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近況

進級した!!!

いらすとや

近況

美少女ノベルゲームしつつ大学生活やってますくるみ瑠璃です。
最近は美少女ゲームがあまりできていません。その代わり文フリで頒布される同人誌のいくつかに寄稿しました。情報が公開されたら告知します。ぜひ読んでください。

私は理学部の学生をしています。で、1留してしまったのですが、なんとか進級できて、今は専門科目をやっていく感じに。というわけで4回生の3年生です。
実習が月曜から木曜の3限から5限に入っている苦しい生活でおります。

他学部のゼミに行く

しかし、私には今は別の目標があります。哲学か倫理学(どっちにしろ大文字の哲学にあたりますが)の修士に進学したいという目標が。修士では勉強から研究へと架橋されていきます。そのための準備を始めているわけです。
どういう準備かと言いますと、他学部聴講して専門としてやっている学生に交じるってことです。ただゼミに出ていく。

いらすとや


こういう流れになったは友人の勧めで実際に哲学の研究をしつつ教えている教師の人と面談したのがありますね。どうやったら院進できますかねって聞いたら、どういうことやりたいかの中身は見ないから、まぁ哲学を専門にやってるだけの技量を相場感覚で身に着けていれば良い、と。具体的にこの本を読めとかこういう勉強をしろとかじゃなくて、ゼミに出ることが院試への対策である、という感じ。とにかく相場感覚を身につけて順応してくださいとのこと。
おまけに院試には卒論相当の文章が必要。その論文の評価は最低でも優以上ないとねって。だから取れなさそうなら縁がなかったってことでみたいに言われましたが、そういうのもゼミに出て感じてくれだとか。
結論、ゼミに行け。
まさか、他学部の人がやるなら他学部聴講しかないわけで今の感じに。
これが生物学の実習とぶつかりまくる。最近の悩みですね。実習を休むしかありません。

何を大学院でやりたいか

いらすとや

でも大学院に進むからにはやりたい軸がないといけないし、そもそも卒論のテーマを決めねばならない。
私の現在の興味は分析哲学から派生した日常言語学派および日常言語哲学の手法を使う人、具体的に言えばスタンリー・カヴェルの哲学ですね。彼の本をいろいろ取り寄せて読んでいます。

彼の著作の翻訳はかなり出ているのですが、主著と呼ばれるものは逆に翻訳されていないんですね。活躍の範囲がとても広いのもあって、その分野での受容に邦訳の量が左右されています。
カヴェルの名前をもっとも聞くのは映画論の領域でしょう。そのため映画について論じた本はすでに3冊翻訳されています。
逆に彼の核となる哲学の分野ではどうか。最初の論文集"Must We Mean What We Say?" や博論を加筆修正した"The Claim Of Reason: Wittgenstein, Skepticism, Morality, and Tragedy" といった著作は翻訳されていません。

というわけで彼の哲学に近付こうと思えばそれ以外の邦訳書を当たりつつ原文で読むってのをしなければなりません。

私が現在読んでいる邦訳書は『哲学の〈声〉 デリダのオースティン批判論駁』。原題は"A Pitch of Philosophy: Autobiographical Exercises" というもので、自伝を語り、その哲学的次元を考察し、更にそこから哲学の自伝的次元を考察して自身がやってきた仕事を再評価するというものです。
また彼はこの著作において「西洋の哲学的精神の裂け目で[……]思索したい」と述べています。ここでいう裂け目というのは英米哲学と独仏哲学にあるようなもの、私の解釈では分析哲学と大陸哲学の隔たりですね。
私の企てはこの本を読んで、この本からカヴェルの著作を読むというものです。

というわけで近況報告終わり。カヴェルは芸術作品を批評するのではなく、芸術作品のうちで哲学するという特異なものです。文体は独特ですが、読みがいがあります。最近は足りない時間のうちでコツコツ本を読んでいく生活をおくっているというわけです。

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