卯月コウがいかに素晴らしい存在であるか

                 ≪前書き≫

 正月休みで時間もあり、元々好意の高まりがあり、そして何より「卯月コウ」という存在に対してとても悔しい記事を読んだので私も初めてnoteを書いてみることにした。これは反論な面もあるが、それ以上に同意の念を含めて書くものである。

 初めて書くnoteで触発先がどれであるかは伏せるが、自分の文が投稿された日と同日に投稿された卯月コウに関するnoteなので一部のファンは既に読んでいると思う。
 触発先の内容を端的に述べると「卯月コウというコンテンツはソロでこそ最大限のエンタメを発揮してきた存在で、最近のコラボの流れは違うと思う。だから私は見るのをやめた」というものだ。この文は非常にわかりやすく、納得のいくものだった。

 それでも何故だか悔しいという感情が沸き、その感情に任せて個人の感想を述べていく。
 引用もなく調べもない感情に任せた文なので「思う」という表現の多さはご容赦願いたい。

              ≪はじめに≫

 私自身初配信から卯月コウの配信を追っていた身であり、特にエモグランプリやコウとごろごろなど雑談企画を連発し、クソみたいな短時間配信をして好感度調整を行っていた時の彼が最高に好きで、そこに惚れていた。

 では今のコラボ連発、バンドの方向性に否定的なのかと言うと私は違う。
 彼のバンド結成、コラボグループの多さは別のエンターテイメントを与えてくれている。少なくとも私には以前と別ベクトルのエンターテイメントで心を揺らし、羨望のような目を向け続けてしまう。

           

            ≪前の卯月コウについて≫

    
 約1年前、彼の感性は実に陰のオタクのそれで、エロゲーの話やポケモンにリトバス、エモの話は自分にもわかる話題で楽しい。
 音楽の話はそれこそ深いオタクで私には全くわからないがそれを沢山楽しそうに話す彼は実にコミュ力そこそこのオタクって感じで楽しかった。
 特に言われる言葉のセンスは素晴らしくて、今ここでは楽しい楽しいと私は言ってしまっているが、彼はそれを何故楽しいのか、どう楽しいのかをわかりやすい言葉で伝えることができる。それが感動的なまでに私の心を掴んでいた。気が付けば彼を好きでいた。

  この時既に私にとって彼は【殴らせてくださる王】であった。

 これは「金色のガッシュ」からの引用のアレンジのようなもので、私は彼が好きなのに彼を簡単に否定できるのだ。
 「は?」「キモ」「・・・すぞ」これらの相手を否定できるコメントが普通は普通の配信者にできない。相手を傷つけてしまったり、自分を悪く見られたくないからだ。少なくとも私はそうだ。
 だが彼の配信はそれが許されるような気がする。彼とは友達なのだからこれくらいの砕けた、ふざけた言い方もお互いに冗談であるとわかっているし、それを共有するリスナーも全員がそれを理解してくれるような気がしてしまうのだ。これがなんと心地いいことか。
 そのコメント欄、空気自体は変わっていないと思う。彼は前も今も殴らせてくださる王なのだ。

            ≪最近の卯月コウ≫

 最近の卯月コウはコラボが増えたことに対する賛否両論だが、私は大賛成をしている。ただ正直な話をするとソロ雑談の方がコラボよりも面白いと考えている。
 それでも彼がコラボすることに賛成している理由は【憧れを覚えることができるから】なのだ。これは本当に私個人の感性なんじゃないかとも思う。
 彼の評価には「陰キャで友達がいない」というものがある。あるというよりもそういうキャラだと思い込んでしまったり、思い込もうとしている人がいると感じている。
 何故なら彼の感性はオタクにフィットして、自分と対等な存在と勘違いさせてしまう魅力に溢れすぎているからだ。少なくとも私はそのように感じるし、その感覚が「俺とあいつは同じ中学生で友達なんだ」と錯覚してしまうくらいにだ。この感覚は前の卯月コウを見ていたファンはなんとなくわかるじゃないかと思う。

 今のコラボする卯月コウに対して私は【青春を送ってるありえたかも知れない過去】を覚える。
 葛葉くんと一緒にバカだなと言い合い上達目指してゲームしたり、ベルさんリオン様と下手なりにゲームを楽しんで過ごしたり、おなえなんかはもうわかりやすくアニメみたいな青春3人組だ。
 最近ではないが緑仙との関係なんかはいじらしいまでに素晴らしい友情であり、笹木にバカにされるのもギャルにいじられるオタクのようで、リゼさんとの共通の趣味をもったオタク同士のいじりあいは微笑ましすぎるとは思わないだろか?
 そしてりりむちゃんとのコラボは、一番お互いに楽しそうで、羨ましいと思うことすら失礼なんだと思えてしまうくらいだ。
 つまりは青春を送っている彼に憧れてしまい、「自分もこんな生活したかったなぁ・・・」と思わせてくるエンターテイメントにもなっていると私は考えている。
 それこそクリスマスのバンドなどは理想の青春そのものでしかない。だから私はEGNが大好きだ。最高のクリスマスを与えて頂いたと思っている。


