「親鸞と中世被差別民に関する研究会」発足に際して
ただ生活するのではなく、人々は特定の生活の在り方に対して様々な言葉や観念を与えてきた。ここにある問題を丹念に見ていく必要があるように思う。苅米一志氏は『殺生と往生のあいだ――中世仏教と民衆生活』(吉川弘文館、2015)の中で、「狩猟・漁撈は、人類にとって本質的な行為である。ところが、人類はどうしても、そこに特殊な観念をつけくわえてしまう。厄介なのは、時代がたつにしたがって、その観念が肥大化し、硬直化していくことである。この場合、狩猟・漁撈という行為が、「殺生」ということばでいいかえられているところに、大きな問題がある」(193頁)と指摘する。歴史の変遷の中で狩猟・漁撈という生活行為を「殺生」とし、道徳的な因果を想定してきた。
こうした観念の背景として、仏教思想を想定するのは当然であるが、国家・社会形成上の理念も考慮に入れる必要があろう。一例を挙げれば、原田信男氏は、「…水田志向は、中世を通じて高まりつつあったが、年貢の収奪と直結する農業生産に携わらない人々や、あるいは収納のために必要な秩序意識を根底から覆すような行動を、人々は次第に“賤”もしくは“悪”として認識していったのである」(『歴史のなかの米と肉――食物と天皇・差別』〔平凡社ライブラリー、2005〕、197〜198頁)と論じている。親鸞(1173 - 1262)も狩猟が「殺生」たることは否定しないが、殺生・悪業を自己の問題として捉えた。殺生を自己に無関係な観念――他を罰するための観念とはしないのであり、社会的な悪の認識を考えるとき、このことの意義は改めて確認すべき課題であると考える。
日本中世において「貧富」も道徳的な観念の問題でもあった。富は徳であり(湯浅治久『中世の富と権力――寄進する人びと』〔吉川弘文館、2020〕等参照)、「非人」と言われた人々の乞食・貧苦の境遇は過去の業(宿業)によるものだとされた。
こうした時代に、親鸞と同門である證空(1177 - 1247)は、「安然ノ、富ムト雖モ、心ニ欲多キハ是ヲ名付ケテ貧人ト為ス、貧シト雖モ、心ニ足ラント欲ス、是ヲ名付ケテ富人ト為ス、ト云ハルル、是ナリ」(『西山叢書』巻五、202〜203頁)と言う。あくまで貧富とは心の問題だと説く(ただし自力にての知足の達成は不可能だとも自覚している)。確かにこうした言説は社会が作り出した貧困状態を固定させる観念にもなり得る。しかし、当時において不平等を肯定する宿業的道徳観念からの解放につながる要素もあったのではないだろうか。なお證空は、宿業は浄土に往生して悟るべきものだとしている(同上、233 頁)。
そして、病も、特に中世では「癩病」(ハンセン病)が過去世の悪しき業の結果として認識されていた。
ある生活様式に観念を付け加えることで、社会の分断を推し進める様は、現在の我々も経験するところであろう。生活困窮者への冷酷な眼差しはもとより、新型コロナウイルス感染症拡大の渦中にあって、個人が罹患したことを道徳的に罰する様子もたびたび見られた。自己を卓越化する論理として、あるいは統治の論理として、排除すべき在り方を作り出していく。こうした社会の階層を固定化する観念が歴史的に繰り返し生み出されてきたのである。
問題の困難さは生活に付け加わる観念が自明の理とされ、なかなかその観念が存在する意味を考えることがないということだ。そうした歴史的に作り出された(あるいは現代特有の)我々の観念を炙り出し、相対化する上でも中世の社会構造、被差別民を研究することの意義は大きい。本研究会を通して膨大な先行研究の蓄積に学びながら、中世史料の精緻な読解を目指していきたい。
※『親鸞仏教センター通信』75号(2020年12月発行)、2面より転載。