ひろしまタイムラインへの懐疑点/復員兵はいつから日本にいたか?

1945ひろしまタイムライン がSNSで物議を醸しています。

以下、1954ひろしまタイムラインをひろしまタイムラインと表記します。

1945年にもしSNSがあったらどんなことをつぶやいていたか、というNHKの謎の企画。

第二次世界大戦下の市民から見たリアルな日常をツイッターで日々呟くというものです。

性別立場が異なる三人がそれぞれ原爆投下、復興の混乱した敗戦後の日本の様子を呟いています。

問題になったのは在日韓国人へのヘイトに繋がりかねないツィート。

【問題になったのは実際に日記には書かれていない部分】

この20日と、19日のもの〜

復員兵に関するもの。で、よくよくサイトを見ると、とても分かり辛いところ、NHK公式HPに

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/genbun/shun/434541.html

※ご本人の日記は、8月17日~27日まで空白です。
8月15日~21日までのツイートは、後年ご本人が書かれた手記とインタビュー取材をもとに掲載しています。
(新井俊一郎『激動の昭和を生きて』2009年)

と書かれています。

ですので、ここに掲示した19〜20日前後のものは、創作、とまでは言わないまでも、実在しない「しゅんくん」の呟きなのです。

もちろん、当人は実在しておられ、本当にそういう目にあったかも知れませんが、実際には書かれていない部分ですので、かなりの部分が誇張されたものであることを疑わざるを得ません。

そして復員兵ですが


の疑問を受けて短時間で調べられるものだけを見ますと、9月から10月頃にかけて復員兵が帰還しています。

●「復員兵」のwikiには

「復員輸送は1945年(昭和20年)10月から始められ、翌1946年(昭和21年)春から8月がピークとなった。その後は艦船数を徐々に減らし1947年(昭和22年)夏ごろまで続けられた。」

とあり、8月頃に多数の復員兵がいた記述は不可解なものがあります。

●公文書に見る終戦_復員引き上げの記録_ より

1945年09月02日南朝鮮からの引揚第一船興安丸が仙崎港入港とあります。

●氷川丸のケース

「9月15日より翌年8月15日まで、病院船のまま復員輸送にあたります。」


●資料 引揚死没者慰霊祭の挙行・「引揚船入港の地加治木」の碑建立に関する委員会活動記録及び関係資料(2) 

61Pより〜「復員輸送はこうして行われた」から

第一回のフィリピン(一般人含む)復員輸送任務

第一回目は10月とあります。

こんなところでしょうか...

南方から「飛行機」で帰還した海軍の上級軍人の話を聞いたことがありますから、「復員兵」の検索をどのように定義づけるから難しいものがありますが、やはり終戦から5日あまりで「抱えきれない荷物を持った」「新調の軍服」を着た南方で飢餓に苦しんだはずの屈強な多数の「復員兵」が電車内で我が物顔...というのは誇張を感じます。

朝鮮人の様子もこうなってくると、かなり眉唾ですね...

@QNews24





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