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祖父の形見の時計 その②

祖父の形見の時計 その②

さて、一家離散してしまった杉浦家。
その後、波乱万丈な人生が八衛エ門・きみ子夫妻に待っていたのだが、それは割愛しよう。

杉浦家の惣領息子、武生は、高校時代まで、教会のボランティアであった星山さんというご婦人に三河で育てられた。大学は、経済的に行けそうにもなかったが、篤志家の原一平という生命保険業界では有名な人が書生に迎え入れてくれ、仕事をしながら神田駿河台の中央大学法学部に通ったのだった。大学時代に学業と仕事のかたわら、苦労して母のきみ子を探し出し、深川に住む八衛エ門に再会させようとしたが、事情があってそれはならず、武生は卒業後にきみ子のみを引き取った。

武生が結婚したのは、当時としては割りと遅く、二十六歳のときである。1960年・昭和35年のことである。昭和37年に長女の加代子が生まれ、42年に私が生まれた。武生夫婦は麻布霞町の長屋住まいで、私は広尾の日赤産院で産まれたのだった。

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