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闘病ノート①

災いは突然にやってくる。

病気というものは、ある一定程度まで進行した時に発症して、急に顕在化するのである。健康であることの有り難みは、普段さほど意識はされない。その人なりの身体機能が正常に作用している間は、身体動作の多くは無意識のうちに行われるためである。それがある日一変すると、人は病というものを自覚し、健康に過ごしていた日々の輝きに気付かされるのである。

普段の生活の中でも、時々、熱が出たり、頭痛になったり、風邪で鼻や咽喉の調子が悪かったり、胃腸の不調による下痢や便秘に襲われたりすることは、頻度の差こそあれ誰でも体験することだろうし、女性であれば生理痛がひどくなって苦しむこともあろう。これらも病の一種であると言えばその通りであるが、大抵の場合には市販薬等で対処できるし、わざわざ医師に診てもらわずとも短期間の内に簡易に解決してしまうものが殆どだ。
かくいう私も、病院や医師に頼ることは少ない方である。理由のひとつには西洋医学に対する、ある種の警戒心があり、もうひとつは私自身の健康に対する根拠なき自信があったためである。事実これまでは、不摂生による肥満が多少気になることはあれど、大病を患うこともなく、平穏無事に生きて来ることができていた。

そんな私が今回、手術を要する程の大病に罹って入院する羽目になったのである。闘病と獄中生活は人を大きく成長させる機会であると、昔の人も言っていた。入院が決まったとき、私はその言葉を思い出した。それで、随分と前置きが長くなってしまったが、今回の闘病経験を何かに記録しておきたいと思い、本ノートの作成に至った訳なのである。

始まりは予想もしない形で訪れた。
5月16日、日曜日の夜9時頃、私は腹筋の上部右側にわずかな引き攣りを感じた。丁度空腹もあり、何か作るのも億劫だったので近所のスーパーで惣菜を買ってきて食べた。すると地獄の門が開いたのである。わずかに感じていた腹部の痛みは徐々に程度を増し、激痛へと変わるまでに、さほど時間は要しなかった。

実は、腹筋上部右側に違和感や痛みを感じたのは今回が初めてではない。今から3年ほど前にも、似たような症状に襲われて一晩中苦しんだことがある。その時は居ても立ってもいられなくなり、外へ飛び出して、自転車で夜の街を走り回った。文字通り、横臥しても、座っていても、痛みのためにその体勢を取り続けることが出来なかったのである。痛みは鳩尾から胸部へと達し、心臓に何か異常があるのかと思われる程であった。一時は死をも覚悟した。このまま痛みが収まらず、遂には心臓が麻痺して斃れてしまうのではないかと考えた。自転車で小一時間程走り回り、疲れたので家に戻り、腹部と背中のストレッチをしたら症状が軽くなり、やがて眠りについた。目が覚めると、あれほど酷かった痛みは跡形もなく引いており、幸いにしてすぐに元通りの生活に戻ることが出来た。

そのとき、私は痛みの原因を運動不足による背筋の収縮により腹筋が引き伸ばされて起きたものと勝手に解釈し、特に医師に診せることもしなかったのである。だが、今から思えば、あの頃からすでに私の身体は爆弾を抱えていたのかもしれない。(つづく)

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