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【4話】寝ても覚めても劣等感②

こんにちは。
あなたと一緒に夢をドンドン叶えていく
『非常識なギタリスト』上杉ちひろです☺️

■劣等感での消耗はもったいない。

前回の3話では「人には誰しも劣等感がある」という話を僕の経験を元に書いてみた。

今回はその「劣等感」への向き合い方、消し方、活かし方、を実際に僕が実践してきて結果が出たものをシェアしていきたいと思う。

人によって時間の感じ方は様々であるが人生というのは案外、短いようで長いものでもある。

その人生の貴重な「時間」をいかに快適かつ楽しく、また自分らしく生きるのかで人の充実度は決まってくると思っている。

もちろん死ぬ直前になってみなければ人の人生なんてものは最後まではわからないかもしれない。

だが、もしも明日あなたが死んでしまうと仮定しよう。

そんな日にまで劣等感に苛まれていたいだろうか、、、?

ちなみに僕は嫌である。

完璧な人間などいないのであって劣等感は誰にだってあっておかしくないもの。

しかしその事で頭がいっぱいになってしまい、限りある人生の時間をもったいなく消費したい者なんてどこにもいないはずだ。

そんなわけで、劣等感の塊だった僕が劣等感をコントロールし人生をより豊かにしてきた実例を少しでも読んでくれているあなたにもお伝えできたらいいなと思い、今回はお伝えしたいポイントを「3つ」に絞って書かせて頂こうと思う。

参考になればとても嬉しい。

それでは本題へいってみましょうっ!


1.自分の顔を気にしているのは自分だけ


劣等感を常に感じている状態というのは良くも悪くもそれが「自意識過剰」になっているという場合がある。

ダイヤモンド社から出版されているアドラー心理学のベストセラー書籍「嫌われる勇気」にも記されていた言葉に「自分の顔を気にしているのは自分だけ」というものがある。

これは容姿に限った話では無いと僕は思っているのだが、あなたはどう思うだろうか。

いちいち他人の鼻の高さがどうだとか、着ている服のブランドのランクだとか、極論、自分以外の他人の考えていることだとか。

実際にはそこまで興味がないのではないだろうか?

それに比べて自分の事になると異常に細かい事まで他人の目を気にしてしまうという場合の方が圧倒的に多いはずなのである。

というより、それが人に元々備わっている本能なのだが、

中でも自意識が強めな人こそ「劣等感の強い人」の傾向にあると僕はみている。

つまり、

人が最も関心を抱いているのは結局、他でも無い自分自身なのである。

これは先程も書いた通り人間の本能に近いものがあり、ほとんどの人に当てはまる傾向だ。

ちなみに今回のテーマに限らずだが、人体や脳についての理解を深める事により、大多数の人に共通する特徴を活かす事が出来たとしたら、誰でも再現性の高い人生の攻略法を見つける事が可能だと僕は思っている。

話は逸れたが、自分の事を気にしているのは基本的には自分だけだ。

そう思うとなんだか肩の荷が降りたような気はしないだろうか?

劣等感の強い人は自己の承認に飢えている事も多いが、むしろ誰にも見られていないのであればドンドン色んな事に挑戦をしたり出来ると思わないだろうか??

