シカゴ

今より少し前、娯楽が少なかった時代、
死刑執行が娯楽になり得ていた。
上流階級の紳士淑女はニュースペーパーで、
殺人は知り、気になる内容であれば
裁判の様子を確かめ、死刑になれば
絞首台の前で死体が完成するまで待つのだ。
その足でディナーに行き、
素敵なジャズを聞きながら、
愛を語らい、愛を感じ、眠る。

死が身近にあり、恐怖すべきものである事を理解している。だから犯罪は犯さない。
下流に住む人々は、そんな時間が無い(頭も足りない)から、犯す。それが紳士淑女のディナーの肴になる。

現代、余りにも遠ざかった。
僕も処刑台の前で人が死ぬところを見たかった。
百聞は一見にしかず。だが、その一見もない。
そんな教育が正しいと考える、先生や親。
百見は一行にしかず。だから、一見さえ飛び越えて一行に走りたくなる。君も僕も。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?