春休み前

寒いよね
ちょっとずつ暖かくなってきてるけどね
動いてればあったかいくらいになったよね

Tiktokをとることにかなりハマってしまい
今更感ありつつも楽しくやってます
Twitterなどにもカバーあげたらみんな聞いてくれて嬉しいです。ありがとう

この時期になると人生初ライブのことを思い出します
私は数回だがオーディションとかコンテストに出る方が先で、ライブ活動と作曲はその後はじめたねん

中学卒業式終わりの私はお笑いとギターにときめいていて、これからどうするのかな私はーと
せっちゃんのアルバムを聞きながら考えとった。
その頃初めて全国規模の音楽の大会に出て
決勝まで月の影っていう暗いこじらせ植田の曲でいけて、でもなんも賞とれずに終わって。って時やったんやけど。
音楽大好きな環境の中で反抗心満点の私はそこにも反抗しようとしとって、なんかむっちゃよし〇とのNSCについて調べたりしとったん。そしたら、未だにお世話になりまくりのBIGSMILEタダシさんからライブとは、、???という私に、佐賀でライブ出ませんかと連絡を頂いた。
是非出ます!と返事をして意気込んでいると
ライブするにはオリジナル曲が足りないことに気づき顔面蒼白。

んで私は高校の入学式で提出する宿題も放置して
曲を作ったね。今もよく歌ってるゆらんゆらんとかはこの時できたはず。かっこつけやから本番譜面台を見るのが嫌すぎて必死に練習した。
んでライブ当日は緊張しまくりで
さっき言うてた高校の宿題持って行ってずっとやってたんやけどまあアホみたいに筆圧濃くて6Bですか?ってくらい濃かったなあ。
なんせなんせ、MCというものをやることに当日気づき、本番緊張しすぎてさほどおもろないことおもろいですよ?みたいな顔でべらっべらしゃべっとったら「はよ歌え~笑」って野次飛ばしてくれたのがカホンの友偉さん。ずっとそういうあったかい人やね友偉さん。

まあなんとか無事終えて、すごい全部が楽しくて新鮮で対バンってあるから他の人の演奏見て目玉が飛び出しまくるのがなんせ楽しくて。
それから佐賀と久留米と福岡でライブ活動をはじめた。たまに東京のライブも出させてもらって本当にギター弾き語りの魅力をたくさん日々知った。

なによりいろんなライブハウスに行くのが楽しかった。
そんな中でも、今思うと久留米GEILSというライブハウスに憧れとかワクワクとか緊張する場所とか強い気持ちを持っていた。自分にとってはホームとかなんかあったかくて楽しい場所じゃなくて
いやむちゃくちゃ楽しくてあったかくて素敵な場所なんだけど、もっとなんか熱くて新鮮で刺激的で緊張するそんなとこでした私にとっては。

残念ながら2年前に閉店してしまい、最後のイベントに声掛けてもらえたのに私は行けなくて。当時は悔しすぎてしょうがないしょうがない人間になっていたが、悔しかったと今やっと素直に思える。

ここ1年、2年で数々のライブハウスがその場所に在り続けることができなくなったけど。
その度、最後とわかったうえで歌わせてもらうことができた。すごく寂しかったけど本当に幸せなことだなと思う。
久留米GEILSにはそもそも高校卒業後上京してから何年も行けてなかったのね。その上最後のタイミングでも行けなかった。
でも螺旋階段も、フロアの木っぽい雰囲気も、それに対してバッキバキにかっこいいいかにもなステージも、舞台袖も、広いけど人いっぱいで狭い調理場みたいな楽屋も、自分のは並べられなかった物販席も、緊張で向かうPA席も信じられないくらい鮮明な記憶で。そこに二度と行けないことがシンプルにすごくすごくすごく不思議で寂しい。
歌いたいとかそんな気持ちもあるけどそれよりも行けないことが寂しい。まあこう見るとすごくあったかい場所やったってことか。なるほど。それで寂しいし悔しいのか。ありがとうを言いたかったのだね。
書いたらわかった。感謝の意を言葉にしたかったのか。また会って言えるのだろうか。会って感謝を伝えられるかもすごい不安になる世の中ね。今思い知ってます

久留米のホームみたいな成長を見てくれるような特別な会場は木下楽器すわの町店の2階なんやけど。
そこは形が変われど在るから無理言ってでもいつか
ライブがしたい。

春休み前は毎年こんなんやね。
久留米に生まれ育ったからこそこの足で踏めたステージのことや出会えた人々のことを思い出す
春に向けて作曲意欲が湧くのは初ライブのときに顔面蒼白しながらたくさん作ったからでしたということが分かった長文でした。笑
長々と読んでくれた方はごめんねありがとうね。

早くGOOD NIGHT 九州に持って帰れますように
早く豚骨スープ浴びさせてくれますように

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