        ≪卯月コウから離れていく人へ≫

 私からすれば昔の卯月コウが好きで今の卯月コウは違うと言っているファンが「友達が別の友達と遊んでいて嫉妬してしまう」そんなように見えて仕方ない。
 そのようなファンを私は否定しないし、むしろ自分の唯一の友達が取られて悔しいと感じてしまうような感性を持つファンこそ「軍団らしい」とすら思っている。それはそれで私としては羨ましくも思う。何故ならそれだけ彼が好きなんだろうと思えるから。

 彼は変化する。良くも悪くもだ。
 それに合わせて自分も変化しよう!

 などと言って変化できるような人間であれば昔の彼のファンにすらならないと思う。
  変わることもできず、対して何かできるわけでもなく、自己嫌悪をよくするような人にこそ卯月コウというコンテンツは合致してきたと考えている。
 だからこそ今の彼に否定的な人が増えたことも自然なことだと思う。
 私はそれで彼から離れていくことも仕方がないことだと思う。

 ただ一つ言えることは、

 卯月コウは面白い。

 この先もきっと卯月コウは面白いのに、もったいないぞ。






         ≪蛇足 本当の書きなぐり≫

  卯月コウは顔もいいし、バージョンアップしてからの顔は更に最高だ。だからきっと3Dになった時の顔は絶対にいい。ただでさえMMDのクオリティは最高で無限の愛おしさだ。
 彼が成長するとか変化するとか色々言ってきたが、ずっと成長し続けるだけなんてことはなくて、退化も原点回帰もしてくれるだろう。
 何故ならずっとずっとずっと彼は色んなことを考える人間だからだ。
 自分がどう見られているか、どう求められているかをわかった上でその要求されたものに従うだけじゃなくて自分のやりたいことを進めたり折衷案模索できる人間なんだ。実際どうか知らないけど雑談でよく考えてるんだと感じるシーンが多々ある。
 勝手に期待して勝手に見切ってやらないで欲しい。別に彼に頑張って欲しいわけではないがコンスタントに配信するし、最近は動画だって作るようになった。規模に合わせた変化と古典的な部分の残し方と模索してくれてるのが嬉しいとは思わないのか?
 ファンの名前を呼ぶ機会は減ったがその分ファンに平等だ。ファンの名前呼ばないから様々な人が見やすいものになった。
 配信だってスケジュールは組まない、急にその日とか翌日に配信すると言っては毎回遅刻する。それは悪いところだがそれも好きになってしまえば変わらない欠点が成長しきらない証に思えて悪くないなと思える。
 ツイキャスはしなくなってしまったのは素直に残念だし、またやって欲しいとは思う。でもそれ以上に他に何かやってるのかもしれないと思えば我慢できる。
 長時間配信が増えて追えなくなってきたかもしれない、元々雑談メインな時は1、2時間くらいでアーカイブも見やすくていいって人もいたと思う。個人的に長時間配信はゲーム実況見るというよりも彼と時間を共有し過ごしてる、そういう楽しみなんだと思っている。だからリア帯してる人が羨ましいし、一緒にいてくれてありがとうとも思う。アーカイブは私も追えてません。リア帯できる人が楽しめるものってことでいいと思うし、ゲームが好きなら見るくらいのものだと思う。
 それを考えるとコウとごろごは最高だった。本当にただ彼が好き勝手して、それを一緒に過ごせたようで。リア帯できなかった人には申し訳ないけど、本当に楽しい配信だった。
 おりコウもEGNも無限に最高だ。なんでわからないんだろう。涙がでるくらい感情揺さぶられるのに。
 学生時代何かに情熱を向けられず、恋もせず、自分は自分だからと変に達観してた人間ほど卯月コウには素直になれて、友達感覚覚えてしまうものじゃないのか?そんな人間ほど初めて素直に卯月コウという青春に憧れ以上の感覚を覚えるものじゃないのか?私だけじゃないはずだ。卯月コウはどうしようもなく素晴らしい人間だと思っている人間は!!
 これからもどんどん素晴らしく生きていく卯月コウを嫌わないで欲しい。応援して欲しい。
 もっともっと活躍の場と自由に活動できるよう卯月コウを愛してあげて欲しい。
 卯月コウは最高に素晴らしいんだ。

 


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