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願いごと。

早いもので七夕の季節になってしまいました。

毎年のように短冊にお願いごとを僕も書いたりするのですが、今年はやっぱりなんといっても当たり前の日常に戻れる事が願いですよね常識的に考えて。

ですが、これを機にそもそも当たり前とは何かという事を考えさせられた気もします。

昔の日本で一番偉い戦国武将でさえもたぶん部屋にエアコンも無かったと思うし、iPhone持ってないし、YouTube見れないし、インスタで女将さんの映えてる自撮りも見れないし、カツ丼とかケーキとか美味しいものも食べれないし、食あたりとかしたらワンチャン助からないし、二重にしたくても気軽に埋没手術とか出来ないし、kemperもHelixも無いし、う○こしてもウォシュレット無いどころかちゃんとお尻拭けてんのかさえ怪しいし、なんなら朝起きたら自分が住んでる城とかが燃やされて死んでる確率の方が高い訳ですよね?笑

そう考えたら現代における当たり前って凄くありがたいものだし、僕のような超ド平民族であっても昔の日本一偉い武将さんよりも確実に良い生活を送ってるんですよね。コロナでライブ出来ないとか不景気とか差し引いたとしても。控えめにいってありがたすぎます。

極端な話かもしれないですが、今そんな生活が出来るのも過去の人々が希望を持って生きて実現してくれたからこそだよなぁとしみじみ感じてしまいます。

何かを求めて願うこともきっと大事だけど、今に満足して感謝して足るを知る事がまず大前提として必要なのかなって改めて思いました。

現代よりも当たり前の水準が低かった昔の人でもその時の最高の楽しみ方があったでしょうし、その時々で幸せだったはずです。

短期的に悪い様な事が起きても、長い目線で見たら僕達はより良い方向に行ってるんじゃないかなと前向きに僕は捉えています。

そして、どれだけ生活が便利になっても、逆に不便になったとしても人が幸せを感じる本質はいつの時代も変わらないのかなと。

生きてさえいれば大抵きっと何とかなるし、幸せになんて今この場でこの瞬間に自分でなれるものだと思うのです。

病む時とかもアレがないコレがないっていうよりはむしろアレもコレも持ち過ぎててその重みで沈んでいっちゃって本質が見えなくなってしまって逆に病んでる場合の方が現代は多いのではないでしょうか。

なので今年の七夕の願いごとはシンプルに「寝て起きたら明日も目が覚めますように」にしておきます。笑

もし無事に目が覚めたら、その時にまた今後の事は考えます。

当たり前の日常が突然消えたように、明日も目が覚めるなんて当たり前じゃなくなるかもしれませんから。

九州から書いてますがお隣の県は大洪水だし今日はやたら雨も強いですしね。

みなさまもどうかご無事で。

おやすみなさい!

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