来年度60周年をむかえます母校皆野高校

 むしろっぱた、おっ立てて。
 大きな声で、昔の話をする、後援会の会長。
 またその話かと笑う職員が何人もいた。

 話は、秩父東高校と、秩父東高校皆野分校、県立化の話である。
 1965年に秩父東高校、翌1966年に皆野分校が誕生した。秩父市、皆野町、長瀞町、小鹿野町、吉田町(当時)、大滝村(当時)、荒川村(当時)、両神村(当時)、横瀬村(当時)そして東秩父村という市町村が秩父地域に必要と考え、組合立として誕生した学校だった。

 実は創立当初から、県立化をという声は、あがっていたようだ。県立化については、秩父東高校は、1968年。
 東高の県立化に伴い、組合立皆野高等学校となり、翌年の1969年の3月30日に県立高校となった。
 なんと、第1期生の卒業式は、その翌日3月31日。県立高校の卒業証書をという願いが叶った瞬間でした。

 むしろっぱた。筵旗(むしろばた)のことである。むしろを竹竿などに刺して使う。昔農民たちが一揆のときに用いたと言われている。

 むしろに県立化の願いを書いて、当時の人たちは、なんと1967年開催の埼玉国体で、国道299を走る天皇陛下にこれをうったえようとしたと聞いている。
 それは、たいそうな教育論をぶちかましていた、先生方には笑い話にしかならないだろう。もしかすると、そんな行動が、県立化になんて繋がったわけではないと思っていたのだろう。

 しかし、それを聞いた埼玉県の人間が、1968年に秩父東高等学校の県立化を約束。皆野分校は独立し、翌年の第1回の卒業生が出る1969年に県立高校となる。また、旧皆野中学の校舎を借りていた皆野分校は。早急に土地を探すように・・・。

 形はどうであれ、願いは叶った。

 僕はこの話を、開校記念日の前の全校集会で聞いた。母校の壮絶な歴史と、それを見守ってきた、地域の大人たちの取り組みを。

 むしろっぱたおったてて!!

 むしろっパタは立たなかったけれど、願いを込めたむしろが、当時の東高校の校長室に何枚も運ばれたといいうことを記しておきたい。


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