていた。
 そんなある日曜日の朝、馬の世話を終えた娘が無地の白馬に乗って馬場を回っていた時、林檎や野菜を積んだ軽トラックが馬房の前に停車した。運転席から降りてきたのはあの老婆である。娘は馬から降りて手綱を杭に結びつけると、乗馬クラブの職員といっしょに荷を下ろしている老婆の許へ足早に向かった。
「おばあさん」
娘の呼びかけに老婆が振り向き、獅子舞の獅子頭のような笑顔で迎えた。
「ああ、嬢ちゃんかね。朝から精が出るね」
「おばあさんこそ。朝からお疲れ様です。何かお手伝いしましょうか」
「じゃあ、それ、あっちへ運んでおくれな」
 老婆はあごで馬房を指す。娘は言われた通りに荷運びを手伝い、用が済んで帰ろうとした老婆に問いを発した。
「あの、おばあさん」
 問いのおもむきは何かと老婆が目で問い返す。
「この前いただいた林檎なのですが」
「ちゃんと食べたようだね。嬢ちゃんのご面相を見りゃわかるよ」
「じゃ、やっぱりあの林檎が…」
「なぁに、気にするこたぁない。いっときのことさ。嬢ちゃんが危ない目に遭わないためのおまじないにたいなもんさね」
「危ない目…?」
「おまえさんは気づいてなかったのかもしれないが、ここいらの若い衆ときたら猿も同然のけだものさ。山伝いに先生んとこに忍び込んでは嬢ちゃんの下着を盗んでは、うちの林檎畑で自慢し合ってたのさ。ほんとにとんだ馬鹿ものばっかりだよ。嬢ちゃんにはそのうち嬢ちゃんにふさわしい殿方が現れるだろうから、まあ、いっときの辛抱さ」
 言うと老婆は運転席のドアを開けた。白髪のはみ出た姉さん被りのうなじには、虫喰い林檎のような紅い痣があった。堪らない懐かしさに胸をつかれた娘は、思わず老婆に向けて叫んだ。
「おばあさん、お名前は、お名前をお聞かせください!」
「あたしかい?あたしの名前は白雪姫子さ」
 老婆の乗った軽トラックが見えなくなるまで、娘は満ち足りた思いで見送った。
          (了)
                         (作品一覧はこちら)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?