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徳佐盆地 なぜ真っ平ら? 火星人の着陸基地か

山口市阿東町はリンゴや米の一大産地として知られる。真っ平らな徳佐盆地に田畑が広がり、盆地特有の寒暖差が作物をおいしくするという。特にリンゴは盆地気候の申し子と言ってもいいくらい盆地に適応した作物で、山口では徳佐や阿東と聞けばリンゴを思い浮かべる人も多いだろう。

今まで疑問にも思ってこなかったが、写真を見返してふと気づいた。下は徳佐盆地の写真だが、本当に真っ平らで、山に当たるまで同じ平面が続いているように見える。開放感はもしかしたら由布院盆地を上回るかもしれない。なぜ、こんなにも平らなのか

20200419_徳佐盆地_カバー写真

20200417_徳佐盆地_2

典型的な埋積谷地形という

周りの地形と比べてはっきりと分かる真っ平らっぷり。突然、とっても、真っ平ら。それが徳佐盆地の特徴だと断言できる。下は国土地理院のウェブサイトで3Dモデルを製図したもの。中央にぽっかりと空いた空間が徳佐盆地だ。

20200419_徳佐盆地_立体図

国土地理院のウェブサイトには「日本の典型地形について」というコーナーがある。地理や地学に興味がある人にとっては飽きないページ。ここに「埋積谷」の注釈付きで徳佐の地名が見つかる。ここは全国に誇れる埋積谷地形というわけだ。

埋積谷とは何か。読みは「まいせきこく」。広義には谷底に流れ込んだ土砂が分厚く積み重なっている地形を指す。山口市中心部の山口盆地も埋積作用によって造成された盆地。こうした地形は大小の差はあれど、あちこちに存在する。

国土地理院の注釈には続きがあり、こう書かれている。「阿武川水系。旧堰止が埋積されたもの」。旧堰止、つまりは「せき止め湖」に土砂が堆積して地平ができあがったらしい。

20200419_徳佐盆地_典型地形説明

せき止め湖は、地滑りや火山活動などが原因となって川が塞がれ、行き場をなくした水が谷に溜まることで生じる。近年では新潟県中越地震(2004年)による地滑りで信濃川水系の芋川が塞がれた旧山古志村(長岡市)の天然ダムが記憶に新しい。

もちろん現代でせき止め湖が発生すれば、湖内に住む人々の生活が脅かされるばかりか、決壊すれば下流域に甚大な被害が生じるため、すぐに新しい流路を確保する策が講じられる。しかし起きた時代が古ければ、せき止め湖は地形が発展する過程の一つとなり、私たちの足元にある地面の原材料となる。

地形に刻まれた壮大なストーリー

徳佐盆地も川がせき止められてまずは水が溜まり、そこに土砂が流れ込み、そして水が排出されて平らな地平ができあがった。

国土地理院の注釈は「阿武川水系」とあるため、阿武川がせき止められてできた湖のように感じるが、早合点してはいけない。もともとの徳佐盆地を流れていた川は、萩市に注ぐ阿武川ではなかった

相当に年代がぶっ飛んでしまうが、100万年くらい前まで当地を流れていた川は益田市で日本海に出る高津川の支流だった。具体的に言うと「津和野川」が徳佐盆地まで伸び、盆地に降った雨は萩ではなく益田に流れていた。

20200417_徳佐盆地_100万年前

ただ、驚くのはせき止めに至った理由のほう。ストーリーは壮大だ。とある論文の記述を1行だけ引用するが、覚悟を要するほどの衝撃がある。論文だから淡々と語っているが、1行に凝縮された要素はとんでもない。

引用するのは1966年に地理科学学会が発行する学会誌に発表されたもの(論文に関する詳しい諸元は最後にまとめる)。刮目してほしい。

「盆地北部にある三原山を中心とする火山群は青野火山群に属し、旧津和野川の流路を堰止めて噴出した」(加藤・中田・成瀬,1966)

繰り返す。

「火山群は(中略)旧津和野川の流路を堰止めて噴出した」

せき止めたのはなんと「火山」そのものである。溶岩が流れてきたり、土石流が起きたりしてせき止め湖になったわけではない。旧津和野川の流路上に火山ができてしまったのだ。このとんでもない自然現象は70万年前までには起きたと考えられている。(竹村・北岡・堀江・里村・横山,1991)

