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闘病ノート⑥

ついにその時が来た。
5日半に及ぶ絶食が解かれたのである。
出てきたのは僅か一杯の重湯と林檎ジュースのみ。しかし、これがどれほど美味いか。
重湯一杯で気力が漲る。

長期にわたる断食修業で憔悴しきった釈尊に一杯の乳粥を恵んだ女性の名前が遥か後世まで残り、遠東の島国にその名を冠した大手乳業会社まであるということの理由が分かった。絶食後の粥が美味いからである。ちなみにスジャータはネパールではありふれた女性の名前である。

林檎ジュースもよい。甘味はやはりよい。

昨日(5月21日)は午前中CT検査を行い、ドレナージ部分の異常がないことと、炎症が治まったことが確認され、午後には胆嚢摘出手術の準備としての心臓エコー検査が予定通り行われた。特に異常はなさそうである。今日と明日の週末を挟むため週明けにも手術の予定が組まれるのではないかと期待している。

一昨日くらいまでは鎮痛剤を大量に使用したためか脳の働きが大分鈍っていたようだ。今日は久しぶりに外も晴れて気分も良いためか、脳の調子もよい感じだ。ここらで今回入院するに至った因果について考え、今後の教訓とすべきことをまとめておこうと思う。

① 食生活を大切にする。
② 定期的に健康診断を受ける。
③ 運動を怠けないようにする。

結局のところ、ほとんど①の食生活に尽きるように思う。食とは本来必要な栄養素を摂取すれば足りるのであるが、現代の生活では、必要以上に摂取しがちになる。資本主義社会において食品関連企業は、厳しい競争に勝ち抜き自社の製品や商品を売り続けないと生き残れないため、高度な広告マーケティング技術を駆使して人々の食欲を煽らざるを得ない。その中には健康的な商品やサービスも含まれようが、問題は摂取量自体が過多になることである。
一方、我々は栄養の摂取という本来の目的以外に、社交であるとか快楽やストレス解消のために食物を摂取することが少なくない。そのときは脳内に快楽物質が分泌され、一時的な多幸感に浸ることができる。それはそれで幸せなことなのかもしれないが、結果として温室効果ガスの排出を極限的に増大させ、より大きな災いを引き寄せ続けている。
こうなると最早倫理的な問題ですらある。この先も私は商業広告に誘惑され誑かされ食欲を煽られ続けるだろう。山奥にでも入り情報機器の利用を遮断しない限り、それらから完全に逃がれることはできないし、たぶん退院した私はドラッグストアでチョコパイを買ったその足でハンバーガーショップに駆け込み一番デカいやつに齧り付くに違いない。ポテトも。
だが、こうした構造的問題についての認識に加えて今回自己の肉体的苦痛という実害を被ったことで、自制心が働くことは以前よりも多くなるだろう。金銭的、時間的な損失もバカにならない。

②の健康診断も、予防せずに行くところまで行ってから苦痛に悶えることに比べれば極めて安いコストなので、するに越したことはない。今回驚いたのは胆石が直径3cmまで巨大化していたこと。どれほどの歳月を経て増長したのか。発症して入院してからでは時既に遅く、打てる手立ては少ない。しかし、早めに予兆が見つかっていれば、食生活を変えたり、民間療法でも健康法でも納得のゆくまで試すことができる。病気を舐めてはいけない。

余談だが、幼少の時分、頭のいい友人が虫歯のない秘訣について教えてくれた。まずグミを噛む。すると微小な穴の空いた箇所が染みるので、そこを歯ブラシで徹底的に削り取る。やがてエナメル質が再生する。彼は国際的に活躍する脳科学者になった。

③の運動については、もし商業主義に欲望を煽られて過剰摂取してしまったエネルギーを消費させるためであれば本末転倒であるし、鼬ごっこの決着でどちらに軍配が上がるかは明白だ。運動は心身の均衡を安定させる効果があるので、ストレスで暴飲暴食するのを予防するために、日常的に適度な運動をするというのが本来のあり方だろう。

今回入院して良かった点はデトックスできたことである。私の腸内がだいぶ綺麗になったことは出てきたものを一瞥すれば分かる。ドレナージを施してから排便が徐々に活発になり、驚くほどの量が流れ出て行った。(つづく)

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