見出し画像

ねじの回転。(読書感想文)

生まれる前に紡がれた歴史のある一点を、その時間に出向いて目撃することができるとしたら、あなたはどこを見てみたいだろう。もう一歩踏み込んで、生まれる前に紡がれた歴史のある一点を、変えることが許されたなら、あなたは歴史のどこに手を加えたいだろうか。

※ネタバレを含みます

恩田陸さんのSF長編小説「ねじの回転 FEBRUARY MOMENT」は、文芸誌「小説すばる」に連載され、2002年には一冊の本となって世に送り出された。作品は広い意味で言えば、時間を移動するタイプのSF小説。もっとも、主人公が目覚めたら昔の世界にいたとか、未来から人がやってきたとか、そういう設定ではない。

小説世界では、時間を遡って再生するという技術が開発される。この魔法のような技術を駆使するのは、アニメのようなキャラクターでも、唐突に技術を授けられた一般人でもなく、ニューヨークに本部がある国連。小説は現実にある機関が、実際に起きた歴史に目を向けるという、SFながら、ノンフィクションとフィクションを行き来するストーリーで構成される。

20210920_ねじの回転_4_集英社サイト

聖なる暗殺

物語の始まりにあるのが「聖なる暗殺」。時間遡行技術を手に入れた国連は当初、技術を生かし、むごたらしい行為に及んだ為政者を殺害する「聖なる暗殺」を実行する。小説で対象者を明示していないが、文脈から考えればヒトラー。国連は1920年頃に遡り、彼を殺害。ホロコーストを歴史から消した。

それは一時的には世の中で歓迎される。人類史の脅威を葬ったのだから、誰もが喜んだ。しかし、ハッピーエンドでは終わらない。暗殺に関係する場所で奇妙な伝染病が蔓延するようになってしまうのだ。それはおぞましい伝染病で、人々の老化が一気に進み、たちまちのうちに死に至るという。世界保健機関(WHO)は世界人口が大幅に減ると見積もり、人々は恐怖の中を生きなければならなくなった。

伝染病は過去から持ち帰ったウイルスだという説も出てくる中で、医師たちは歴史介入による負荷が人体に影響を与え、伝染病を引き起こしていると推論を語る。もしそうだとして、乱れた歴史と時間を補正する方策はあるのか。国連は決断を迫られる。

国連は歴史介入の方針を転換。「歴史が自己を修復する」の大号令のもと、歴史の転換点となった事件を再現するというプロジェクトを開始する。

すなわち人類の生死に関わるような歴史上の大事件を――仮に改変されたものだったとしても――正史として「確定」したことにすれば、時間の乱れや、それに起因する人間の不調など起きないはずだという論理だった。

難解なコンテクスト

読者にとって少し難解に感じるところだ。小説は一大プロジェクトの端緒を「かつて『聖なる暗殺』を決意した国連に、新たな決意をさせた。それがこの、時間と歴史を再生するという世界規模のプロジェクトなのだ」とあっさりと語るにとどめ、真意はストーリーの中に散りばめた。

国連が1920年代に遡って「聖なる暗殺」を冒し、それからというもの、歴史介入が時間と人体をゆがめることになった。私なりの解釈で話せるなら、道路に例えると分かりやすいかもしれない。

1920年から2001年までの本来なら真っ直ぐな道が、歴史介入による突貫工事や道路の付け替えで、あるところはぬかるみ、あるところは狭窄し、あるところは枝分かれしてしまった。

道を歩いてきた人間が不意に振り返った時、記憶と照らし合わせて、「あそこはぬかるんでいただろうか。曲がり角なんてあっただろうか。なんだか変だな」と感じてしまうに違いない。

そうならば、道路を正しく舗装し直すか、『少々ぬかるんでいても、それを正しい歴史にしてしまえば』、「変だな」と思うこともないのではないか。多少の湾曲でも誤差程度ならば「確定」させよう。本当にあったことにしてしまおう。

時間を遡り、歴史上の人物を蘇らせて説得し、事件の一部始終を再演してもらう。そうして仮に「一度目」と異なっていた部分があったとしても、「二度目」を正史として上書き保存する。これを積み重ねていけば、歴史は正しく修復され、正しく、新しい「時間」を始められる――。

