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共生のダイナミズム - 交差する世界の未来図


※このnoteは、Podcast番組「漫画とうごめき」で語っている言論部分を文章化したものです。漫画とうごめき本編は、最下段のリンクからどうぞ。

近頃、ある特殊なアートについての学びが増えてきている。それが、バイオアートだ。バイオアートは、生物やその存在を基にしたアートで、それが時代性を反映しているように感じられるからだ。なぜなら、現代社会では、人間とは何か、という基本的な疑問が再び表面化しているからだ。

昔は、「人間とはどういう存在か」という問いはあまり表面化しなかった。しかし、現在、多くの人が人間の存在を当たり前のように捉えることを再評価する必要性を感じている。この背景には、環境変化や社会の構造問題が影響を与えている。

これらの問題が示しているのは、人間の存在やその理解が、現代の社会に合っていないということだ。人間の存在の根源的な問いを投げかけるバイオアートが、これらの問題に対して新たな視点を提供するのではないかと感じている。

その一方で、生物との共生という視点もまた重要だ。生物の進化という大きな文脈で、共生という観点が強調されている。共生とは、単に「共に生きる」と書くだけでなく、異なる生物が一緒に生活して、互いに分けられない存在となることを指す。

具体的に考えてみよう。人間の体内には数多くの微生物が存在している。我々の生活をスムーズに行うために、これらの微生物が大きな役割を果たしている。例えば、免疫システムを整える役割や、ビタミンを生産する役割などがある。さらに、腸内細菌が人間の行動や感情、意思決定に影響を及ぼすという視点もある。このように見ると、人間と微生物という2つの異なる存在が一体となって機能していることが分かる。

このような視点を持つと、人間と微生物という2つの存在が、どこからが人間で、どこからが人間でないのか、という区別が曖昧になってくる。それは、2つの存在が一体となって動き、その全体を「ホロビアント」という。そして、この視点は、家族や友人との触れ合いを通して、微生物が他の人へと広がっていくと、この「ホロビアント」という視野も更に拡がる。そして、その範囲はますます曖昧になる。

しかし、そもそも「全体」という概念自体が無くてもいいのかもしれない。それは、各々の生物が互いに共生する関係性が、全体という枠組みを超えて存在しているからだ。

共生関係は大きく3つに分けられる。1つは、互いに利益を得る相利共生。これは、例えば海藻と貝の関係のように、互いに助け合う関係性だ。2つ目は、一方が他方を犠牲にして利益を得る寄生。これは、ヒトデと魚の関係のように、一方が他方に影響を与える関係性だ。そして、3つ目は、一方が利益を得てもう一方が影響を受けない片利共生。これは、例えば樹木と鳥の関係のように、一方が他方から何かを得ても、他方には特に影響を与えない関係性だ。

これらの共生関係は絡み合い、生物は進化していく。この視点から、ある二人の関係性も、共生関係として捉えられる。一緒に過ごすことで、お互いの世界が豊かになる。それは相利共生のような関係性かもしれない。

だが、同時に、片利共生とも言えるかもしれない。二人の関係性が世界を豊かにするのは確かだが、その利益は必ずしも物質的なものだけではない。それぞれの心の中に残る何か、感情や経験など、測り知れない価値があるのだ。そして、これらの要素は競争では見つけることのできない、特別な何かである。これが我々が進化と呼ぶものなのかは、まだ確信はない。だが、少なくとも我々の理解と視点を豊かにすることは間違いない。

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