僕は勉強もスポーツも人と上手く関わる事も苦手だった為、周りからはよくシカトされていた。

これをな人生と捉える日本人は非常に多い。

だが僕にとっては裏を返せば人目を気にする事なくやりたい事を思いっきり出来るお得な環境でもあったのだ。

この思考があったからこそ人とは違う経験を沢山積む事ができ、沢山の夢を叶えられたと思っている。

そして人と違った経験は貴重な財産であり、結果を出すことが出来ればシカトしていた人達でさえあなたに注目するであろう。

厳しい話、人は生まれた時から平等ではない。

誰にでも向き不向きや、得意不得意がある。

だが産まれてきてしまったからには最初に配られた手札でなんとか人生を生き抜かなければならない。

こればっかりはガチャなので、人の持っている手札を羨ましがっていたりイチャモンをつけるのは意味がないしなにより、自分自身に失礼だ。

あなたにだって良い面や人の役に立てる才能は必ずある。

完璧な人間がいないのと同じで、最悪な人間もいないからである。

最初の手札がイマイチだと思ったなら考え方を変えて後天的に手札を増やすしかない。

どうしても自分の事が気になってしょうがない人は、そのセンサーを利用して自分の良いところを見つけてみると明るく次の一歩を踏み出せると思う。

自分の良いところを見つけられる人は他人の良いところにも目が行くようになるので、人間関係も良くなり非常に充実した人生に好転する確率が高くなる。

自分の嫌な部分を沢山見つけられる人であれば必ず同じだけ良い部分を見つけられるはずだ。

何故ならこの世はその時々で良いものが悪とされたり、その逆も起こりうる「表裏一体」だからである。


2.大嫌いは大好きと一緒


自分の事を気にしてるのは自分だけと言いつつも、他人の事まで気になってしまうのが劣等感の強い人の特徴だ。

僕は滅多に人の事を嫌いにならないが、過去に1人だけ「どうしても嫌いな人」がいた。

よく「嫌いな人は実は似た者同士で、自分の嫌な所を映し出す鏡」だから。という説があるが、この法則が適用されるのであればお互いが嫌い同士でいなければ話が成立しない。

あなたの周りにこんな人はいないだろうか?

「相手は自分の事をなんとも思っていない(むしろ好かれている場合すらある)にも関わらず、こちらが一方的に嫌悪感を抱いてしまう」というような人物。

僕が嫌いになった相手は正しくそのタイプだった。

ちなみに、会う機会こそ減ってしまったが今ではその人の事を心から尊敬していてとても大好きな人のうちの1人だ。

何故その様に僕が変化したのかにはハッキリとした理由がある。

結論から言うと、大好きな人の反対は大嫌いな人。

ではなく、大好きな人の反対は無関心な人

なのだ。

好きにしても嫌いにしても相手に関心があるからこそその様な感情が生まれる。

つまり元の材料は関心という共通の感情から来ている訳である。

ちなみに生理的に受け付けないとか、明らかな迷惑行為を働く人への嫌悪感とかはまた別ですよ?

話を元に戻すが、「今目の前にいるこの大嫌いな人は、本当は自分が心から欲しいものを持っている人なのではないか?」

僕はそういった角度から考えるようになったのだ。

そこからの検証は簡単である。

大嫌いな人がやっている事を僕も徹底的に真似してみたのだ。

そしたらなんという事だろうか。

めちゃくちゃ人生が充実し始めたのだ。

人には誰しも天邪鬼な部分がある。
そして人は自分に1番関心がある。

人体にはそのような共通のルールめいたものがある。

だからこそ自分の感情を揺さぶってくる人はその度合いに応じて自分が欲するものを示してくれている可能性が非常に高いのだ。

もしもあなたに今、何となく嫌いな人がいたらすぐに距離を置くのではなく、試しによく観察し真似をしてみては如何だろうか?

学校のテストで隣の人の答案を真似すればカンニングで先生に怒られるが、社会に出てからのカンニングは大丈夫なので罪悪感を感じる事なく是非やってみて欲しい。

大嫌いな人こそ、あなたが大好きな自分になる為の案内人であるかもしれないので逃げずに向き合ってみる勇気を持ってみてほしい。

大好きな自分になって相手の事も好きになれる。

なんてお得な人生だろう。

※あまりにもあなたの自己肯定感を下げてくる人や、明らかにあなたを貶めてくる様な明確な理由があって「大嫌いな人」からは速やかに距離を取る事をおすすめします。


3.逆張りで突き抜けろ


これは先程紹介させて頂いた2つの項目と連動している。

ここまで読んでくれたあなたであれば、劣等感を克服する為のマインドはもうほとんどご理解頂けていると思うのだが、「理屈はなんとなくわかったとしても、そんなこと言われても実際はけっこう難しいぞ!」と思う人の方が多いのではないだろうか?

メンタルが仕上がったら次はそれを行動に移さなければ意味をなさない。

変な話、先程書いた2つの項目も実際には心のどこかで皆分かっている様な事なのだ。

誰でも当たり前に知ってる様な事を今更ドヤ顔で書いてるんじゃないよと、そう思った天邪鬼さんもおそらくいらっしゃるだろう。

しかし、その「当たり前」に分かっている事を実際に行動に移せる人はどれぐらいいるのだろうか?

行動している人が少ないから劣等感を抱えたまま悶々とした日々を過ごしているのではないか?

