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レジェンド黒田博樹は雛形あきこのファンだった!?往年の鯉戦士たちの推しを探ってみた

 カープOB黒田博樹のレジェンド化が止まらない。昨年、新井貴浩監督の招聘に応じて球団アドバイザーに就任。その効果は着実に出ており、2024年7月6日現在、カープのチーム防御率は2.07でリーグ1位の好成績。さらに今年1月には、日米通算203勝を挙げた功績などで野球殿堂入りを果たすなど、カープファンにとっての黒田は、呼び捨てにするのを憚るほど、偉大な存在である。

 そんな黒田が、雛形あきこのファンだったと言ったら、あなたは信じてくれるだろうか?

 インターネットが普及する前のいにしえの時代。プロ野球ファンの情報源は、テレビ、新聞、雑誌、そして年に一度各社から出版される「選手名鑑」だった。

 2005年に個人情報保護法が全面施行される以前の選手名鑑は、令和の常識では考えられないようなデータで溢れていた。首脳陣や選手の妻子の実名や年齢、中には住所まで記載されているものもあった。そして、私が愛読していた日刊スポーツの『プロ野球選手写真名鑑』には、独身選手の情報として「好みのタイプ・芸能人」が記されていたのである。そこに書いてあったのだ、黒田の推しは雛形あきこだと。

 黒田がカープに入団した1997年は、私が初めて沖縄キャンプ見学に行った年である。間近に見た選手たちへの思い入れはひとしおで、舐めるように選手名鑑を読んでいたため、深く記憶に残っているのだ。

 ところが、カープファンの友人にこの話をしても、何故か全然信じてもらえない。自分の記憶違いなのではないかと不安になった私は、図書館で当時の選手名鑑を調べることに。ちょっとアカデミックさに欠ける資料を何冊も請求し、1997年から読み直してみることにした。

 結論から言うと、私の記憶に偽りはなかった。黒田の好みの芸能人のところには、確かに「雛形あきこ」と記載があったのだ。正確には「雛形あきこ」と「中山美穂」の2名が記されていた。

 ちなみに、同年ドラフト一位で入団し、新人王を獲得した澤﨑俊和の好みの芸能人は、「中山美穂」と「渡辺満里奈」。黒田は「雛形あきこ」「中山美穂」。番手から言っても、黒田は先に記載されている雛形あきこを、より推していたと解釈するのが自然であろう。翌年も、黒田は一途に「雛形あきこ」「中山美穂」の2名を挙げている。実直な人柄が感じられる思った矢先…

 3年目の1999年、大きな変化が起きていた。黒田の好みの芸能人が、突如「松嶋菜々子」になったのだ。
 
 この年、松嶋菜々子は3人もの独身選手から推されており、同じく3票を獲得した水野美紀と並んで一番人気である。水野美紀は、1997年からスタートした『踊る大捜査線』シリーズで人気を博し、松嶋菜々子は1998年に『GTO』でブレークしている。そう、黒田はきっと『GTO』を見て、松嶋演じる冬月あずさ先生に惹かれたのだ。なお、黒田の2年前から松嶋菜々子を推していたのは、現在カープのスカウトとして活躍している高山健一。当時から卓越した「目」を持っていたことが伺える。

 黒田の気持ちに変化が生じた1999年は、カープを語るに欠かせない人物が入団した年でもある。現監督・新井貴浩だ。好みの芸能人は「田中美里」。1997年の連続テレビ小説『あぐり』で主演を勤めた田中美里が、駒澤大学で厳しい練習の日々を過ごしていた新井に癒しを与えていたのだろう。
 
 そんな新井にも、心移りの相手ができた。変化が起きたのは2002年か2003年。国立国会図書館でも野球体育博物館の図書室でも、2002年の『プロ野球選手写真名鑑』は何故か欠番。そのためどちらの年に変化が起きたのか特定はできなかったが、2003年には衝撃の記載がされている。西山夫人の登場だ。

 なんと新井は、先輩である西山秀二捕手の妻を、堂々と好みのタイプに挙げているのだ。新井は2003年に結婚しているため、翌年からこの記述は消えてしまったが、一般人への恋慕の情の吐露を見るのはなかなかのインパクトである。西山夫人は、一体どんな魅力を持った女性だったのだろうか。

 今はほとんど知ることができない情報となった「好みのタイプ・芸能人」。せっかく図書館まで来たので、いまのカープを支えている首脳陣やスタッフの回答で、興味深かったものを挙げておきたい。

 一軍打撃コーチの朝山東洋。ほとんどの選手が芸能人を挙げる中、1997年には「ショートカットでやせ形」と、やたら具体的な描写で回答。それが2年後には「松下由樹」に変わっている。ショートカットでやせ形を具現化したような芸能人を発見したのだろう。

 大瀬良大地を発掘したスカウト・田村恵の回答もまた個性的だ。1997年、当時21歳の田村は、およそ30歳年上の「大原麗子」「篠ひろ子」の2名を挙げているのだ。ところが1999年には、3歳だけ年上の「桜井幸子」にチェンジ。前年に一軍初出場を果たした田村は、いろいろな現実を見て軌道修正したのだろうか。

 新井と同期入団で、現在は二軍の走塁・守備コーチを務める東出輝裕は、入団直後から一貫して「普通の人」と答えていた。しかし、新井が西山夫人に憧れていた2003年に、しれっと「矢田亜希子」に変更。全く普通の人ではない。ちなみに矢田亜希子は、同年1月クールのドラマ『僕の生きる道』でヒロインを務めている。東出も、主題歌「世界に一つだけの花」を聴きながら、矢田亜希子に憧れの気持ちを抱いていたに違いない。

 そして、新井監督の右腕である藤井彰人ヘッドコーチ。新井が西山夫人に惹かれていた時、藤井の心の中には誰がいたのだろうか?大阪近鉄バッファローズのページを繰ってみたところ、まさかの無回答。さすが頭脳派の藤井、個人情報を簡単に人前にさらしたりはしないのである。

 さて、話を1997年に戻そう。当時、カープキャンプは沖縄スタートだった。キャンプイン当日の2月1日の夜。カープの宿泊所だった京都ホテルの駐車場に、投手陣が集まっていた。車のフロントガラスを鏡代わりにして、シャドーピッチングをしていたのだ。

 当時、京都ホテル周辺の治安はお世辞にも良いとは言えず、敷地を一歩出ると、酔った米兵が割ったビール瓶の破片が散乱しているような有り様だった。危ないから一刻も早くタクシーでホテルに戻るように言われながら見た選手たちの努力の姿を、私は一生忘れない。施設に恵まれていたとは言えない彼らの心を、雛形あきこや中山美穂が支えてくれたかもしれないと思うと、推しの推したちに感謝の念が尽きないのである。

 最後に、当時の私にとって「好みのタイプ・芸能人」だった前田智徳は、一貫して鈴木保奈美の名を挙げ続けていたことも、補足情報として記しておきたい。

何という幸せ…!ありがとうございます!!