「しあわせなら手をたたこう♪」なんて、教えてもらえなかった
娘ちゃんへのクリスマスプレゼント、アンパンマンのピアノにしたんです。
もちろん、上手になんて弾けないけど、めちゃくちゃ気に入ってくれて、いっつも持ち歩いては、バンバン弾いたり、弾き歌いしてみたり…
アンパンマンピアノ、色んな機能があるんですが、定番の童謡を流してくれる機能もあります。
先日娘ちゃんは、その中から「しあわせなら手をたたこう♪」の曲を発見して、喜んで何度もリピートをリクエストしては、ニコニコ手を叩いています。
あまりに嬉しそうなので、一緒に歌ってあげました。
しあわせなら手をたたこう(パンパン)
~
しあわせなら態度で示そうよ
さあみんなで手をたたこう(パンパン)
そして気付きました。
小さい頃は、「幸せなとき、態度で示す」ことなんて、なかなかできてなかった。
だって自分が小学生くらいのころ、親に教えてもらったことは、
「他人は人の幸せをひがむ。だから、あんまり見せびらかしたらいけないよ。」
「そうやって、パパもママも、お姉ちゃんもお兄ちゃんも、いじめられて苦しんできたんだよ。」
「テストでいい点を取っても周りにはわざわざ言わなくてもいい。隠しとけばいい」
こんな感じでした。
たぶん、中には正しいこともあったんだろうけど、自慢せずに、自分を隠すことばかりを教えられたのです。
たしかに自分だって、たとえば「今回のテスト100点だったよ♪」って言ったばかりに、友達から「えー、すごいね!いっつも100点ばっかりじゃん、ずっこい!なんでなの?」などと責められたら、なんて返せばいいかわからないし、やっぱり隠す方がいいんだ、と思ってました。
そして、友達に点数を聞かれた時だけ答えて、「すごいね!」とか言われたら、「そんなにすごくないよ」とか、思ってもないことを答えて、逆に不快な思いをさせてたのでしょう。
そんな風に、幸せなことも自分のことも隠しながら過ごしていたのですが、
中学二年生の頃、同じクラスの隣の席の男の子ととても仲良くなります。
(変な担任だったので、年に1回しか席替えがなかった)
で、テストが返ってきた時、いつも通り、点数が書いてある右上は折って隠してたんです。
そしたら、その隣の子に点数聞かれて見せたら、「そんなん隠す必要ないやん。もっと堂々としろよ」って言ってきたんです。
衝撃でした。
たしかに、いい点とって恥ずかしいって、変な話で、隠してる方がよっぽど恥ずかしくなってしまいました。
で、なんかその時に色んなことが吹っ切れたんでしょうね。
その隣の男の子は、男女ともに人気のある子で、そんなこと仲良しっていうのも自分に自信をつけてくれたのかもしれません。
なんか、自分らしく過ごしたいなって思うようになりました。
そう思うと、急に友だちも増えて、クラスやクラブを超えて色んなタイプの友だちができました。
塾でもたくさん友だちができたし、勉強して頑張って、それで成績が上がれば素直に喜んでいたと思います。
友だちに羨ましがられたら、「今回は頑張ったんだ」と、自分の努力だと伝えていました。
友だちが素直に「勉強教えて」と言ってくれて、一緒に勉強して、友だちが苦手を克服したら嬉しくなるってこともありました。
この生き方を覚えると、かなり過ごしやすくて楽しい人生になりました。
幸せなら、手を叩いていいんです。
幸せなのに、それを隠して他人にバレないようコソコソしてる方が、よっぽど他人から見たらムカつくのかもしれません。
うちの母親は、「能ある鷹は爪を隠す」を言いたかったのかもしれません。
でも、それもやっぱり常にそうあるべきではないはずです。
よっぽどひがみの強いタイプの人がいたら、あえて強調する必要はないかもしれません。
でも、自分の幸せや喜び、強み、そういうのをひた隠しに生きて、いざ大人になって、就活が始まると、
「あなたの長所は、強みはなんですか?」と聞かれるのです。
この答え、もし自分のことを隠して、自分の中でなんとなくしか自分のこと知らなかったら、とてもじゃないけど、堂々とは答えにくいはずです。
お金を稼ごうと思ったとき、どんな立場であっても、自分の能力をアピールしていかないといけません。
だったらやっぱり、「隠す」習性は改めた方がいい。
幸いなことに、子どもたちは、幼い今は、幸せなとき全身で喜びます。
「歌わなくても知ってる」を、と言わんばかりに、大喜びでニコニコして、はしゃぎまわります。
この子たちが、この先も自由に幸せを表現できますように。
自分がそれを邪魔しない親でありますように。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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