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【四柱推命】比劫大過の孤独

一昨日、乙的憧れの命式としてオノ・ヨーコさんについて書きました。命式が身旺なことに加えて大運で子供時代が凄い比劫大過だったので、良いとこの子でいらっしゃるし、私が私がな我儘な子だったんじゃないかなぁと思ってました。

その後、図書館に予約していたオノ・ヨーコさんの著書『ただの私(あたし)』が届きましたので借りて読みましたところ、大分違いました。少し長いのですが、比劫大過って様々だなと思いましたので引用したいと思います。

 五、六歳のころだったと思う。私は鎌倉の別荘で一人だけポツンとして暮らしていた。父はしょっちゅう海外に出張していたし、母は東京で色々な交際に多忙だった。私の置かれた別荘は母の里のもので、とてつもなく広大なものだった。
 私のほかには、何人かのお手伝いさんと家庭教師がいるきりだった。家庭教師は、バイブルを読んでくれる先生が一人と、ほかに外人のピアノの教師がいた。それに私のお付きの人が仏教を教えてくれた。
 食事をするときは昼も夜も一人きり。「お食事ですよ」と言われて食堂に入ってゆくと長いテーブルがあって、そこで一人で食べる。そばに家庭教師がただ座って見ている。
 ときどき、お手伝いさんに「お弁当作ってちょうだい」と頼んで、一人で遠足に出かけた。遠足といっても庭のなかで十分だった。なにしろ、(略)というくらい庭が広かった。だから五歳の子供には、庭のなかだけで遠足気分を味わえるのだった。
 そんなことで気をまぎらわそうとしても淋しくてならないので、お手伝いさんの部屋へ出かけて行って、遊びのお相手を頼んだりする。私の相手をする順番が決まっていて、今日は誰さんだ、ということで、私と遊んでくれるのだが、「何をするんでございますか」なんてイヤがってるのが、子供心にもわかる態度をとる。
 で、私はもっぱら別荘番の子と遊んだ。二歳上の女の子だった。(略)
 私が「何をして遊びたい?」と聞くと「いいえ、それはお嬢様のなさることをしましょう」とか「お嬢様は何をなさりたいですか」なんて言う。
 そのうち「ちょっと用がございます」とか言って家へ帰ってしまう。あるとき私がそっと覗きに行ったら、自分の学校の友達と遊んでいる。こういうときは、たまらなく淋しい思いをした。(略)
 この子が病気をしたりすると、「今日は弟の僕がお相手をいたします」とか言って、もっと小さな子がやってくる。私が、「何でもあなたのしたいことをするわよ」と言っても、「いいえ、お嬢さんのなさりたいことでいい」と、姉さんと同じことを言う。
 それは淋しかった。

「ただの私」p24-26 オノ・ヨーコ

比劫大過は意識の大部分を「自分」が占めているということ。これは我儘だけでなく孤独でもそうなんでしょうね。まわりに人が大勢いても実質的には独りぼっち、という状態。

芸は身を助く。

ことわざ本来の意味ではなく、陰干比劫大過の開運法としてそのものズバリな人生です。

皆様が幸せでありますように。

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