見出し画像

闘病ノート②

3年ほど前に体験した腹部と胸部の痛みは、実は今回の入院に先立つ10日ほど前にも再発していた。正確な日付は覚えていないが、全く同じ部位が痛んだことは、はっきりと記憶している。そのときもストレッチを行い、市販のピリン系鎮痛剤を服用したら、朝に目が覚めるときにはすっかり良くなっていた。それは未来を知る者からすれば、明らかに「予震」であったが、その時も容易に解決できたので、全く油断しきっていた。運動不足等が原因で時々ふくらはぎを攣るのと、さして変わらぬものと認識していたのである。また近いうちにジムに通って身体を鍛えれば何も問題ないだろうという程度の甘い見通ししか持ち得なかった。事実、その時には、病院へ行って医師に診せるという選択肢は私には無かった。それなりに多忙であったし、わざわざ念の為に検査をするための費用を負担するという余裕も動機も持ち合わせていなかったのである。

5月16日の夜9時頃から始まった腹部の痛みに対して、過去2回の何事もなく済んだ経験から、最初はたかを括っていた。しかし、痛みは一向に治まる気配を見せないどころか、上昇傾向の波線状に強まってきた。そして、3年前と同じように居ても立ってもいられない状態になったのである。横臥しても痛いし、体勢を変えても痛い、起き上がり寝台の上に坐しても痛い、椅子に座っても痛い、立てば少し痛みは和らぐが、疲れているので横になりたい。数秒毎に痛みで体勢を変えざるを得ない。まさに七転八倒とはこのことである。折悪しくも外は雨、自転車に乗って走り回るのも躊躇われる。そこで少し熱めの風呂を沸かし、湯船に浸かる。すると痛みは少し和らぎ、湯船の中で一瞬眠りに落ちる。すぐにのぼせて熱さに耐え切れなくなり出る。身体を拭いて、また寝台で七転八倒する。そしてまた湯船に入るということを何度繰り返したかは覚えていない。だが、その時にはっきりと確信していたのは「病院へ行かなければならない」ということである。如何に病院嫌いであっても痛みの前では、そんなこと構っていられない。痛みの前では、その痛みを解決すること以外の事は全くどうでもよくなるのである。床に散らかりっぱなしのタオルも下着も、少し濡れた寝台のマットも、昨晩途中で食べ残した惣菜も、本当にどうでもよかった。翌朝の職業訓練を休まなければならないことも。

時間が非常にゆっくりと過ぎて行った。早く来て欲しいと願う朝は、蝸牛の如き速度で私を焦らし続けた。それに時は今まさに新型冠状病毒の変異種が広まりつつあると騒がれている時代である。一見の患者を受け入れてくれる病院は見つからないかも知れない。そこで、まずは保健所の相談窓口に電話をかける。早朝4時頃。24時間開設されているのが有り難い。
体温計は無かったが、明らかに熱はないことと症状を伝えると、市の緊急外来用のホットラインを紹介してくれた。ホットラインでも受け入れ先の病院を探してくれたが、散々待たされた挙句「一件断られた」との返事。救急車を呼ぶように勧められたが、まだ意識がはっきりしていて何とか二足歩行ができる状態ではあったので、このご時世に救急車を呼ぶのも気が引けた。仕方なく朝9時半に近くの診療所が開くのを待つことにした。(つづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?