1936年のモーメント

むろん遠大な道路の全てを引き直すことはできないから、国連はいくつかの歴史的な転換点を選んだ。そのうちの一つが、小説の舞台となる「二・二六事件」。首謀者など何人かの登場人物を蘇らせ、4日間に及んだ事件の再現を行う。

二・二六事件は青年将校が中心となって蜂起し、時の首相らを殺害したクーデターで、鎮圧されたものの危機感を覚えた軍部が体制強化を断行。軍部が暴走する契機になった。言うまでもなく、歴史上の重要な転換点だった。人類が正しい歴史の記憶を手にするために、この事件を確定させることに意義はあった。

国連は1936年2月の東京市に使い古されたコンピューター、通称「シンデレラの靴」を持ち込み、歴史を正しく再現しようと試みる。

2001年のモーメント

冒頭の問いかけをもう一度考えてみたい。歴史のどこに手を加えたいか。自分の人生を変えてみるというのも一つの手かもしれない。けれども、「歴史を変える魔法」を国家や国際機関が手中に収めていた場合、きっとこう考えるに違いない。

 現代人が無秩序な世界を生きねばならぬ主因は歴史にある――。主犯は歴史の中にいる。どこかの歴史を書き換えさえすれば、平穏な世界が戻ってくるはずだ。

小説に登場する国連側の職員は2001年の世界を生きている。同時多発テロの災禍やアフガニスタン戦争が勃発する時期であり、世の中の混乱を思えば、「テロさえなければ」と起きたばかりの災禍をにらんでいる時期だ。漫然と歴史を再生させるのではなく、どこかをいじれば、こんな無残な災厄など…。

もちろん、一時的にせよ蘇り、再び事件を繰り返す運命を背負わされた死者も思うだろう。再び死ぬのなら、今度こそ何か一つでも歴史を変えられないか。枝分かれしている道の、枝分かれしたほうを、正しい歴史にしてしまえないか。

伝染病の恐怖におびえながら、禁断の果実の甘いささやきに引きずり込まれようとする現代と戦前の人間たち。歴史という道路をたどりながら、小説は思わぬ方向へと進んでいく。

現代への学び

本作は読みやすく、時間を遡行する技術も破綻なく記述している。だが、現実に起きた歴史(それも複雑に思惑が絡み合う事件)を舞台にしていることや、遡行技術の用途の難解さがあって、理解しながら読んでいくのは簡単ではない。最後のページまでたどり着いても、「そうならば、あのページにあった事象はどうなのだろう」と読み返し、もう一度納得する自分がいた。

ストーリーの重さゆえに、この小説から何を受け取ればいいのかと思う人もいるだろう。もちろんそれは感情の赴くままでいい。単なるエンターテインメントとして片付けてもいいし、技術を手に入れた人間のむごたらしさや好奇心に感じ入ってもいいし、歴史とは何か、時間とは何かを考えてもいいはずだ。

とはいえ、小説のメッセージを知ろうとして、あるいはいくつかの難解な部分を理解しようとして、人は次のページを繰る。文庫本の解説ページ。しかし、担当した田中啓文さんはSF小説としての技術を解説するものの、解説文のタイトルが「私はコレで恩田陸に惚れなおしました」とあるように、恩田さんを絶賛して終わる。

文庫本のもっともむごたらしい瞬間は、もしかしたら小説の中ではなく、解説を頼ろうとした読者が突き落とされる最後の数ページかもしれない。

歴史のif

小説を通して読者に投げかけられる疑問の一つが、「もし歴史を変えられるなら」。今、あなたにその権利があれば、あなたはどうするだろう――。

2021年のリアルな現代社会は、皮肉にも伝染病が蔓延する中を生きている。死病と言うほどのものではないが、世界が混迷しているのは変わらない。もし歴史を遡り、介入できるなら、コロナの存在しない世界を続けようと試みるかもしれない。

ただ、同時に気づかされる。技術を振りかざした改変は幸せなのか、と。今を受け入れ、次を考えるほうが幸せではないのか、と。言うまでもなく時間遡行技術がない現実世界の答えは後者しかないが、いつだってイフ(if)は美しい響きを放って、私たちを誘惑する。

空想に遊びながら、変えられない世界の生き方を思わずにはいられない、恩田陸さんらしい深みのある小説だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?