ハッカ味も平気なお年頃

梅雨ですねジメジメですね。窓の外で雨が降ってる分にはいいんですけどね。どうも上乃葵です。

ドロップのハッカ味、いつの間に食べられるようになったのでしょう。子どもの頃はハズレ扱いしていたのに。

さて、本日6月18日の産経新聞関西版の夕刊に、私の書いたビブリオエッセーが掲載されています。2回目の掲載。今回は真面目な文章です。イエーイ!

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2日前に担当の方からお電話をいただいたのですが、その際に「前回、区まで載せたのはまずかったですか…?」と言われまして。おっと、前回のnote見られてるじゃんか。つまり今回も見られてるじゃんか。たぶんリンクを張ってるからですね。あまり変なことを書くと抹消されるかもしれません。担当の方はおそらく殺し屋ではないので大丈夫だとは思いますが。

たしかに、前回のnoteに「居住地が割と細かい所までばれてますね。なんで区まで書いてしまうん…?」と書きました。今だから言います。映画版「火垂るの墓」で節子が言った「なんで蛍すぐ死んでしまうん?」のオマージュです。あのときから、次のビブリオエッセーは「火垂るの墓」で書こうと決めていました。時間はかかったものの、ちゃんと書きました。そして掲載されました。掲載されなかったらオマージュのことは秘密にして、それこそ墓場まで持っていくつもりでしたけどね。掲載されたのでね。

さて、こういうことを明かしてしまうと、次の伏線もこの文章の中にあるのでは?ということになるんですよね。どうでしょうね。次に何を書くか決めてないので難しいですね。でも候補はいくつかあるので、ばれないように散りばめてるかもしれません。

では、今回も最後に元の文章を置いておきます。良ければ暇つぶしにでも読んでください。


「火垂るの墓」
野坂昭如・著

 夏が来ると、この作品を思い出す。アニメ映画化されて有名になった、ある兄妹の戦時中の物語だ。幼少期の私はこの映画を夏の象徴と捉え、台詞を丸暗記するほど好きだった。
 大学生の頃、講義で小説の導入部を初めて読んだ。それまでに小説の存在を知りながらも手を出さずにいたのは、世界観を壊されたくなかったからだ。本来は小説が原作なので矛盾しているが、私にとっては映画ありきの物語。要するに、映画とは異なるであろう小説の世界には触れたくなかったのだ。そのため、記憶の中の映像がそのまま活字となっていることに感動し、映画に没頭したときのように小説に引き込まれた。映画と構成は同じく冒頭で兄が亡くなり、私を絶望させる。文章に句読点が少ないため切迫感がひしひしと伝わってきた。
 幼少期の私は、この兄妹はなんて可哀想なのだろう、両親のいない場所でも懸命に生きようとしているのに酷い仕打ちを受け、それこそ蛍のようにあえなく死を迎えるだなんて、と心を痛めていた。しかし大人になり改めて向き合ってみると、誰が善で誰が悪ということではなく、彼らは時代そのものの被害者だということに気付いた。今の私には、どの登場人物も責めることができない。死に怯え、それぞれに守るものがあり、追い詰められて精一杯だったのだ。そんな悲しい時代はもう訪れないと思っていた。
 今年も夏が来る。どんな夏になるのだろうか。


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