20200417_徳佐盆地_火山活動期

穏やかな流れの津和野川に、ある日突然(かどうかは分からないが)どっかんどっかんと(かどうかは分からないが)火山が形成され、一夜にして(かどうかは分からないが)津和野川上流は流路を消失。四方八方から流れ込んできた川によってすぐに巨大な湖ができあがった。古徳佐湖と呼ばれるこの湖は南西端が長門峡のあたりであったと推定されている。(加藤ほか,1966)

20200417_徳佐盆地_古徳佐湖時代

巨大な湖の底に均等に土砂が溜まっていき、真っ平らな徳佐盆地の平野ができた。

しかし、徳佐盆地は鍋倉や地福あたりと比べても明らかに異質で、際立って平坦だ。それに、徳佐盆地は標高が300メートル~320メートルくらいだが、地福付近は260メートル前後。これほどの落差も不可解だ。古徳佐湖の堆積作用は場所によって違ったのか。

磨きを掛けた「最後の湖」

古徳佐湖の巨大な湖は意外にも早く排水が始まったという。それも、津和野側からではなく、反対の長門峡あたりから。太古の昔は地図の右上のほうに流れていた津和野川だったが、噴出した野坂山などによって閉じられ、左下へと向きを変えたことになる。

長門峡付近から水が流れ始めて徐々に古徳佐湖は小さくなっていく。50年前に書かれた論文の推察によれば、その過程でガラス面のような徳佐盆地を造るに至る決定的な事象が起きた。

川は地図の左側から流れてきて徳佐でかくんと折れ曲がり、長門峡方向へと落ちていくが、この「かくん」のあたりに堆積物が溜まり、別のせき止め湖ができたらしい。(加藤ほか,1966)

これによって徳佐盆地付近だけは津和野側にも長門峡側にも出口がない完全に取り残された湖が生じ、長い年月を掛けて均質化が進んだ。自然は最後に磨きを掛けたというのだ。

20200417_徳佐盆地_二重せき止め湖

確かにこれならば徳佐盆地だけが特徴的なガラス面の平地になったのは説明できる。ただ別の研究者の論文では、最初のせき止めに関しても火山活動の年代推定が必要だとしている。(竹村ほか,1991)

地形をもう少し詳しく見ると、徳佐盆地は標高320メートルの上段と、同300メートルの下段の二つに分けられる(湖成段丘)。320メートルの平面は高校(山口高校徳佐分校。旧徳佐高校)や中学校がある徳佐中心部の台地。古徳佐湖に洗われた面で、最も水が多かった時代の水面もこのあたりであったと推定される。標高300メートルラインは徳佐盆地の大半を占めるエリアで、真っ平ら。ここが二重せき止め湖の湖底だと考えられているようだ。

下の写真の中央右側に山口高校徳佐分校の校舎が見える。この台地が湖成段丘の上面で、古徳佐湖時代は水面付近だった。手前の水田は標高300メートルほど。こちらは二重せき止め湖(古徳佐湖残留湖)の湖底にあたる。

20200419_徳佐盆地_湖成段丘

恵みをもたらした山の中の平地

多少の標高差はあれど、古徳佐湖によってもたらされた湖底の均質化は周辺地形に絶大な効果をもたらした。

もともとの地形だと起伏に富んでいて、とても耕作には向いていなかったはずだが、谷底が均されたために水田が徳佐盆地以外でも発達。段丘の上には人が住み、近年は果樹栽培が盛んになった。

ゆるやかな勾配は人の往来を活発にさせた。JR山口線や国道9号線が走る谷からいくつもの支谷や道が北西や南東方向に延びているが、ほとんどの道が次の谷に抜けるまで大した勾配がない。阿武川上流に進む国道351号、名草から大原湖方面に伸びる国道489号、三谷から生雲方向に向かう県道11号-。いずれも峠らしい地形を持たない

旧阿東町は1955年に5村の合併で誕生する。この当時から面積は約300平方キロメートルと極めて広く、町の政治は簡単ではなかったと考えられる。しかしそれでも町域を維持できたのは、山はあれど道は平坦だという地形も一役買ったのではないか。

