"うーいち" と "ふたごじてんしゃ物語"
いまでも覚えてる。駅のホームで、自分のカバンから1通の手紙を手渡した。「これすぐ読んだほうがいい。と思って、わざわざ持ってきたよ」そんなことを言って、塚口の事務所に届いていた手紙を中原さんに渡した。
事務所にくる郵便物はすべてチェックしていて、緊急性の高いものはすぐ知らせることに勝手にしていて、それまでは大切らしき人からの手紙だったり、公的な郵便物なんかを、メッセンジャーで写真を送ったりはしていたけれど、誰かわからない手紙をわざわざ手渡ししたのは、後にも先にもこの1回だけ。
誰かも知らない人に心を動かされたのは初めて。ぼくの心を動かすような熱い文章を書ける人は本物に違いないと直感した。その直感は間違いない物だったと『ふたごじてんしゃ物語』が無事先行販売日を迎えて、改めて感じた。
いまからとりとめもなくつづっていくのは、大野祐一改め "うーいち" 視点で見た "ふたごじてんしゃ物語" です。(ちなみに、サイン本が届き読んだ後に、構成も何も考えずに一筆で書いています)
"うーいち"になった日
いきなり文句かもしれないけれど、キチンと言わせてもらいたい。「あの本の、あの流れで出てきたら、出会ったのが2018年くらいに勘違いされませんか?」と。
ぼくが、"ふたごじてんしゃ" と出会ったのは、2016年10月6日(1616で覚えやすい)。10月から、尼崎市にある創業支援オフィスABiZに入居した。そこで、事務局・インキュベーションマネージャーを除いて、名刺交換・ちょっとした挨拶以上に会話したはじめての人が、"ふたごじてんしゃ" という会社の社長さんである中原さんだった。
あのとき、どんな顔で、どんな服装で、何の話をして、どれくらいの時間いたのかはまったく覚えていない。ABiZから父の会社までの産業道路上での車中で、messngerでやり取りをして、いつの間にか "うーいち" と呼ばれることが決定していた。
「なんかあだ名なんかないの。大野とかおもしろくないやん。」と言われ、精一杯絞り出したのが、当時3歳手前の長男が "ゆういち" とキチンと発音できず、 "うーいち" と呼んでいるというエピソードを話したのがきっかけ。(その前段で、大学1年のときは、"組長" って呼ばれてたよというのは、軽くスルーされていたw)
自称、『世界でいちばん双子ママ友達が多い男性』こと大野は、いろいろな双子ママたちに "うーいち" "うーいちさん" "うーいち先生" と呼ばれることになっている。
役立たずの運転手
出会って間もないころの "ふたごじてんしゃ" は、試作の最終段階に入っていて、認知度の拡大および試乗での問題点つぶしが、メインテーマだったようにぼくは思う。そのため、試乗会が多く企画・開催されていた。
過去にこれまで東京方面まで車で行ったのは何回だろう。5回は少なくとも超えているとは思う。2017年に開催された試乗会での、"うーいち" のポンコツっぷりたらありゃしない。
来場者のママに声をかけることもできない、持ってきたテントを組み立てようともしない、当然 "ふたごじてんしゃ" の説明はまったくできない、写真もろくにとれない、中原さんのサポートなんてできやしない、なんなら仕事の指示をもらうという仕事を増やしている。。。
とても恥ずかしい。けどこれが事実。
でも、ここで何ができるかわからないけれど、とりあえずついていったからこそ今があるし。何もできない足手まといを連れてきたからこそ、今がある。と信じている。
横浜の赤レンガ倉庫横でやった開港祭での試乗会のあとのこともよく覚えている。
すごくいい天気で試乗会日和だった。みんなとても楽しそうに帰っていった。中原さんもみんなと楽しく接していた。とても暑い日だった。たくさんの人の話をひとりで聞き続けるのはとても大変なはずだった。帰り道、とても顔色が悪そうだった。トイレがあるホテルを探した。
あれ以来、"ふたごじてんしゃ" の説明ができるようになったのはもちろんだし、必ず水の入ったペットボトルを手元に持っているようにしている。
深夜のアセスメント
"ふたごじてんしゃ" の大きなこだわりのひとつが、アセスメント販売®。購入前に車体の特徴を長所/短所をキチンと伝え、購入希望者の使用環境をいまいちど考えてもらう時間を作るためのステップ。
本当にあの人は賢いんだかよくわからない。昭和の人間なのか、気合と勢いで生きているのか、「どうにかすんねん」魂のかたまりみたいな人で、ひとりひとりのアセスメントを手作業でするつもりだったに違いない。
アセスメントの構想はすでにあの人の頭の中に明確にあって、それを人間が理解できる言葉に見える化し、アセスメント結果を個人個人にカスタマイズした形でPDFをメールに添付する仕組みを、せっせとつくった。
購入前アセスメント開始で、たしか200件は超えていたと思う。「これ、ぼくいなかったらどないしてたん?」「ぼくおってよかったやろ?」と心の中でずーーーっと思っている。
やっと役に立てることができはじめたのも、2018年の頭くらいからだった。
"うーいち" が読んだ "ふたごじてんしゃ物語"
あれも、これも、ぜーんぶ、これまで聞いてきたこと、見てきたこと、やってきたことだけど、このように活字になって、目に入り・頭に入ってくるのはとても新鮮だった。
日頃から「すぐ忘れる」のが得意技だけど、この本があるおかげで2016年~2020年までの出来事は、いつでも思い出せそうな気がしていて、写真は1枚もないけれど、頭の写真を呼び起こすアルバムのような役割を、この本はぼくにとって果たしてくれる。
この本を読めば、ぼくやNPO法人つなげるの仲間たちが、なぜ中原さんといっしょに活動したいかがわかると思う。
こんなに人間くさくて、不器用で、まっすぐで、真剣に生きている人はそうそういない。こういう人になりたいなって数年前は思っていた。憧れていたし、羨ましかったし、なんなら妬んでいたかもしれない。
少し前まで、起業する人には強烈なエピソードと、誰も思いつかないアイデアと、どこに出ても恥ずかしくないビジュアルがないといけないと本気で思ってた。そして、彼女はそれをすべて兼ね備えていると思っていた。
でも、この本を最初から最後まで読んでもらうと、彼女がそんな人ではないと思えると思う。
メディアに出ているとき、講演で話しているとき、HPやSNSでの写真や動画はどれもキラキラしているように見えるけど、泥臭いことも率先して平気でやるからこそ、まわりの人がついてくる。
この本には書いていない子供っぽいとことか、しょうもないこととか、まだまだ道半ばなこととか、たくさんあるんだけど、今日はこのくらいにしておきます。
石井さん、中原さんの素敵な本をこの世に生み出してくれて本当にありがとうございます。
中原さん、僕の方こそこの時代にあなたと出会えて本当に幸せです。ありがとう。これからもよろしくね。
2022年6月4日 0時15分
うーいち
まだ読んでいない方はぜひご購入くださいね
2022.5.13 ~ 6.30までクラファンチャレンジしているので、こちらの応援もお願いします。(下のリンクにも少し本出版に際してのぼくのコメント入れてます)
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