僕はそう思う。

偉そうにものを言いたいのでは決してない。

ただ行動しないと本当に人生がもったいのだ。

だからこそメンタル面の次はアクション面について書かなければならないと思った次第である。

前の章である第3話でも書いてある通り、僕は周りと同じように何も出来ないマジで冴えないヤツだった。

じゃあ今は冴えてんのかと言われればそれは見る人によって違うだろうが、昔よりマシだと僕は思っている。

周りの人に出来るのに自分には出来ない。自分に無いものが他の人にはある。などなど、、、

そんな環境を脱するにあたって誰にでも再現性があるシンプルな解決方法はこれしかないと思っている。

それは他人と真逆に突き進むしかないということだ。

もうシンプルに自分が出来る事だけやりまくるのだ。

もちろん、周りの人と違う事をすればほぼ100%の確率で足を引っ張られたり嫌われたり、場合によっては誰も助けてくれない自己責任の世界に踏み込む事になる。

それは怖い事だ。

でもそんなものは当たり前なのだ。

そういったある種の開き直りと言ってもいいほどの覚悟が必要だ。

覚悟無しに人生を変える事は出来ない。

足を引っ張ってくる者がいたなら、手を引いてくれる者の所へ行けばいい。

嫌われたなら、好いてくれる場所へ行けばいい。

誰も助けてくれないぞ!?と脅されても元々僕らは自己責任の世界に生きている。

突き抜ければそこにあなたにふさわしい環境が待っている。

結局リスクなんて大してないのである。

ほぼノーリスクで劣等感を上手く利用しつつこの長い人生を充実したものに出来るのならやらない手はないのではないか。

僕はそう思うのだがあなたはどうだろうか?

・まとめ

1.自分の顔を気にしているのは自分だけ
2.大嫌いは大好きと一緒
3.逆張りで突き抜けろ

でした!

よく劣等感はパワーの源とも言われます。

お金持ちが更にお金持ちになっただとか、綺麗な人が更に綺麗になりましたとかそんな話をあまり多く聞かない様に、むしろコンプレックスがあったからこそ頑張れたという人が沢山います。

もしも僕が最初から恵まれていたり劣等感を持たない人間だったら今の自分はいなかったかもしれません。

劣等感は誰にでもあるからこそ、行動を起こす際の起爆剤として働いてくれるのだと思います。

ですが、最近気付いた事があります。

劣等感のエネルギーは初動でこそ大きな力を発揮するけれど長くは続かないという事です。

劣等感を持ち続けると自分を傷付け、周りの空気を重くさせてしまいます。

僕も劣等感に悩まされたり人間関係で沢山の失敗をしました。
今後ももしかしたらあるかもしれません。

夢は1人で叶えるものではなく、直接的、間接的、どちらかの形で他人が叶えてくれるものでもあるのです。

他人はあなたの劣等感を埋める為に生きている訳ではありませんし、むしろそんな事の為にあなたを応援している訳ではないのです。

周囲の人は「あなたが相手にどんなメリットを与えてくれるのか」という部分で価値を判断します。

少なくとも暗く生きるよりは明るく生きていた方が周りの為になるのは明白です。

であるならば、劣等感をエネルギーに離陸した次はを持って人に親切にしていくという他者貢献を力の源に変えていくというのがこの長い人生においてより長く豊かに生きていける秘訣なのではないかと僕は今までの経験で感じました。

もちろんその様な思いでこのnoteを始めました。

大切な人が落ち込んでいたら自分も心配になりますよね?

意外にも、自分だけが幸せという状態で人は幸せを感じられないのです。

劣等感を克服したその後は、他者への幸せにも繋がり自分の幸せにもなる事をして生きていく事が最も心が穏やかでいられる生き方の1つなのかなと信じています。

寝ても覚めても感じていたこの『劣等感』という感情はそんな事を僕に教えてくれる為にあったのだとそう思う様になりました。

これで僕はとても人生が楽になったのでここにシェアさせて頂きます。

こんな長い文章を読んで下さったあなたにありがとう!!

〈終〉

第4話を読んでくださってありがとうございました!

次回の第5話は『夢を叶える為のコミュニケーション術』について話そうと思います!

もしよかったらコメントや記事のサポートをいただけると今後の励みになります。

それでは次回もお楽しみにっ!

「夢を叶えてみんなで幸せっ!」
上杉ちひろでした☺️

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