山中に連なる標高300メートル前後の平地は、閉ざされた場所になりそうな中国山地の中央に豊かな生活基盤をもたらした。そう断言しても差し支えないだろう。

【文献】
1)竹村恵二・北岡豪一・堀江正治・里村幹夫・横山卓雄(1991)「山口県徳佐盆地の地下構造と堆積物」,地質学雑誌第97巻,p15-24
2)三好教夫(1989-1990)「 徳佐盆地 (山口県) における後期更新世の花粉分析(予報)」,第四紀研究第28巻1号,p.41-48
3)加藤哲也・中田高・成瀬敏郎(1966)「阿武川上流域の水系変化」地理科学第6巻,p.65-77
4)河野通弘・高橋英太郎(1966)「山口県徳佐盆地の第四系と段丘について」,山口大学教育学部研究論叢15,p113-125,山口大学教育学部
5)山内一彦(2003)「中国山地西部、徳佐盆地周縁における河川争奪」,立命館地理学第15号,p31-47

20200419_徳佐盆地_カバー写真_2

【トンデモ】徳佐盆地は火星人の着陸基地なのか

ところで、この真っ平らな土地は人類だけに許されたユートピアなのだろうか。

古代宇宙飛行士説の番組を録画してまで見ているという鳥類のシン・ウエッダー博士は、徳佐盆地は特殊な任務についているという。なんでも、徳佐盆地が「日本版エリア51」らしいのだ。

「徳佐盆地は火星人にとって好都合なんです。このあたりの地形は、アメリカのネバダ州にあるエリア51とそっくりです。瓜二つと言ってもいい。エリア51と同じように火星人が行き来しているのも間違いありません」

そんな理論を一応裏付けるために、地図を『恣意的』に20度傾けて、エリア51と比べてみたのが下の図だ。

20200417_徳佐盆地_エリア51

確かに、基地北側の山地(と野坂山)、基地機能が集中するグルーム湖(と徳佐盆地)、それに基地南側にあるパプース湖と国道315号線沿いの「野道ため池」はぴったりと重なる。いや、重なるようにわざと20度も傾けて拡大しただけだがウエッダー博士は得意げだ。

「火星人たちは空飛ぶ円盤を使って離着陸していますが、そんなことが人間に知られると大問題です。ですから彼らは基本的には夜に行動しているわけです。しかし、ネバダ州のエリア51だけではアメリカの夜間しか地球に降りることができません。宇宙戦争が起きたときに宇宙港が一つでは都合が悪いわけです」

博士の理論によるとアメリカの昼間に非常事態が発生したとき、緊急で離着陸できる場所を日本とイギリスに整備した。ウエッダー博士は「日本では徳佐盆地にその機能を担わせているんです」と熱弁を振るう。

「近頃の若者は」と嘆く宇宙人たち

しかし、疑問が残る。「本物のエリア51」と「徳佐盆地」を似ているように見せかけるため、地図を『恣意的』に傾けたわけだが、そのよすがとした「野道ため池」は現代になって整備された人造湖。ネバダ州の「エリア51」にあるパプース湖は自然の湖なのだから、こじつけもいいところだ。

博士に「いい加減な理論ではないか」とぶつけると、ウエッダー博士は記号の羅列でしかない本を取り出し、「これは金星人が書いたというレポートにある話なのですが」と続ける。

「最近は火星人たちの操縦技術が落ちてきているらしいんです。ネバダ州ばかりに降りる機会が多いから、急に日本に降りる事態になったとき、若いパイロットは『目標物が違うから怖い』『降りたくない』と言う。それで、わざわざ為政者に命じて着陸目標の湖をパプース湖に似せて作らせたんです。近頃の火星人は性根(しょうね)が腐ってると金星人が嘆いてましたよ」

相変わらず寝不足の博士が言う、いつものトンデモ理論である。偶然に過ぎない。やれやれ。ただ、JR山口線や国道9号線を北上すると日原天文台があり、逆に南下すると山口市のパラボラアンテナ群に迫れる。さらに野道ため池がある国道315号線を周南市方向にまで下っていき、少し脇道に入ると本物の宇宙ステーション(宇宙の駅)がある。

それらへの道が交差する徳佐盆地は、もしかしたら宇宙への玄関口なのかもしれない。いやいや、ウエッダー博士のトンデモ理論に染まってなるものか。徳佐盆地の気候が作り出すおいしい米と甘いリンゴの豊かな実りを期待して、今日のところは筆をおくことにしよう。

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